ロイス・ウェバー : ウィキペディア(Wikipedia)

ロイス・ウェバーLois Weber, 1881年6月13日 - 1939年11月13日)は、アメリカ合衆国の女優、映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。1914年(大正3年)に監督作『ヴェニスの商人』を発表、初めて長篇劇映画を演出した女性監督として知られるLois Weber, Internet Movie Database, 2010年4月2日閲覧。。出生名はフローレンス・ピーツFlorence Pietz)。

人物・来歴

1881年(明治14年)6月13日、アメリカ合衆国ペンシルベニア州アレゲニー(現在の同州ピッツバーグノースサイド)に生まれる。

長じて、同地で卓越したピアニストになるが、家出をし、歌い手としてのキャリアを求めようとニューヨーク市へと移った。実家を離れてからのウェバーは貧困の中に暮らし、街頭での福音伝道者として働き、ニューヨークやピッツバーグで説教をし賛美歌を歌った。1905年(明治38年)、ゴーモンの米国部門に演技者として入社、翌1906年(明治39年)には、同社のマネージャーであったフィリップス・スモーリーと結婚した。

1908年(明治41年)には、Hypocrites と題する脚本を執筆し、映画作家・アリス・ギィ=ブラシェの夫であるハーバート・ブラシェが監督した。Hypocrites は、1915年(大正4年)にウェバーが脚本を執筆し、監督し、プロデュースし、主演した映画と同一のタイトルであり、同作は、当時にしては大胆に考察された社会的主題、道徳的レッスンを目指したものであった。そのような映画と主題には、人工妊娠中絶や避妊を扱った『暗中鬼』、死刑制度を扱った The People vs. John Doe、アルコール使用障害や薬物依存症を扱った Hop, the Devil's Brew (いずれも1916年)等がある。主題が議論を巻き起こしたおかげで、ウェバーの監督作の多くは興行的に成功を収めた。

1916年(大正5年)には、ウェバーは、ユニバーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)社内でももっとも高給をとる監督になり、同年、ロシア出身のバレリーナであるアンナ・パヴロワの映画デビュー作、ユニバーサル特作映画『ポルチシの唖娘』を監督したThe Dumb Girl of Portici, silentera.com , 2010年4月6日閲覧。。翌1917年(大正6年)には、自らの製作会社ロイス・ウェバー・プロダクションズを設立している。ウェバーは、当時女性でただひとり、アメリカ映画監督協会の会員であることを許されていた。この時期のウェーバーのもっとも成功した作品は、クレア・ウィンザールイス・カルハーンが主演した『汚点』である。同作は、パラマウント映画が配給した5作のウェバー作品の1作である。

1925年1月、500万ドルをかけた人気小説の映画化の焼き直しのためカール・レムリに雇われウェバーは再びユニバーサルに戻ったShelley Stamp, "Lois Weber in Jazz Age Hollywood", Framework: The Journal of Cinema and Media 52."Lois Weber Engaged", Moving Picture World (January 31, 1925):487; "Universal Program Running High", Los Angeles Times (January 23, 1925):A9.。毎年ユニバーサルはロン・チェイニー主演の『ノートルダムのせむし男』(1923年)、『オペラの怪人』(1925年)など巨額を投じた大作を製作していたDavid Pierce, 'Carl Laemmle's Outstanding Achievement': Harry Pollard and the Struggle to Film "Uncle Tom's Cabin", Film History 10:4 (1998):459.。低評価により、同年9月の再公開に合わせてウェバーとモウリス・パイヴァーが『オペラの怪人』の編集に任命されたRobert S. Birchard, Early Universal City (Arcadia Publishing, 2009):111.。

1920年代(大正10年代)に入ると、ウェバーの運命に変化を来たした。自社を手放し、1922年(大正11年)には虐待とアルコール依存に溺れるスモーリーと離婚するに至り、ウェーバーは神経衰弱を患うことになる。ハリー・ガンツと1926年(大正15年)に結婚したが、1935年(昭和10年)には離婚している。手がけた最後のサイレント映画は、1927年(昭和2年)に発表した『歓楽地獄』と The Angel of Broadway であった。

最後の監督作は1934年(昭和9年)の White Heat で、砂糖プランテーション農場における異人種(白人と非白人)間結婚の話であった。同作はほとんど収入を得られず、その後のウェバーはユニヴァーサル社でスクリプト・ドクターの仕事を見つけるくらいしか仕事はなくなってしまった。

1939年(昭和14年)11月13日、カリフォルニア州ロサンゼルス市ハリウッドで死去した。満58歳没。財産もなく、子どもももたなかった。映画産業への貢献を称え、ハリウッド大通り6518番地のハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに星を刻んだ。

おもなフィルモグラフィ

特筆以外は監督であるロイス・ウェバー、キネマ旬報映画データベースおよびallcinema ONLINE, 2010年4月2日閲覧。。アンソニー・スライドによれば現存作品は17作であるLois Weber, or the exigency of writing: part six, William D. Routt, www.latrobe.edu.au (ラ・トローブ大学)、2010年4月3日閲覧。。

  • 『日本の田園詩』 A Japanese idyll : 1912年(現存)
  • Suspense : 1913年(現存、英国映画協会が修復中) - 主演およびフィリップス・スモーリーと共同で監督
  • False colours : 1914年(断片が現存)
  • It's no laughing matter : 1915年(断片が現存)
  • Hypocrites : 1915年(現存)
  • 『覆面の義人』 Captain Courtesy : 1915年
  • 『毒流』 Shoes : 主演メアリー・マクラレン、1916年(断片が現存)
  • 『暗中鬼』 Where Are My Children? : 1916年(現存)
  • The People vs. John Doe : 1916年
  • 『ポルチシの唖娘』 The dumb girl of Portici : 主演、1916年(現存)
  • Hop, the Devil's Brew : 1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督・主演
  • The Flirt : 主演マリー・ウォールキャムプ、1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • Sunshine Molly : 1916年(断片が現存)
  • Discontent : 1916年(現存)
  • John Needham's Double : 主演タイロン・パワー・シニア、1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • 『獄屋の月』 The Eye of God : 主演タイロン・パワー・シニア、1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • 『誰が為に』 Saving the Family Name : 主演メアリー・マクラレン、1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • 『家を求めて』 [[:en:Wanted: A Home|Wanted: A Home]] : 主演メアリー・マクラレン、1916年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • 『予言者』 The Mysterious Mrs. Musslewhite : 主演ハリソン・フォード、1917年
  • 『悪魔の声』 Even as You and I : 1917年
  • Hand That Rocks the Cradle : 1917年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督・主演
  • 『医師の女』 The Doctor and the Woman : 1918年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督・脚本
  • 『劇中の妻』 For Husbands Only : 1918年
  • 『あこがれ』 Borrowed Clothes : 1918年 - 監督・脚本
  • 『ターザン』 Tarzan of the Apes : 監督スコット・シドニー、1918年 - 脚本
  • 『憧憬れの都へ』 Forbidden : 1919年
  • 『ホーム』 Home : 1919年 - 監督・脚本
  • 『緑地の夜』 When a Girl Loves : 1919年 - フィリップス・スモーリーと共同で監督
  • 『荒野の花』 Mary Regan : 1919年
  • To please one woman : 1920年(現存)
  • What's worth while? : 1921年(現存)
  • 『汚点』 The Blot : 主演クレア・ウィンザー / ルイス・カルハーン、1921年(現存)
  • Too wise wives : 1921年(現存)
  • 『幸福の宮殿』 A Chapter in Her Life : 1923年(現存)
  • 『彗星雲を衝いて』 The Marriage Clause : 1926年(断片が現存)
  • 『歓楽地獄』 Sensation Seekers : 1927年(現存)
  • The Angel of Broadway : 1927年
  • White Heat : 1934年

関連事項

  • アレゲニー (ペンシルベニア州) ([[:en:Allegheny, Pennsylvania]])
  • [[:en:North Side (Pittsburgh)]]
  • アリス・ギィ=ブラシェ
  • ハーバート・ブラシェ ([[:en:Herbert Blaché]])
  • アメリカ映画監督協会 ([[:en:Motion Picture Directors Association]])
  • クレア・ウィンザー ([[:en:Claire Windsor]])
  • ルイス・カルハーン ([[:en:Louis Calhern]])script doctor
  • スクリプト・ドクター ([[:en:script doctor]])
  • ハリウッド大通り ([[:en:Hollywood Boulevard]])

外部リンク

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