ロン・ウッド : ウィキペディア(Wikipedia)
ロナルド・デイヴィッド “ロン”・ウッド(Ronald David "Ron" Wood, 1947年6月1日 - )は、イングランドのロック・ミュージシャン。フェイセズ、ローリング・ストーンズのギタリストとしてよく知られる。ロニー・ウッド (Ronnie Wood) 名義でも活動している。
ロックミュージシャン、グラフィック・アーティストだったアート・ウッドは実兄に当たる。
来歴
ミュージシャンとしてのキャリアは1964年、西ロンドンのイーズリーを拠点としたザ・バーズアメリカのザ・バーズ (The Byrds) とは異なる。からスタートした。このころ、ローリング・ストーンズ「サティスファクション」「ジャンピン・ジャック・フラッシュ」などヒット曲多数。のライブを見て、自分も加わりたいと思ったという。
60年代後半にはザ・クリエイションや兄のアートが結成したクワイエット・メロンに参加したが、どちらも短期間で解散した。その後、ベーシストとしてジェフ・ベック・グループにロッド・スチュワートと共に参加するが、2人は『ベック・オラ』(1969年)発表後、離脱した。
彼はスチュワートと、スティーヴ・マリオット後に、よりソウル色が強いハンブル・パイを結成した。が脱退したばかりのスモール・フェイセスに参加。2人を迎えたスモール・フェイセズはフェイセズと改名。彼等は音楽評論家などからライヴを評価され、イギリスで酔いどれロックンロール・バンドとして人気を得て、「ステイ・ウィズ・ミー」「玉つきリチャード」などのヒットを放った。1974年に初のソロ・アルバム『俺と仲間』を発表。
75年の1月から2月にかけて、ローリング・ストーンズのアルバム『ブラック・アンド・ブルー』(1976年)のレコーディングに、ジェフ・ベックの推薦で参加した。このレコーディングは、1974年に脱退したミック・テイラーの後任ギタリストのオーディションを兼ねており、「グレート・ギタリスト・ハント」と呼ばれた。ウッドの後談によると、ハーヴィー・マンデルがおり、ロリー・ギャラガーも参加していたという。
彼はフェイセズ在籍のまま、1975年4月にストーンズのアメリカ・ツアーにビリー・プレストンと共にサポートメンバーとして参加した。同年7月、ボビー・ウーマック「ルッキン・フォー・ア・ラブ」ほかのソウル・ヒットを持つ。ラスト・ソウル・マンとして長く活躍した。とイアン・マクレガンを共同プロデューサーに迎えて2作目のソロ・アルバム『ナウ・ルック』を発表。
フェイセズは1975年に解散。ウッドは1976年2月にストーンズと給料制の契約を結んで、メンバーとして加入した。
1978年、映画『ラスト・ワルツ』に出演
1979年、キース・リチャーズ、スタンリー・クラーク、イアン・マクレガン、ボビー・キーズらと「ニュー・バーバリアンズ」を結成。
1988年、ボ・ディドリーと共に来日。
1993年1月、初の単独ツアーで来日して、大阪、福岡、名古屋、東京でコンサートを開いた。この年、ローリング・ストーンズと正式メンバーの契約を結んだ。
2020年2月18日、イギリスで開催されたブリット・アワードで、ロッド・スチュワート、ケニー・ジョーンズと共演し「ステイ・ウィズ・ミー」をプレイした。
- 人柄は、明るく朗らかな性格で、ジェフ・ベックやボビー・ウーマック、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター、ボブ・ディラン、ロッド・スチュアート、キース・ムーン、ザ・バンド、アリス・クーパー、ビリー・ギボンズ、フリー、スラッシュ、エディ・ヴェダーなどの有名ミュージシャンと親交がある。特にエリック・クラプトンとは旧友で、ステージにいる彼の邪魔をしたり、付き合っていた彼女を彼に奪われたりした後に奪われた彼女を取り戻して、最初の妻にした。、などというエピソードがある。この他、ボブ・ディランの未発表曲「Seven Days」を取り上げるなどの交友もある。
- 愛妻家であったが離婚している。前妻のジョー(ジョセフィーン)へ、ソロ・アルバム「スライド・オン・ディス」の収録曲「ジョセフィーン」を捧げた。ちなみに彼のヘアスタイリングは、ジョー夫人が行っていた。
- かつてはヘビースモーカーで1日30本も吸い、コンサートでも決まって咥えタバコをしながらギターを弾いていた。しかし「このまま吸い続ければ1年以内に肺気腫になる」と医者に宣告され、禁煙を始めた。現在では電子たばこを吸っている。
- 画家としての才能もあり、ソロ・アルバムのジャケットを自ら手がけ、個展も数多く開催している。
使用機材
愛用のギターは、1955年製フェンダー・ストラトキャスターと、1971年製のゼマティス「ディスクトップ・フロント」の2本で、彼のステージでは欠かす事の出来ないギターである。もし自宅が火事になったらどのギターを持ち出すかとの質問に、すかさずこの2本を持ち出すと答えるほど、本人にとって愛着のあるギターであることが窺える。ストラトキャスターは、シンクロナイズドトレモロが装備されていない、オプション仕様の「ハードテイルブリッジ」という非常にレアな仕様で、ステージで酷使されていながら非常に状態の良いギターである(ただしペグが交換されており、ボディとネックはかなり以前にリフィニッシュされている模様)。ゼマティスは、彼お得意のスライドギターを披露する際に登場する。それ以外にも、ESP製の自身のシグネチャー・モデルも愛用している。 2019年からは日本の寺田楽器のブランドROZEOのチェリーレッドのシンボディのフルアコを使用している。
ソロ・ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム
- 俺と仲間 - I've Got My Own Album to Do (1974)
- ナウ・ルック - Now Look (1975)
- マホニーズ・ラスト・スタンド - Mahoney's Last Stand (1976) with Ronnie Lane
- ギミ・サム・ネック - Gimme Some Neck (1979)
- 1234 - 1234 (1981)
- スライド・オン・ディス - Slide on This (1992)
- ノット・フォー・ビギナーズ - Not for Beginners (2002)
- アイ・フィール・ライク・プレイング - I Feel Like Playing (2010)
ライヴ・アルバム
- ライブ・アット・リッツ - Live at the Ritz (1988) with Bo Diddley
- スライド・オン・ライヴ - Slide on Live: Plugged in and Standing (1993)
- エレクトリック・レディランド - Live & Eclectic (2000) (reissued in 2002 as Live at Electric Ladyland)
- Mad Lad: A Live Tribute to Chuck Berry (2019)
コンピレーション・アルバム
- ロン・ウッド・アンソロジー - Ronnie Wood Anthology:The Essential Crossexion (2006)
ジェフ・ベック・グループ
- トゥルース - (1966)
- ベック・オラ - (1969)
フェイセズ
- ファースト・ステップ - (1970)
- ロング・プレイヤー - (1971)
- 馬の耳に念仏 - (1972)
- ウー・ラ・ラ - (1973)
ローリング・ストーンズ
- ブラック・アンド・ブルー - (1976)
- ラブ・ユー・ライブ - (1977)
- 女たち - (1978)
- エモーショナル・レスキュー - (1980)
- 刺青の男 - (1981)
- スティル・ライフ - (1982)
- アンダーカヴァー - (1983)
- ダーティ・ワーク - (1986)
- スティール・ホイールズ - (1989)
- フラッシュポイント - (1991)
- ヴードゥー・ラウンジ - (1994)
- ストリップド - (1995)
- ブリッジズ・トゥ・バビロン - (1997)
- フォーティ・リックス - (2002)
- ア・ビガー・バン - (2005)
- シャイン・ア・ライトオリジナルサウンドトラック - (2004)
- ブルー&ロンサム - (2016)
- リヴィング・イン・ア・ゴースト・タウン (シングル) - (2020)
著作
- 『俺と仲間 ロン・ウッド自伝』(2009年、シンコーミュージック・エンタテイメント、ISBN 4401632311)
注釈
出典
外部リンク
- ワーナーミュージック・ジャパン - ロン・ウッド
- Ron Wood
- Ronnie Wood Artist biography
- Ronnie Wood's Art Agency
- Fansite Slide On Ron
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/02 12:17 UTC (変更履歴)
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