セリーヌ・ディオン : ウィキペディア(Wikipedia)

セリーヌ・マリー・クローデット・ディオン(、1968年3月30日 - )は、カナダ出身の歌手。

『FALLING INTO YOU』で最優秀アルバム賞、「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン(タイタニック愛のテーマ)」で最優秀レコード賞など計5回のグラミー賞を受賞している。の集計で、ディオンは全米で2番目に売れた女性アーティストであり、『FALLING INTO YOU』と『レッツ・トーク・アバウト・ラヴ』はいずれもアメリカ国内でダイアモンドに認定されているほか、イギリスでは売り上げが100万枚を超えるシングルが2枚ある唯一の女性アーティストでもある。また、1995年のアルバム『フレンチ・アルバム』は、フランス語アルバムとしては史上最多売上枚数を記録した"The real Céline: Céline Dion’s new French album shows her personal side " 29 May 2007. CBC. Retrieved 12 October 2009.。全世界におけるアルバム売上枚数1億7500万枚を上回った直後の2004年、ディオンは最多売上枚数の女性アーティストを決めるワールド・ミュージック・アワードでショパールダイヤモンド賞を受賞しているCeline Dion honoured by World Music Awards Canada.com Retrieved 1 December 2010World Music Awards to honor Celine Dion CTV News Retrieved 1 December 2010。カナダ人歌手として史上最多売上記録を持つほか、全世界での総売上枚数は2億枚を超えており、世界の音楽史上最も売れたアーティストのひとりでもある"Dion Named All-time Best-selling Canadian Act ". (6 January 2000). Allbusiness. Retrieved 12 October 2009.。

ディオンが曲を発売するたび、その圧倒的な声量と技術的に卓越した歌唱力がおもに評価される対象となっている 。

その音楽は、ポップス、ロック、R&B、ソウルのほかに、ゴスペル、クラシックなど幅広いジャンルに影響されていて、ファンや評論家にはディオン自身の声、歌詞の持つ本来の意味を歌い上げる能力などが高く評価されている。

もともとフランス語が母語で、現在では英語も達者となり日常的に使用するが、自身が歌う曲の歌詞の言語としては、それら英語・フランス語に加えて、スペイン語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、日本語、中国語と、さまざまな言語の歌詞を歌いこなす。

来歴と人物

カナダ東部のケベック州はフランス系移民(フランス系カナダ人)の多い地域であり、人々はフランス文化に誇りを持ち、フランス語(カナダ・フランス語)を公用語としているBS-TBS 『SONG TO SOUL』#57「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」セリーヌ・ディオン。2018年10月7日ほか放送。。1968年、セリーヌ・ディオンはそのケベック州のシャルルマーニュ(モントリオール郊外)で、ミュージシャンの両親のもと、14人兄弟姉妹の末子として生まれた。そして両親の愛情をたっぷり受けて育ったBS-TBS 『SONG TO SOUL』#57「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」セリーヌ・ディオン。ポール・ハーバーマンへのインタビュー。。

幼少より、歌にたぐいまれな才能を発揮した。その才能を早くから見抜いたのがルネ・アンジェリルで、のちにディオンの音楽マネージャー、そしてさらにあとには、ディオンの夫となる人物である。アンジェリルはディオンの才能と歌声に惚れ込み、自分の自宅を抵当に入れてまでディオンのデビューアルバムの発売資金を調達するなどして、尽力した。

キャリア

ディオンはさまざまなジャンルの音楽の影響を受け、12歳でプロとして歌うようになった。

1980年代

1981年にフランス語で歌うファースト・アルバムを発売。ファーストアルバム発売後、数多くのツアーの誘いがあったにもかかわらず、アンジェリルは「この才能をつぶすわけにはいかない」という理由ですべての依頼を断った。

1982年、「第13回ヤマハ世界歌謡音楽祭」出場のために初訪日し金賞を獲得した。1984年にはパリのオランピア劇場に最年少で出演。

1980年代初頭に多くリリースしたフランス語アルバムに続き、1986年にはCBSレコードカナダと契約した。1987年の8枚目のアルバム『INCOGNITO』(インカニート)は地元ケベック州で大ヒットとなり、音楽関係者にその存在を知られるようになった。1988年のユーロビジョン・ソング・コンテストで「スイス代表」として出場し、32年ぶりの優勝するなど、数多くの国際コンテストを総なめにした。このようにして 1980年代には国際的な認知を得はじめていた。

おもにカナダで活動していた当時、ディオンは英語がまったく話せず、英語での会話すらできなかった。つまりディオンはカナダ・フランス語しか話せなかったのであるが、その後に英語を猛勉強した。

1990年代

ディオンは最初の英語のアルバムのレコーディングのために、デイヴィッド・フォスターとともにロス・アンジェルス(L.A.)に居を移した。なおこの時点で、ディオンはL.A.に知り合いがただのひとりもいない状態だった。

1991年に初の英語アルバム『ユニゾン』を発売し、世界的スターへの道を歩みはじめる。

1992年にはアルバム『Celine Dion』を発売。

1991年の『美女と野獣』(上述の『Celine Dion』にも集録)、1997年の『タイタニック』など、数多くの映画にサウンドトラックを提供し、また1996年のアトランタオリンピックの開会式で『パワー・オブ・ザ・ドリーム』を歌った。

1994年、初の訪日公演。12月17日にアンジェリルと結婚。

日本ではフジテレビの1995年のドラマ『恋人よ』の主題歌に使われた「トゥ・ラヴ・ユー・モア」が130万枚以上を売り上げる大ヒットとなった。この曲にはクライズラー&カンパニーも参加していた(この縁で1996年からのワールドツアーに葉加瀬太郎が参加)。

1995年に発売されたフランス語アルバム『フレンチ・アルバム』がフランス国内で400万枚を超える売上となり、歴代最高売上記録となる。この功績により翌年1996年にフランス政府より芸術文化勲章を授与される。

1997年、2度目の来日公演、全国6都市10公演のアリーナツアー。

1998年、ケベック国家勲章(National Order of Quebec)、カナダ勲章(Order of Canada)を受勲。

1999年、3度目の来日公演、全国3都市5公演のドームツアー。ベストアルバム『ザ・ベリー・ベスト』発売と同時に活動休止を発表。

1990年代には、「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」、「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」や、1997年公開の映画『タイタニック』の主題歌になった「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界的大ヒットなどで、ディオンは英語圏、フランス語圏におけるポピュラーミュージック界の大御所となった。

1990年代にはアンジェリルのマネージメントのもと、エピック・レコードとの契約、英語アルバムやそれまでと同様にフランス語アルバムのリリースを経て世界的な名声を獲得し、ポップミュージックの歴史上もっとも成功したアーティストのひとりとなっていた。しかし人気絶頂であった1999年、自身の出産や、癌を患っていた夫との時間を大切にしたいとの理由から芸能活動の休止を発表したCeline Dion. "Interview with Celine Dion." Peter Nansbridge. The National. With Alison Smith. CBC-TV. 28 March 2002. Transcript.。

2000年代

2002年には活動を再開し、アルバム『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復帰。2003年からはネバダ州パラダイス(ラスベガス都市圏の一部)のシーザーズ・パレスコロシアムにおいて専用の劇場ショーを契約し、New Day... Live in Las Vegasという定期公演を毎晩3年間(のちに2007年までに延長)にわたって継続した"Celine Dion Releases 1st CD Since 1997". (15 April 2002). Digital Journal Retrieved (12 October 2009)。

2005年1月6日、スターの名前を刻んだハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに2,244人目の仲間入りをした。このときの全世界でのセールスは1億5千万枚。

2007年1月、アメリカの経済誌『フォーブス』がエンターテイメント界で活躍する女性で資産の多い女性トップ20を発表し、総資産303億円で第5位にランクインした。2007年11月7日、アルバム『Taking Chances』を日本先行でリリース。

2008年2月14日から10年ぶりとなるワールドツアー『Taking Chances』を行なった。2008年には9年ぶりとなる4度目の来日公演(東京・大阪で全4公演のドームツアー)を行なった。

2008年から現在に至るコンサートでは、尊敬するクイーンフレディ・マーキュリーへのトリビュートとして「ウィ・ウィル・ロック・ユー」と「ショウ・マスト・ゴー・オン」を歌っている。

2010年代

2010年2月10日、ディオンのラスベガス長期コンサートが復活との発表がなされた。前回と同じくシーザーズ・パレス・ホテルの特設コロシアムにて、約4か月に及ぶロングラン公演。2011年3月15日より公演がスタートしたが、1年以上前の2010年2月後半よりチケット販売が開始された。

2011年時点で、シングル&アルバム総売り上げは2億枚を超えており、ローリング・ストーンズやピンク・フロイドといった大物アーティストと肩を並べるほどの実績をもっている。

2014年11月11日から19日に5度目の訪日公演が予定されていたが、マネージャーでもある夫の看病や家族との時間に専念するため、またディオン本人も喉に炎症が起きる病気を患い完治していなかったため、全公演中止となった。これに伴い、7月29日以降ラスベガスで予定されていた公演の無期限中止、アジアツアーの全日程も中止となった。セリーヌ・ディオン Japan Tour 2014 公演中止のお知らせ H.I.P. 来日公演公式サイト 2014年8月13日付。

2015年8月27日、ラスベガスのシーザーズ・パレスのショーから復帰。

2016年1月14日に夫、その2日後の16日には兄を亡くす。

仕事への姿勢・人柄・ステージ仲間選び

ディオンは歌手・ミュージシャンという自分の仕事に関して完璧主義者であり、アルバムの録音やコンサートはもちろんのこと、デモ版の作成であれ、どのような場合も十分にリハーサルをし、練習を重ね、自身の最高のものを提供する、とディオンの仕事関係者で現マネージメント顧問は評した。

両親の愛情をたっぷり受け育ち、大家族で14人の兄弟姉妹で育ったために、ディオンは地に足がついている(浮ついたところがまったくない)という。また、マネージャーで夫となったルネ・アンジェリルもそうした、地に足がついた価値観を共有しているという。

すでに世界中でヒットを飛ばし、現在はアメリカでの活動が多いが、コンサートやショーでのバックバンドのメンバーは、ディオンの出身地であるカナダの人が多い。ディオンは、ただ歌手というだけでなく、根っからのミュージシャンだ、と1990年代からステージで一緒に活動しているベーシストのマーク・ランギスは評した『SONG TO SOUL』#57, Marc Langisへのインタビュー。。だから、ディオンはステージや世界ツアーで一緒に働く人々をじっくりと時間をかけて選んでいるといい、1990年代から、ほぼ同じメンバーたちとともに活動しており、新入りのメンバーはせいぜい数名にとどまるという。

ディスコグラフィ(抜粋)

英語スタジオアルバム

  • 1990年: ユニゾン
  • 1992年: セリーヌ・ディオン
  • 1993年: ラヴ・ストーリーズ
  • 1996年: FALLING INTO YOU
  • 1997年: レッツ・トーク・アバウト・ラヴ
  • 2002年: ア・ニュー・デイ・ハズ・カム
  • 2003年: ワン・ハート
  • 2007年: Taking Chances
  • 2013年: Loved Me Back to Life
  • 2019年: Courage

フランス語スタジオアルバム

  • 1987年: Incognito
  • 1991年: フランス物語〜セリーヌ・ディオン、プラモンドンを歌う
  • 1995年: フレンチ・アルバム
  • 1998年: 愛するだけでよかったら
  • 2003年: 1人の女と4人の男
  • 2007年: 愛のうた
  • 2012年: Sans attendre
  • 2016年: Encore un soir

シングル

シングル 最高位
1990「哀しみのハートビート」6472
1992「イフ・ユー・アスクト・ミー・トゥ」3457
「ビューティー・アンド・ザ・ビースト〜美女と野獣」 (ピーボ・ブライソンとのデュエット)299
1993「パワー・オブ・ラヴ」114
「ジギィ」
1994「シンク・トワイス」14951
1995「トゥ・ラヴ・ユー・モア」 with クライズラー&カンパニー1
1995「愛をふたたび」7
「私は知らない」
1996「ビコーズ・ユー・ラヴド・ミー」115
「イッツ・オール・カミング・バック・トゥ・ミー・ナウ」223
1997「オール・バイ・マイセルフ」46
「愛を伝えて〜Tell Him」 (バーブラ・ストライサンドとのデュエット)123
1998「ザ・リーズン」11
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」141134
「イモータリティ」(ビージーズとのデュエット)5
「アイム・ユア・エンジェル」 (R・ケリーとのデュエット)3713
「愛するだけでよかったら」
2000「アイ・ウォント・ユー・トゥ・ニード・ミー」1
2001「風に吹かれるままに」 (ガルーとのデュエット)
2002「ア・ニュー・デイ・ハズ・カム」2227
2003「アイ・ドローヴ・オール・ナイト」14527
「男たちの金すべて」2
2005「あなたを忘れない」
2007「愛のうた」
「Taking Chances」54

ツアー

ツアー名音源
1983年 - 1984年Les chemins de ma maison tournéeなし
1985年C'est pour toi tournéeビニールレコード Céline Dion en concert
1988年Incognito tournéeなし
1990年 - 1991年Unison TourVHS Unison
1992年 - 1993年Celine Dion Tourなし
1994年 - 1995年The Colour of My Love TourDVD、VHS The Colour of My Love Concert; CD À l'Olympia
1995年D'eux TourDVD、VHS Live à Paris; CD Live à Paris
1996年 - 1997年Falling into You TourVHS Live in Memphis
1998年 - 1999年Let's Talk About Love TourDVD、VHS Au cœur du stade; CD Au cœur du stade
2003年 - 2007年A New Day...DVD Live in Las Vegas - A New Day...; CD A New Day... Live in Las Vegas
2008年 - 2009年Taking Chances Tourなし

注釈

出典

関連項目

  • あみん - 同じくヤマハが主催するヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に、同じ1982年に出場し、グランプリを獲得した。

外部リンク

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