リチャード・ウェスリー : ウィキペディア(Wikipedia)
初代モーニントン男爵リチャード・ウェズリー(、出生名リチャード・コリー()、1690年 – 1758年1月31日)は、アイルランド王国の政治家、貴族。1729年から1746年まで議員を務めた。
生涯
とメアリー・アッシャー(、サー・ウィリアム・アッシャーの娘)の六男として、1690年に生まれた。家庭教師の指導を受けた後、1706年にダブリン大学トリニティ・カレッジに入学、1711年にB.A.の学位を、1714年にM.A.の学位を修得した。
1713年にの監査官および記録事務官()に任命され、1725年に同病院に関する著作を出版した。その後、1732年に同病院の理事に任命され、1758年に死去するまで務めた。
1723年に兄が死去すると、家長としてキルデア県での領地を継承したが、父が遺言状で娘にも多額の遺産を残したため、リチャードが継承した領地の価値はそれほど大きくなかった。1728年9月23日、従兄弟にあたるギャレット・ウェズリーの遺産であるミーズ県のとの地所を継承、議会立法を経て同年11月15日より姓をウェズリーに改めた。
1729年から1746年までの代表として議員を務め、議会では合計で52の委員会の委員を務め、トリム選挙区の利益を追求した。1746年7月9日にアイルランド貴族であるミーズ県におけるモーニントン男爵に叙され、同年10月6日に議員に就任した。
1734年、を務めた。
1758年1月31日にダブリンのグラフトン・ストリートにある自宅で死去、息子ギャレットが爵位を継承した。ダンガン城に多くの資金を投じたが、息子が遺産を継承した時点でも年収8,000ポンドを得られるほどの資産だった。
家族と私生活
1719年12月23日、エリザベス・セール(、1738年6月17日没、の娘)と結婚、1男2女をもうけた。
- エリザベス - 1743年、と結婚、子供あり
- フランシス() - 1750年、(1768年9月11日没)と結婚、子供あり
- ギャレット(1735年7月19日 – 1781年5月22日) - 第2代モーニントン男爵、初代モーニントン伯爵
自邸であるの改築、増築に多額の資金を投じ、友人を度々自邸に招待した。『オックスフォード英国人名事典』はウェズリーにとってアイルランド庶民院議員がただの副業()であると評し、ウェズリー家の友人メアリー・ディレイニーは1731年にダンガン城に招かれた後、自身の日記でウェズリーを高く評価し、「自身の富を周りの人を喜ばせるための手段としか見ていない」()と記した。
出典
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/16 14:29 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.