山賀博之 : ウィキペディア(Wikipedia)
山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日ワークショップ The 4th Animation Kobe - )は、日本の映画監督、脚本家。株式会社ガイナックス元代表取締役社長。
監督作品として映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』などが知られる。
経歴・人物
新潟県新潟市生まれJunpei Ota, 山賀 博之インタビュー Visionary Story 自分にとってアニメは手段 2014年5月 OSICA magazine。新潟市立宮浦中学校卒業、新潟県立新潟南高等学校卒業、1980年、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)入学、中退。
映画監督の庵野秀明とは同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。
1981年、第20回日本SF大会(愛称:DAICON 3)のオープニングムービー制作を期に集まったDAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わるDAICON FILM 33 ガイナックスの原点「DAICON FILM」が33周年で何かやるらしい バニーガール再来か? 2013年12月25日 16時23分 更新 ねとらぼ。
1984年、ガイナックスを設立。大阪での活動に限界を感じていた山賀は、同時期に不倫問題から大阪に居場所を無くしたと悩んでいた岡田斗司夫の窮地を契機と考え、岡田を東京進出に誘うhttps://news.livedoor.com/article/detail/7028667/ 「エヴァ」制作会社は「不倫で誕生」告白 岡田斗司夫「英雄談扱いしてほしくない」。岡田は、自身の利害と一致していたため、山賀の誘いに乗り、不退転の覚悟で東京進出を決めた、と語っている。しかし、赤井孝美と庵野秀明は、マクロスの制作に参加したことによって3人はプロになろうと決意したが、当時は大阪の学生でプロの成り方が分からず(当時のアニメ制作は一作品ごとにスタッフを集めるシステム)悩んでいた時に、「色んな人脈がある岡田さんが問題を起こして大阪出て行くと言い出したので山賀が、なら一緒に東京行きましょうになった」と語っており、若干の違いがある。 赤井は、山賀は本当は大学卒業してから東京に行くつもりだったとも語っている。誰もが上手くいくとは考えていない中、バンダイへのプレゼンに成功し資金を引き出すことで、岡田斗司夫らと共に、後述の映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』制作のための企業という名目で株式会社ガイナックスを設立したニコニコ生放送「ニコ生 岡田斗司夫ゼミ」2012年9月27日放送。
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監督にはどうすればなれるかと思い、淀川長治の本を読むと「同じ映画を十回観れば映画監督になれる」と書いてあったので、『がんばれ!ベアーズ 特訓中』を10回観て本当になってしまった、と語っている。
エピソード
- 若い頃は、周囲の特撮ファンから「顔がキャプテン・スカーレットやモロボシダン(すなわち俳優の森次晃嗣)と似ている」と言われていた。
関わったアニメ作品
自主制作フィルム
テレビアニメ
劇場映画
OVA
その他
関わったその他の作品
自主制作フィルム
- ウルトラマン(出演) 1980年
- ウルトラマンDX(監督・出演) 1981年
- 〔タイトル不明〕(監督) 1981年
- 帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令(撮影協力) 1983年
- 八岐之大蛇の逆襲(出演) 1985年
劇場映画
- ラブ&ポップ(出演・小道具協力) 1998年
- キューティーハニー(出演・企画協力) 2004年
- 血筋(プロデューサー) 2018年
その他
- 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争より クリスが見る夢(ノベライズ執筆) 1988年
- ガイナックス CD-ROM画集シリーズ(プロデュース) 1994年〜
- アオイホノオ(第七話 喫茶店マスター役で出演) 2014年
- 大徳寺真珠庵襖絵プロジェクト「かろうじて生きている」 2018年
関連作品
- アオイホノオ - 1980年代前半の大阪芸大やDAICON FILMの様子を描いており、山賀も登場する。2014年にTVドラマ化された際は、ムロツヨシが山賀を演じた。
関連項目
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/05 16:10 UTC (変更履歴)
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