アンナ・マグダレーナ・バッハの日記

劇場公開日:

解説

二番目の妻アンナ・マグダレーナ・バッハの目から見たヨハン・セバスチャン・バッハの生涯を描く。監督・脚本はジャン・マリー・ストローブ、ダニエル・ユイレ夫妻、撮影はウーゴ・ピッコーネ、サヴェリオ・ディアマンテ、ジョヴァンニ・カンファレッリ、音楽はレオ・レオニウスが担当。出演はグスタフ・レオンハルト、クリスチアーネ・ラング・ドレヴァンツなど。映画はわずか100足らずのショットによって構成されている。画面に現れるのは演奏する音楽家たちだけで、アンナ・マグダレーナ(クリスチアーネ・ラング・ドレヴァンツ)のナレーションによってバッハ(グスタフ・レオンハルト)の35歳から、死までが語られる。画面で演奏されるバッハの作品は<ブランデンブルク協奏曲第5番BWV1050第一楽章アレーグロ><「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」より第8プレリュードBWV854><メヌエット・フランス組曲第1番第6曲BWV812><ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ第2番BWV1208第1楽章アダージョ><オルガン・トリオ第2番BWB526第2楽章ラルゴ><マニフィカトBWV243第11・12曲><テンポ・ディ・ガボックパルティータ第6番第6曲BWV830><カンタータ第265番「破れ、砕け、こぼて」BWV205第2、3曲バス・レチタティーヴォとアリア><カンタータ第198番「候妃よ、さらに一条の光を」BWV198終結合唱><ケーテン候葬送音楽BWV244 ソプラノ・アリア><マタイ受難曲BWV244冒頭合唱><カンタータ第42番「この同じ安息日の夕」BWV42冒頭シンフォニーアとテノール・レチタティーヴォ>他全24曲。1972年、アンナ・マグダレーナは、バッハの2度目の妻として迎え入れられる。それから29年後の1756年に死ぬまでの間のバッハの創造的苦悩、家庭でのアンナや子供たちへの態度が、これらの音楽の作曲された年月にそって語られる。

1968年製作/西ドイツ・イタリア合作
原題または英題:Chronik der Anna Magdalena Bach
配給:ユーロスペース
劇場公開日:1985年12月14日

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映画レビュー

2.5本当に、『Chronik(ドイツ語:年代記)』だった…。

2023年11月26日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

単純

知的

寝られる

ヨハン・セバスチャン・バッハの2番目の妻が、出会いから結婚して生涯を共にするその様子を淡々と語る。
 誰にどんな音楽を献呈したかとか、子どもがどうしたとか、転職せざるを得ない理由や、職場内での抗争とその対処など、ドラマとしておもしろそうなエピソードが語られるのだが、感情的な高ぶりも、抑揚すらなく、事務的な文書や教科書を読み上げる如くのナレーションが続く。
 唐突に出てくる台詞も棒読み。簡単な会話のみ。子役の方が自然に見えたくらい。
 バッハと、その年代や演じている人々(役者)に詳しくない私には、今誰と誰が離しているのかさえ判らない。バッハも、音楽室に飾ってあったあの肖像画と似ても似つかない。
 この映画の世界観への導入すらもなく、突然、始まる。まったくの説明不足。妻が書いた日記の読み上げなのだが、妻自身の気持ちの表現もなく、起こった事柄や、夫であるバッハの動きのみが綴られる。

なんとも優しくない映画。鑑賞者の存在さえ、忘れているような…。

それでも、生きている間から、天才と名高い、評価も高いと”習った”バッハが、実は自分の職場に満足していなかった様子とか、今の”上司”にあたる人に翻弄された様子とか、そこで何とか自分らしい仕事ができるようにと画策した様子が見て取れ、親近感を覚えてしまう。
 生み出した傑作の数々。バッハの希望通り、最初の”宮廷音楽家”で生涯を終えていたら、あれだけの曲は生まれなかったのではないだろうかとか、別の曲が生まれたのだろうかとか、感慨深い。
 尤も、出版されている『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』はフィクションであり、Wikiには、この映画との関係は明記されていないし、出版されている物を読んでいないので、この映画のエピソードが実際にあったことか、フィクションかはわからないけれど。

基本、全編音楽。演奏風景の合間に、日常の一コマや、楽譜、風景が挟まれる。それらをバックに、妻のナレーションが語られるのだが、演奏に聞き入る時間も多い。

バッハを演じられたのは、チェンバロ奏者とか。この映画が企画されたときはまだ無名の駆け出しだったのだそうだが、のちに大御所になったとか。ああ、だから台詞棒読みなのね。
 ちなみに、妻役をなさった方もプロの歌手だそうだ。
 その方の鍵盤楽器をひく手元から楽団全体像へとか、教会の片隅に押し込められたような楽団の演奏を、教会の隅から眺めるような構図とか。実際に、その演奏会に立ち会っているような気持になる。主客ではなくて、なんとか演奏会に潜り込んで聞いているような、隅の方に追いやられる程度の格の客として参列しているような。演奏されている場所が、コンサートホールや貴族の客室ではなく、教会なので、ミサとかの流れで奏でられる音楽なのだろうと、敬虔な祈りのような気持ちにもある。そんな風にやっと潜り込めたから、聞き漏らすまいという気持ちにもなってくるから不思議だ。
 いろいろなレビューを読むと「斜めの構図」の独特さが指摘されている。私からすると、今のような音楽ホールでの演奏ではない場所での演奏を、演奏者全員を画面に収めようと必死に構図を工夫したようにも見え、正面から見ているよりも、高揚してくる(旅行先で、性能のよくないカメラで、全体を写そうと躍起になっている気分を思い出す)。
 映画作成時点での、古楽器や、当時の風俗、教会等のインテリアにもわくわくしてくる。音楽ド素人の私には、あんな壁はめ込み式の鍵盤楽器があったのかとか、鍵盤が上下二段になっている楽器があったのかとか、あれはトロンボーン?とか、知的好奇心が止まらない。

しかも、かなり昔に訪れた、ライプツィヒ・ドレスデン・ポツダム…。聖トーマス教会、サンスーシー宮殿。1980年代はまだ、ドイツは西と東に分かれていた頃だから、現地ロケはかなわなかったのかななどと懐かしさとともに鑑賞できた。

とはいえ、ドラマチックな展開やわかりやすい展開を望む人には合わない映画。
音楽に浸る方や、映画の構図等映画のテクニックに興味がある方には面白いかもしれない。

(図書館での上映会にて鑑賞)

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とみいじょん

3.5恐ろしい緊張感

2022年1月28日
iPhoneアプリから投稿

一体どんな魔法を使ったのかと疑いたくなるくらい立体感のあるショット。そして鬼気迫るバッハの演奏。じっと目を凝らし耳を澄ませているうちに、画面の内側へ引き摺り込まれていきそうになる。しかし完全に引き摺り込まれる寸前で透明な壁が我々の侵犯を阻む。というのも、カメラの視点が常に人ならざる位置にあるからだ。部屋の隅や、観客と演者の中間や、床すれすれの低地といった亜空間から、カメラは作中のできごとを淡々と記述していく。画面の立体感と音楽の臨場感にグワーっと引き込まれかけた瞬間、今度はカメラの徹底したフィクション性に押し戻されるのだ。接近と離隔のアンビバレンスを慎重に綱渡りしていくような緊張感が絶えずつきまとう。したがって本作を見るにあたっては不断の集中力が必要不可欠となる。いったん綱から落ちてしまうとすぐさま退屈に襲われる。私もかなり危なかった。

私は大学の図書館で視聴したが、なるべくなら映画館で見ることをオススメしたい。座椅子に磔にされながら見たほうがいい映画というものもある。

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因果

3.0未熟ゆえに評価不能

2015年8月21日
PCから投稿

悲しい

知的

難しい

ここにレビューを載せることさえ、おこがましく感じられてしまいます。すいません、まったく太刀打ちできませんでした、この映画。ただし、決して切って捨てるようなことはできない作品です。ここには何かがあると思わざるを得ないのですが、今の自分にはそれがまったく分かっていないだろうということが、正直な感想です。
バッハを描くこととは何か、そして映画におけるストーリーとは何か、そうしたことに挑戦されているのだろうということを、おぼろげに考えた次第です。

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チャーリー