織戸学 : ウィキペディア(Wikipedia)

織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日 - )は、千葉県船橋市出身で神奈川県在住のレーシングドライバー。MAX ORIDOとしても知られる。愛称は「オリダー」「モン吉」。A型。

プロフィール

デビュー

自動車整備の専門学校を卒業した後、自動車雑誌『CARBOY』主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった後に坂東正明率いる坂東商会に入社し、21歳の1991年より富士フレッシュマンレースのNA1600クラスでレーシングドライバーとしてデビューした。マシンはAE86レビンのN2仕様で、周囲はベテランドライバーばかりだったため、よく目の敵にされたとビデオオプションで語っている。翌1992年にはシリーズチャンピオンを獲得。

1993年にはフレッシュマントロフィーレースinSUZUKAのN2-1600クラスにAE92レビンのN2仕様で参戦。スポット参戦ながらシリーズ3位を獲得。

1994年からはスーパーシルビアN2レースに参戦。1995年と翌1996年に連続してシリーズチャンピオンを獲得。

デビュー当初は、横浜ゴムの開発ドライバーを務めていた土屋がブリヂストンに移籍した際は、その後継ドライバーとして織戸が抜擢される。

全日本GT選手権・SUPER GT

全日本GT選手権(JGTC、現 SUPER GT)には1996年より参戦し、最初はGT300クラスで日産・シルビアを駆り、翌1997年にはシリーズチャンピオンに輝いた。

その後、2000年には土屋エンジニアリングよりGT500クラスに参戦。2002年サードに移籍し、2003年は第7戦にてGT500初優勝を飾った。2004年に再び土屋エンジニアリングに復帰し、2005年には開幕戦で優勝を飾った。2006年は、土屋エンジニアリングを立ち上げた土屋春雄の息子である土屋武士とコンビを組んだ。

2008年より、再びRACING PROJECT BANDOHからGT300クラスに参戦し、第5戦の菅生で自身初のポールポジションを獲得。第7戦もてぎでは予選での車両規定違反で最後尾スタートを強いられたが、そこから追い上げを見せて25位スタートからの逆転優勝を飾った。この最後尾スタートからの優勝は、JGTC時代も含め初の快挙であった。2009年は開幕戦で優勝を飾ると、その後も安定した成績を収め、12年ぶりのシリーズチャンピオンに輝いた。第8戦でGT参戦通算100戦目を迎えた。。 2011年にJLOCに移籍し、ほぼ毎シーズン優勝を含む表彰台を獲得し安定した速さを見せた。しかしタイトル争いに絡むことはできず、2018年3月、所属していたJLOCから離脱したことを自らのFacebookで明らかにした。同月19日、GT500クラスに「LEXUS TEAM WedsSport BANDOH」として参戦するRACING PROJECT BANDOHのエグゼクティブアドバイザーに就任することが発表された。また、横浜タイヤを知り尽くしていることを買われ、同年第5戦富士500マイルにてaprの第3ドライバーとしてトヨタ・プリウスをドライブした。

スーパー耐久

JGTCにデビューした1996年からN1耐久(現 スーパー耐久)にも参戦し、2005年にはSTクラス1のシリーズチャンピオンに輝いている(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ・911GT3)。

D1グランプリ

D1グランプリ(D1GP)では、シリーズが始まった2001年から2004年までは、土屋圭市・鈴木学と共に審査員を務めていたが、2005年から選手として参戦を開始した。マシンは、トヨタ・スープラ (JZA80) を使用。ボディーやロールケージは土屋エンジニアリングが、エンジンのチューニングはオートプロデュースBOSSが手掛けた[http://www.jdm-option.com/archives/pickup/05_11/supra.html ピックアップマシン RS☆R SUPRA [JZA80] ] J.D.M. OPTION、2023年7月26日閲覧。。AE86やシルビアなどD1GPの主流である車種に比べ車重が重いため、SUPER GTのGT500マシンから流用したカーボン製のドアやリアハッチを使用するなどして軽量化を図っている。また、出力も当時のD1GPマシンとしては非常に高い680馬力までパワーアップされている。

2005年は、開幕戦アーウィンデール・スピードウェイは、マシンが未完成であった影響もあり単走1回戦敗退に終わった。しかし、第2戦お台場と第3戦SUGOでは追走進出を果たした。さらにHKSのボアアップキットでエンジン(2JZ-GTE)の排気量を3,000ccから3,400ccに増やし、ホリンジャー製のシーケンシャルミッションを新たに搭載した第5戦エビスでは、1回戦を100点で通過し、追走でも三木竜二、谷口信輝、手塚強といった有力ドライバーを下して準優勝を果たした。シリーズ12位でシーズンを終えた。

2006年・2007年は参戦を休止し、2008年にはSUPER GTと同じRACING PROJECT BANDOHから、マシンもGTと同じレクサス・IS350をベースとした車両でシリーズに復帰。第5戦のオートポリスにのみスポット参戦したが、マシントラブルによりリタイアとなった。2009年は、GTでのドリフトデモランやDtoDなどで使用していたアリストをD1のレギュレーションに合わせ参戦したが、第7戦の4位が最高でシリーズ15位に終わった。

2010年には、マシンをスープラに戻し参戦。第4戦では準優勝を果たし、年間シリーズ8位となった。2011年もスープラで参戦。第3戦オートポリスではD1GP初優勝を飾ったD1GP2011年の初戦は織戸学の初優勝となりました【2011D1GP】 clicccar、2011年4月24日。

2012年は、トヨタ・86にマシンチェンジ。エンジンはノーマルのFA20からレクサス・IS Fに搭載されている2UR-GSEをチューニングしたものに換装されている。開幕戦こそ完成したばかりの状態ということもありエンジントラブルが出たものの、徐々にマシンの熟成が進みコンスタントにポイントを獲得、シリーズ16位でシーズンを終えた。

2013年はマシンはそのままであるが、エンジンをシボレー・コルベット用のV8エンジンへと変更した事で更なるパワーアップを行っており、第4戦では準優勝を果たした。2014年も86で参戦し、シリーズ13位。

2015年は、第4戦エビスでシーズン初優勝を飾ったRd.4 Report D1 OFFICIAL WEBSITE、2023年7月26日閲覧。。10月15日、自身のブログにてD1グランプリ引退を表明D1GP お台場で引退致します。 MAX ORIDO STYLE(公式ブログ)、2023年7月26日閲覧。。最終戦では86がエンジンブローで走れなくなりリタイアしたものの、翌日開催されたワールドチャンピオンズのフィナーレでは、2005年シーズンに使用していたスープラで「メモリアル追走」を披露した。

その他

2004年にはル・マン24時間レースにチョロQレーシングよりポルシェ・911で黒澤治樹・西沢和之と参戦、総合12位/GTクラス2位に入った。

2013年2月には、横浜市都筑区にプロ用ドライビングシミュレーターを備えたレーシングドライバー向けトレーニング施設として「130R YOKOHAMA」をオープンした。また、富士スピードウェイなどでレーシングドライバー向けのトレーニングを開催している。

86/BRZレースにも開催初年度の2013年から漫画『クローズ×WORST』とのコラボレーションであるTOMMY‘SRACING withクローズエクスプロードから参戦。未経験者ばかりのチームであったが、初年度から優勝を果たした。さらに男性音楽グループONE☆DRAFT(徳間ジャパン)とのコラボを実現し『ONE WAY』をチーム応援オフィシャルソングとして迎えるという企画も実現している。2015年からはタイヤ販売店のK-oneのチームであるK-one Racingに移籍し、2021年現在も参戦を継続している。

2015年、2019年、2021年には全日本ラリー選手権にK-one Racingより参戦している。

レース戦歴

  • 1992年 - 富士フレッシュマンレース NA1600クラスシリーズチャンピオン
  • 1993年 - フレッシュマントロフィーレースinSUZUKA N2-1600クラス(第3戦より、3回優勝、シリーズ3位)
  • 1995年 - スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン
  • 1996年
    • スーパーシルビアN2シリーズチャンピオン
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(Rd.4)(TEAM-JUN/JUNートラスト スカイライン) / GT300クラス(Rd.5,6)(TEAM TAISAN Jr./つちやMR2)
    • N1耐久選手権 クラス2
  • 1997年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(RS-Rレーシングwith BANDOH/RS☆Rシルビア)(シリーズチャンピオン・2勝)
  • 1998年 - 全日本GT選手権・GT300クラス(Rd.4〜7)(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(ランキング2位)
  • 1999年
    • 全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ)(シリーズ3位・1勝)
    • NASCARウィンストンカップウェストシリーズ(スポット参戦)
  • 2000年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(ENDLESS+ 土屋エンジニアリング/エンドレス アドバン スープラ)(シリーズ18位)
    • スーパー耐久 グループNプラス(TEAM DD #25 RS☆R アルテッツア)
    • マカオ・ギアレース(TEAM DD #29 トヨタ・アルテッツア、10位)
  • 2001年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(土屋エンジニアリング/FK/マッシモADVAN スープラ)(シリーズ19位)
    • マカオ・ギアレース(TEAM DD #10 トヨタ・アルテッツア、2位)
  • 2002年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ14位)
    • スーパー耐久 グループNプラス(ADVAN ALTEZZA)シリーズチャンピオン
  • 2003年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TOYOTA TEAM SARD/デンソーサードスープラ GT)(シリーズ6位・1勝)
    • スーパー耐久 クラス1(ポルシェGT3)
  • 2004年
    • 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ12位)
    • ル・マン24時間レース GTクラス(チョロQレーシング #77 ポルシェ911GT3 RSR、総合12位・クラス2位)
  • 2005年
    • SUPER GT・GT500クラス(TEAM ADVAN・ツチヤ/CLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ13位・1勝)
    • D1グランプリ(スープラ)(シリーズ12位)
    • スーパー耐久(STクラス1(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3/ポルシェ911GT3、シリーズチャンピオン)
  • 2006年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN スープラ)(シリーズ19位)
  • 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(TOYOTA TEAM TSUCHIYA/ECLIPSE ADVAN SC430)(シリーズ17位)
  • 2008年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツセリカ・ウェッズスポーツIS350)(シリーズ12位・1勝)
    • D1グランプリ(IS350)
  • 2009年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズチャンピオン・1勝)
    • D1グランプリ(BANDOH with NATS/アリスト)(シリーズ15位)
  • 2010年
    • SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH/ウェッズスポーツIS350)(シリーズ8位)
    • D1グランプリ(RIRE, M7 YOKOHAMA NATS With MAX/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ8位)
  • 2011年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/リール ランボルギーニガヤルドRG-3)(シリーズ11位)
    • D1グランプリ(MAX ORIDO D1 Project/ADVAN MAXスープラ)(シリーズ13位)
  • 2012年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニガヤルドRG-3)(シリーズ8位)
    • D1グランプリ(DRIVE M7 ADVAN MAX ORIDO RACING/DRIVE M7 ADVAN 86)(シリーズ16位)
  • 2013年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパランボルギーニガヤルドLP600 GT-3)(シリーズ14位)
    • D1グランプリ(DRIVE M7 MAX ORIDO RACING/DRIVE M7 ADVAN 86)(シリーズ5位)
    • 86/BRZレース(シリーズ5位)
  • 2014年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT3)(シリーズ16位)
    • D1グランプリ(MAX ORIDO RACING/MAX ORIDO RACING 86)(シリーズ13位)
    • 86/BRZレース(シリーズ3位)
    • フォーミュラ・ドリフトアジアラウンド オーストラリア
  • 2015年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT3)(シリーズ15位)
    • D1グランプリ(MAX ORIDO TOPTUL RACING/TOPTUL M7 NATS 86)(シリーズ23位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ8位)
    • 全日本ラリー選手権・JN-4クラス 久万高原ラリー(k-one/モルフォ頭文字DサミーK186)(リタイア)
  • 2016年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパランボルギーニウラカン GT-3)(シリーズ11位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(有効ポイント0)
  • 2017年
    • SUPER GT・GT300クラス(JLOC/マネパ ランボルギーニ GT-3)(シリーズ10位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ14位)
  • 2018年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA PRIUS apr GT)Rd.5〜(0ポイント)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ3位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D'station Racing/D'station Porsche991GT3 Cup)(クラスチャンピオン)
  • 2019年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(0ポイント)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ15位)
    • 全日本ラリー選手権・JN-3クラス M.C.S.C.ラリーハイランドマスターズ(k-one/サミー☆k-one☆MAX86)(総合19位・クラス8位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D’station/D’station Porsche)(クラスチャンピオン)
  • 2020年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(シリーズ29位)
    • 86/BRZレース・プロフェッショナルシリーズ(シリーズ16位)
    • スーパー耐久・ST-Zクラス(D’station/D’station Vantage GT4)(シリーズ2位)
  • 2021年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/TOYOTA GR SPORT PRIUS PHV apr GT)(シリーズ21位)
    • 全日本ラリー選手権・JN3クラス(k-one/パチスロ頭文字 D 86)ラリーモントレー(リタイア)
    • スーパー耐久・ST-Zクラス(D’station/D’station Vantage GT4)(シリーズ2位)
  • 2022年
    • SUPER GT・GT300クラス(apr/apr GR86 GT)(シリーズ19位)
    • スーパー耐久・ST-1クラス(D’station/D’station Vantage GT8R)(シリーズ2位)

全日本GT選手権/SUPER GT

チーム 使用車両 クラス 1 2 3 4 5 6 7 8 9 順位 ポイント
1996年 TEAM-JUN 日産・スカイラインGT-R GT500SUZFSWSENFSW13 NC 0
TEAM TAISAN Jr. トヨタ・MR2 GT300SUG4MIN 19位 10
1997年 RS-Rレーシング with BANDOH 日産・シルビア GT300SUZ1FSW2SEN2FSW3MIN1SUG51位90
1998年RACING PROJECT BANDOHトヨタ・セリカ GT300SUZFSWSENFSW7TRM2MIN2SUG32位46
1999年 GT300SUZ1FSW2SUGRetMIN3FSWRetTAI5TRM23位70
2000年 ENDLESS+土屋エンジニアリングトヨタ・スープラ GT500TRM13FSW10SUG14FSW8TAI8MIN7SUZ13 18位 11
2001年 土屋エンジニアリング GT500TAI9FSW11SUG11FSWPOTRM7SUZ7MIN10 19位 11
2002年TOYOTA TEAM SARD GT500TAI3FSWRetSUG12SEPRetFSW15TRM5MIN7SUZ5 14位 33
2003年 GT500TAI14FSW3SUG14FSW3FSW7TRM7AUT1SUZ9 6位 57
2004年TEAM ADVAN・ツチヤ GT500TAI14SUG2SEPRetTOK13TRM12AUT3SUZ10 12位 31
2005年 GT500OKA1FSW14SEP15SUG9TRM15FSWRetAUTRetSUZ14 13位 26
2006年TOYOTA TEAM TSUCHIYA GT500SUZ8OKA9FSW6SEP10SUG12SUZRetTRM12AUT15FSW9 19位 18
2007年 レクサス・SC430 GT500SUZ9OKA6FSWRetSEP5SUG8SUZRetTRM8AUT10FSW12 17位 20
2008年RACING PROJECT BANDOH トヨタ・セリカGT300SUZ7OKARet12位40
レクサス・IS350FSW9SEPRetSUG15SUZ19TRM1AUT10FSW5
2009年 GT300OKA1SUZ8FSW5SEP2SUG5SUZ6FSW4AUT3TRM31位85
2010年 GT300SUZ3OKA14FSW4SEP9SUGRetSUZ4FSWCTRM7 8位 33
2011年JLOC ランボルギーニ・ガヤルド RG-3 GT300OKA3FSW14SEP7SUG16SUZ3FSW19AUT16TRM16 11位 26
2012年 ランボルギーニ・ガヤルド LP600+ GT3 GT300OKA17FSWRetSEPRetSUG3SUZ3FSWRetAUT7TRM3 8位 39
2013年ランボルギーニ・ガヤルド GT3 FL2 GT300OKARetFSW12SEP5SUG18SUZ4FSWRetAUT12TRM5 14位 22
2014年 GT300OKA11FSWRetAUT11SUG1FSW21SUZ13CHA18TRM11 16位 20
2015年 GT300OKARetFSWRetCHA17FSW7SUZ4SUG4AUTRetTRM7 15位 26
2016年ランボルギーニ・ウラカンGT3 GT300OKA9FSW25SUG6FSW4SUZ9CHA10TRM3TRMRet 11位 30
2017年 GT300OKA19FSW25AUT16SUGRetFSW7SUZ2CHA5TRMRet 10位 28
2018年aprトヨタ・プリウス GT300OKAFSWSUZCHAFSWRetSUG16AUT26TRM21 NC 0
2019年 GT300OKARetFSW21SUZ21CHA22FSW25AUTRetSUG25TRM21 NC 0
2020年 GT300FSW21FSW17SUZRetTRM24FSW20SUZ20TRM10FSW13 29位 1
2021年 GT300OKARetFSW18SUZ6TRM8SUG20AUT23TRM16FSW16 21位 8
2022年トヨタ・GR86 GT300OKA13FSW18SUZ8FSW15SUZ3SUG20AUT17MOTRet 19位 28
2023年 GT300OKA13FSW18SUZ9FSW13SUZ17SUGRetAUT16MOT- 21位 17

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回 総合順位 クラス順位
2004年 JPN チョロQレーシング JPN 黒澤治樹 JPN 西澤和之 ポルシェ・911 GT3RSGT32212位 2位

著書

  • 『織戸学・ドリコンチャンプテクニック』(三推社、1994年7月)
  • 『織戸 学・ドリフト必勝テクニック』(三推社、1998年4月)

エピソード

  • 初めてマレーシアのセパンサーキットでのレースに出場する際に、「暑さ対策に岩塩をなめておくと良い」と聞いた織戸は、当時は岩塩というものが何か分からなかったため、レース前に茶碗一杯分の塩を採ってしまった。全身にピリピリとした感覚を覚えた後、猛暑のはずなのに強烈な寒さに襲われたという。その後、ヘリコプターでクアラルンプールの病院に搬送され、一時は死亡確率4割という危険な状態に陥った。
  • 漫画『頭文字D』の大ファンでもあり、「頭文字D Battle stage」では雑談会で土屋圭市、今村陽一と共に出演している。また、86/BRZレースや全日本ラリーでは『頭文字D』のラッピングをマシンに貼って参戦していたことがある。
  • 雑誌『Option』の企画にて、飯田章と「水戸納豆レーシング」というAE86のチームを結成し、公道やサーキットを暴走していた事がある。本人曰く、一番嫌な企画だったとのこと。
  • 愛車の一つであるA80型スープラを購入したきっかけは、企画にてパワーハウスアミューズがチューニングしたスープラに乗った際、あまりの出来の良さに感激したためである。
  • 株式会社元気制作のレースゲームにライバルキャラクターとして度々出演している。『首都高バトル01』や『街道バトルシリーズ』、『レーシングバトル -C1 GRAND PRIX-』において、実際の織戸の愛車である「RIDOX SUPRA」と共に登場する。
  • 2001年のマカオ・ギアレースではチェッカーを受けた後、リスボアコーナーで谷口信輝と共に2台のトヨタ・アルテッツァで華麗なドーナッツターンを披露して、マカオの観客を沸かせた。
  • D1GPでは、クラッシュ率の高さから松川和也選手と並びクラッシュキングと評されていた。
    • D1GPのデビュー戦となる2005年の開幕戦では壁に接触し、そのままの勢いでスポンジバリアを跳ね飛ばした
    • 2009年の第3戦の朝に行われた練習走行では、縁石に乗った衝撃で足回りが破損しタイヤが外れた。後方を走っていた斎藤太吾選手のマシンと外れたタイヤが接触し、太吾選手のマシンの助手席の窓ガラスが割れてしまった。
    • 2010年の第2戦の直前に行われた鈴木学が同乗走行を行う企画では、壁に突っ込む大クラッシュをした。同乗していた鈴木は肋骨を2本折るなどの怪我を負った。
  • プロレスラーの蝶野正洋とは、自宅が非常に近い(1軒挟んで隣同士)ことから交友があり、2022年時点で「12年来の仲」だという【動画】あの“黒のカリスマ”蝶野正洋が織戸学と対談。意外な接点とエピソードが満載 - オートスポーツ・2022年5月19日。
  • レーシングカーをもっと身近に感じて欲しいという思いから、童夢との共同開発でハイエースに乗るボディサイズのマイクロ・フォーミュラである、Cheetah(チーター)を制作。 - 童夢HP
  • 家族は妻と2女。次女の織戸茉彩はレーシングドライバーの道に進んでおり、インタープロトシリーズ併催の「KYOJO CUP」やヤリスカップなどに参戦しているほか織戸 茉彩 - DRIVING ATHLETE、横浜ゴムの公式TikTokチャンネルなどでMCを務めている「織戸学の愛娘がドリフト本格デビュー!?」ヨコハマタイヤの動きが相変わらず怪しい・・・ - WebOption・2023年4月20日。
  • 2023年8月19日に行われたGTワールドチャレンジ・アジア第5ラウンドGT4クラス決勝レース1にて、シリーズチャンピオン争いをしていた織戸はポールポジションからスタートし最終ラップまでトップを快走。2位のマシンに33秒もの大差をつけて走行していたものの、チェッカーフラッグ直前でマシンが原因不明のスローダウン。織戸はマシンを停めたが、マシンからは降りずに全車がチェッカーを受けたことを確認した後、酷暑の中マシンをチェッカーまで約700mもの距離をマシンを押して歩いた。

注釈

出典

参考文献

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/11 07:58 UTC (変更履歴
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