劇場公開日 2024年3月22日

「彼我の立場を超えた関係性の美しさ」戦場のメリークリスマス talkieさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0彼我の立場を超えた関係性の美しさ

2024年3月11日
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鑑賞方法:DVD/BD

<映画のことば>
私の過去は、私のものだ。

兄も弟も多感な少年時代に、弟との関係性を上手く築けなかったことが、セリアズのその後を、ずっと規定して来たように、見受けられました。評論子には。

バタビアの軍事法廷でも、審判官の質問は当然に軍歴や軍人としての行動歴についてということだったのでしょうけれども、セリアズが頑なに自分の過去を伏せたのは、そのことがあってのことと思います。評論子は。

その法廷で、ヨノイが彼を特別の存在を感じたのも、おそらく…たぶん…飽くまでも評論子の憶測なのですけれども、ヨノイにも、同じように、何か過去に規定されて、それまで長じてきていたからではなかったから、ではないでしょうか。

そして、そのとき、セリアズもヨノイに同じような存在性を、実は(暗黙のうちに)感じ取っていた-。

そう考えると、後に、ヒックスリー俘虜長がヨノイの名簿提出の命令に、のらりくらりと従わなかったことの腹いせに、病人を含む捕虜の全員を炎天下に整列させるという無茶を彼が命じたときに、熱くなっている彼に静かにセリアズが歩み寄り、まるでだだっ子でもあやすかのように、静かにヨノイをハグして、彼の両頬にキスをした意味も、理解できるように思われます。評論子には。
(それは、もちろん、ホモセクシュアル的な意味ではなかったことは、明らかだと思います。)

お互いに異文化の中にあり、戦時と平時との違いがあり、また支配者と被告支配者との違いがあったとしても、お互いの存在性を暗黙のうちに認め合う関係の美しさというものは、普遍的だったということでしょうか。

佳作であったと思います。

(追記1)
<映画のことば>
ヘンな顔だ。
だが、目は美しい。

概して彫りの深い顔が多い欧米人にしてみれば、日本人(東洋人)の平たい顔は、ヘンに見えるのかも知れないと思いました。
その背景には、夜な夜な道場で気合いを入れている掛け声が、収容されている捕虜たちの耳には、異様な叫び声として聞こえていたことも、背景としてはあったのかも知れません。

もともと、「生きて虜囚の辱(はすか)しめを受けず」と兵卒・下士官を教養してきた日本軍にしてみれば、捕虜を待遇よく扱うことは、建前として、できなかったのかも知れません。

英米兵の捕虜の目には、さぞかし「虐待」として映ったことでしょう。

日本とて、日清・日露の両戦役を戦い抜いており、その際は捕虜の取扱いが人道的だったとして、国際的には高い評価を受けていたとも聞き及びます。
ですから、決して「捕虜の扱い方」を知らないわけではありますまい。

しかし、いつから、そしてなぜ、日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず」と考えるようになり、当時の軍歌の歌詞のように「敵の屍(かばね)と共に寝て、泥水啜(すす)り、草を喰(は)み」などという、無茶な戦い方をするようになってしまったのでしょうか。

(追記2)
<映画のことば>
「あの若い東條は気づいていないよ。」
「彼らは馬鹿ではありません。戦局が不利なことは、奴らも知ってる。」
「2ヶ月で終戦だよ。」

日本にとっては、最初から無理して始めた戦争であることが、開戦間もないこの時期(1942年)から、もう既に、暗く重たい影を落としていたように思われます。評論子には。

当時の政府は「勝っていられても、せいぜい最初の半年くらい。その間に、なるべく有利な条件で講和をする」という戦線不拡大の方針をとっていたといいます。
しかし、この方針に反して、「八紘一宇」などと勝手な御託を並べ、いわゆる「五族協和」「大東亜共栄圏の建設」という熱に浮かされた軍部が、無理を承知で戦線を拡大したこと以外に、この戦争の敗因は求められないと、評論子は思います。
(当時の軍部は、政府とともに天皇の大権を輔弼(ほひつ=補佐)するということでは、政府と対等な立場であり、政府の方針に必ずしも従う必要はなかった。
(今の自衛隊が政府=内閣総理大臣の指揮下にあり、いわば「政府の軍隊」であるのとは、大きく違った。)
ある種の軍事クーデターであったとも、言えるかも知れません。

そのせいか、折に触れてヨノイの執務室に掲げられていた、このお題目の額も、評論子には、目に付きました。
これは「天下を一つの家のようにすること」または「全世界を一つの家にすること」を意味する語句で、太平洋戦争中は、日本の東南アジア諸国への進出(侵略)を正当化するためのスローガンだったもの。

その理想の下では、一兵卒のとりまとめという立場上は「鬼軍曹」に徹しなければならなかったハラ軍曹の、戦後は仏門に入り、最後シーンの何とも晴れやかな、吹っ切れたような(酔っ払っていたクリスマスを除いては、それまでの作品中では見せたことのない)柔和な笑顔が、評論子の脳裏に焼きついて、消えません。

(追記3)
本作は、坂本龍一が音楽を担当していただけあって、ある種の哀調を感じさせる映画音楽の素晴らしさが思われました。
もちろん、いわゆる「戦争映画」なのですけれども、本作は。

決して「敵・味方の垣根を超えた男同士の友情」みたいな甘ったるいものがテーマではないと思われる本作において、どことなく哀調を帯びたというのか、妖艶で耽美的な風采すら感じられるのは、この楽曲あってこそのことでしょう。

その意味では「音楽が素晴しい映画」としての評でもら決して他作に劣らない一本であったと思います。

(追記4)
しかし、カッコいいですねぇ。
本作のデビッド・ボウイは。
そう思います。
同じ男性の評論子から見ても。
別に…評論子は、特別な姓的指向だと思う訳でもありませんけれども。
「男が惚れる男」って、こんな感じなのでしょう。
いわんや女性についてをや。

talkie