婚期

劇場公開日:

解説

「おとうと(1960)」の水木洋子のオリジナル・シナリオを、「女の坂」の吉村公三郎が監督した喜劇。「おとうと(1960)」の宮川一夫が撮影した。

1961年製作/97分/日本
原題:Marriageable Age
配給:大映
劇場公開日:1961年1月14日

ストーリー

唐沢卓夫は春山荘を経営する事業家だが、家の中が面白くないので妾をかこっている。仕事には敏腕だが金にはきたないエゴイストである。妻の静は、卓夫の妹の波子に鳩子、弟の典二郎をかかえ、封建的な生活に自分一人がたえ忍んでいるような顔をしているが、実は心の奥では何を考えているのか分らないポーカーフェイス。ある日、静の許に一通の手紙が舞いこんだ。卓夫が妾をかこっており、子供もいるというのである。その後、あやしげな電話もかかってくる。実は、これは波子と鳩子のいたずらで、静に火をつけようというコンタンであった。波子はいまやオールドミス、鳩子は新劇女優で、二人は共同戦線をはって兄嫁いびりがひどい。静の世話でお見合した相手が、どうしたまちがいからか、すっぽりハゲ上った中年の歯科医師だったことから、波子の怒りが爆発、鳩子と家を出ると言いだした。婆やが孫の雛子にひきとられることになった。波子と鳩子が嫁ぐまでと思っていた静だったが、卓夫が危うくガス中毒しそうになったのを、殺人未遂だといわれて遂に家出してしまった。静は友人玉枝の家で三日三晩眠り通した。卓夫が迎えにきた。波子と鶴子がアパートへ行くから帰れという。静もどうやらその気になったようで、二人は肩を並べて散歩に出かけた。玉枝が妙な顔で見つめていた。

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映画レビュー

2.0家父長制の崩壊と女の知恵

2015年3月24日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

笑える

知的

 高峰三枝子、若尾文子、野添ひとみの3姉妹が、長女である高峰のアパートに集まっているシーンから始まる。実家からも、そして家父長制的な家族からも自立している独身の高峰に、「婚期」を迎えているのに実家で兄の厄介になっている若尾と野添が、兄嫁である京マチ子への不満を並べたてる。
 この物語の問題に対する回答は、すでにこの冒頭で示されているのだが、映画はこの回答へ落ち着くまでの一家のごたごたをユーモラスに、ときに皮肉を交えて描いていく。
 一家の主婦を務める京マチ子は、その登場のシーンから、使用人の北林谷栄に裾から下着が出ていることを指摘される。色気もなにもかなぐり捨てて、家庭の仕事に没入している様が良く伝わってくる。
 若尾文子は、実家で習字教室をして小遣い程度の稼ぎで焼き芋を買うのがやっとの、ド近眼のハイミスを演じる。眼鏡をかけても外しても美しいのだが、兄夫婦に反発しつつもその二人に甘えるところはしっかりと甘える抜け目のなさをいつでも発揮する。その立ち位置の変化に応じて顔の表情が目まぐるしく変化して、実にスクリーンを見ている者たちを飽きさせることのない女優だ。
 変化する若尾に対して、野添ひとみは一本調子だ。徹頭徹尾、兄嫁に反発しわがままのし放題。この三女のまだ若くて子供じみたところを表現している。
 映画は、女性の自我が現代性を帯びるにつれて、近代的家父長制が崩れていくことを示している。
 「最初から誰もあてにしていない。」という高峰が京に呟く台詞。家父長制から自由になるために女性が覚悟をすべきことがここに語られている。
 そして、船越英二が、家を出た京を迎えに来る最後のシークエンスで
「婚期は一体だれが決めたのか。人間はいつでも婚期ではないのか。そのせいでノイローゼになる者が出てくるというのに。」と嘆く。
 一方で見逃してはならないのは、北林演じる使用人である。
 この老女中は、労働基準法についての本を読んで自分の労働条件についての疑問を抱くし、自分が住み込んでいる家庭が核家族化へと突き進んでいることを本能的に嗅ぎ取っている。もちろん、核家族化進んだ先に自分の需要はないことも彼女は知っているのだ。
 とてもユーモラスに描かれている老女ではあるが、時代の変わり目を冷静に観察し、抜け目なく行動していることに気付くとき、登場する5人の女性の年齢の階梯と人生を渡っていく知恵の階梯が一致していることを我々は認めざるをえない。

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佐分 利信
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