マリオ・アンドレッティ : ウィキペディア(Wikipedia)

マリオ・ガブリエレ・アンドレッティMario Gabriele Andretti, 1940年2月28日 - )は、イタリア出身のアメリカ人レーシングドライバー。1978年のF1ワールドチャンピオンであり、インディカーでも、、のアメリカ合衆国自動車クラブ(USAC)選手権及び1984年のインディカー・シリーズの4回のチャンピオンを獲得した。インディ500、デイトナ500とF1チャンピオンを全て獲得した唯一のドライバーである。

プロフィール

アメリカでの成功

マリオ・アンドレッティは当時イタリア領のモントーナ(Montona d'Istria 、現在のクロアチアのモトヴン)で生まれ、第二次世界大戦後に一家でアメリカへ移住した。

アメリカへ移るとすぐ、1959年にダートオーバルレースからレーシングキャリアをスタートさせた。1964年にアメリカ国籍を獲得し、アメリカ合衆国自動車クラブ (USAC) のオープンホイールカー・シリーズ(後のCARTシリーズ)に参戦するようになる。1965年にはUSACのナショナルチャンピオンを獲得し、1966年、1969年にもチャンピオンに輝いた。

世界三大レースのひとつであるインディ500では1965年にルーキー・オブ・ザ・イヤー、1966年に初ポールポジション、1969年に初優勝を達成した。また、ストックカーレース(NASCAR)のデイトナ500でも1967年に優勝し、名実共にアメリカを代表するドライバーのひとりになった。

また、スポーツカーレースにおいてもセブリング12時間レースで3勝、デイトナ24時間レースで1勝し、ル・マン24時間レースやカナディアン-アメリカン・チャレンジカップ (Can-Am) に参戦するなど、車両やコースの種類を問わないオールマイティーな才能をみせた。

F1参戦

1968年、アンドレッティはロータスよりスポット参戦でF1に参戦を開始した。初参戦はイタリアグランプリだったが、予選走行後、同週末に開催されたフージャー100に参戦するためにアメリカに戻った。イタリアグランプリ主催者は、アンドレッティがフージャー100に参戦した場合には、レースの24時間以内に別のレースに参戦することを禁じたルールに従い、イタリアグランプリへの出走を禁じるとしていた。アンドレッティはアメリカに戻り、イタリアグランプリ決勝には出走しなかった 。2度目の参戦はアメリカグランプリだった。このレースでアンドレッティはポールポジションを獲得した。F1では、初めて決勝に進出したレースをデビュー戦とするため、アンドレッティは「デビュー戦でポールポジション」を獲得したことになる。F1デビュー戦でPPを獲得したのは史上4人しかいない他の3人はジュゼッペ・ファリーナ、カルロス・ロイテマン、ジャック・ヴィルヌーヴ。但しジュゼッペ・ファリーナはF1開催第一回目に当るので実質2人。。

1971年にはフェラーリに乗り、開幕戦南アフリカグランプリでF1初優勝を記録。1975年にはアメリカチームのパーネリでフル参戦するが、撤退により1976年途中からロータスに加入。コーリン・チャップマンと協力して当時低迷していたチームを徐々に上位に押し上げて行く。同年に日本で初めて開催されたF1レース、F1世界選手権イン・ジャパンでは、豪雨の中でロータス・77を見事に操り、5年ぶりの優勝を飾った。1977年シーズンは年間最多勝(4勝)を記録した。

1978年は最強のウィングカー、ロータス・79を得て年間6勝を挙げ、フィル・ヒル(1961年)以来2人目となるアメリカ人F1ワールドチャンピオンとなった。ただし一部には「チームメイトのロニー・ピーターソンの方がアンドレッティより速いのに、チームオーダーでアンドレッティを先行させていた」という説も存在する。当時アンドレッティ自身、「チーム内の約束がなければロニーが勝てたレースはまだ2つか3つはあっただろう」と述べている。しかしながら、同年のロータス・79の活躍はアンドレッティのマシン開発能力によるものであることは総帥コーリン・チャップマンも認める所であった。

ロータスには1980年まで在籍し、1981年にアルファロメオへ移籍。同年でF1フル参戦に区切りをつけた。しかし1982年、カルロス・ロイテマンがフォークランド紛争激化によるあおりを受け突然の引退を発表したため、その穴を埋める形でウィリアムズに加わり、アメリカ西グランプリに出走。同年終盤のイタリアグランプリとラスベガスグランプリには、ジル・ヴィルヌーヴとディディエ・ピローニのレギュラードライバー2人を相次いで欠く事態に見舞われたフェラーリからのオファーを受諾し、フェラーリ・126C2で参戦する。イタリアグランプリでは予選ポールポジションを獲得。決勝でも3位表彰台を獲得し、フェラーリのコンストラクターズ・チャンピオン獲得に貢献した。

再びアメリカへ

1982年をもってF1での活動は完全に終了し、活躍の場をアメリカに戻した。アンドレッティのF1撤退後に、F1に参戦したアメリカ人ドライバーはエディ・チーバー、ダニー・サリバン、息子のマイケル、スコット・スピード、アレクサンダー・ロッシ、ローガン・サージェントのわずか6人のだけである。

1984年には4回目となるCARTのタイトルを獲得し、1994年までCARTにレギュラー参戦した。その後も2000年までル・マン24時間レースに参戦。アメリカとヨーロッパの大レースで輝かしい成績を残してきたものの、ル・マンでの勝利だけは実現できなかった(最高位は1995年の2位)。

2000年には国際モータースポーツ殿堂に殿堂入りした。

2003年には負傷したトニー・カナーンの代役として、63歳にしてインディ500参戦を表明"マリオ・アンドレッティ、インディで復活". Web CG.(2003年4月25日)2013年5月28日閲覧。。プライベートテストに参加したが、直前にケニー・ブラックがクラッシュした際の破片を踏んだマシンが空中高く舞い上がるクラッシュを演じてしまう。マシンはフェンスに接触した上に縦に3回転したものの幸い元の体勢で着地し、アンドレッティ自身に怪我はなかった。

2006年にはディズニーピクサーの映画カーズで、本人役で声優として出演した(ただし、アニメの設定上のマリオ・アンドレッティは往年の名レーサーの「車」である)。

2012年にはアンバサダーを務めるサーキット・オブ・ジ・アメリカズ (COTA) の開業セレモニーで、往年のロータス・79をドライブして初走行を行った。

2013年には、アニメ映画『ターボ』にゲスト声優として参加したほか、エイミー・グラントの1991年のヒット曲『Good For Me』の中で歌われている。

F1界に復帰

2024年11月、シーズンよりゼネラルモーターズからキャデラックのコンストラクターとしてF1に参戦が決定し、チームの非常勤取締役に内定した。

人物

2022年10月16日、F1アメリカグランプリの行われる前週に2013年型のF1「マクラーレン・メルセデス MP4-28」82歳のマリオ・アンドレッティ、マクラーレンの2013年型F1マシンで爆走F1-gate 2022年10月17日を82歳にしてデモ走行させたマリオ・アンドレッティ、アメリカGPの前にマクラーレンのF1マシンをドライブオートスポーツ 2022年5月16日。ラグナ・セカで行われたこのデモランはミカ・ハッキネンの乗るマクラーレン・MP4/2とのランデブー走行で行われ、走行を終えてマシンから降りたアンドレッティは、「近代のF1に乗った感想は、とてもスウィートだった。私はスーパーライセンスのポイントがもらえるかな?(直近にコルトン・ハータに対してのスーパーライセンス発給の可否を巡り論争が発生していた。)」とジョークを交えてコメントしたThe Flying Finn MikaHakkinen meets MarioAndretti at LagunaSeca. Goodwood FOS 2022年10月16日。

イタリア系アメリカ人である為、イタリアでも人気がある。

発言

歯に衣着せぬ発言で知られる。

1982年のインディ500でスタート直後に、ケビン・コーガンの乗るペンスキーと衝突してリタイアした際、アンドレッティは激怒し、インタビューでは「ガキに運転をやらせた結果だ」と発言している。

ルイス・ハミルトンのBLM活動について評価しつつも、「F1に政治を持ち込んでいる」「思い上がっているだけ」「(メルセデスAMG F1は)マシンを黒に塗っていたが、それが何の役に立つのか分からない」と批判している。NASCARドライバーのババ・ウォレスについても「酷い状況に見えたが、実際にはそうではなく(ロープが吊り縄状になっていたのには)特に理由がなかった。これは偏った見方によるもので、政治的なことを考えた結果起きたこと」と発言し物議を醸した。この発言についてハミルトンは「年配の世代の一部が、固定観念から抜け出せずに、認めることが出来ていないという現実があるのは確かだ」と落胆している。

アンドレッティ・ファミリー

アンドレッティ家はレーシング一族としても知られ、息子のマイケルとジェフもレーサーになった。マイケルはCARTでチャンピオンを獲得し、1993年にはF1に参戦した。マイケルの子である孫のマルコもレーシングドライバーとしてデビューし、IRLで参戦1年目で史上最年少優勝を遂げている。

マリオの一卵性双生児の兄アルドも元レーシングドライバーで、その息子でマリオの甥となるジョンとアダムはNASCARで活躍。ジョンはCART/チャンプカーにもフル参戦し優勝経験もあるなど活躍したが、2020年に大腸癌のため56歳で死去した。

アンドレッティ家のドライバーは、最大のイベントである『インディ500』で予選ポールポジションや決勝で好走しながらもトラブルに見舞われるなど最終的に勝利できないというジンクスを持ち、長い参戦歴の中でいまだマリオが1勝したのみである。息子であるマイケルとジェフ兄弟や、マイケルの従兄ジョン、果ては孫のマルコまでもインディ500は未勝利で、アンサーファミリーが一族で何度か勝利経験を持つのとは対照的な結果となっている。2006年には500マイルレース最終盤までマルコ-マイケルの親子1-2態勢を築きながら、ラスト3周でマイケルが、更にチェッカー寸前にマルコが、それまで3位につけていたサム・ホーニッシュ・ジュニアに交わされ、2位と3位に終わるという結末になり話題となった。

レース戦績

アメリカン・オープン=ホイール・レーシング

USAC・チャンピオンシップ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 順位 ポイント
1964年 ダッグ・ステアリー エルダー・61 FE オッフェンハウザー PHX TRE11 INDY MIL 11位 530
リー・S・グレスナー メスコウスキー・58 D LAN9
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン ブルーム・64 FE TRE11 MIL3 TRE22 PHX18
クーズマ・60 D ISF6 DSF15 INF10 SAC8
1965年 ブルーム・64 FE PHX6 TRE2 ATL2 LAN4 1位 3110
ホーク・I フォード・DOHC INDY3 MIL4 LAN2 PPR TREDNS IRP1 MIL2 MIL16 TRE13 PHX2
クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF3 DSF15 INF2 SAC3
1966年 ホーク・I フォード・DOHC PHX15 TRE4 INDY18 MIL1 LAN1 ATL1 PPR IRP1 MIL1 TRE1 PHX1 1位 3070
ジム・ロビンス ヴォルシュテット・65 LAN21
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF2 DSF15 INF1 SAC10
1967年 ホーク・I フォード・DOHC PHXDNS 2位 3360
ホーク・II TRE1 INDY30 MILDNS LAN3 IRP1 LAN1 MTR1 MTR1 MIL1 TRE25 HAN24 PHX1 RSD3
ボビー・アンサー ロータス・18/21 シボレー V8 PPR14
ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン ホーク・II MOS21 MOS11
クーズマ・60 D オッフェンハウザー ISF2 DSF2 INF1 SAC2
1968年 アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス ホーク・II フォード・DOHC HAN23 LVS2 PHX15 TRE2 PPR4 MIL2 2位 4319
ホーク・III フォード・DOHCターボ INDY33
フォード・DOHC MIL2 MOS2 MOS2 LAN17 CDR15 IRP2 IRP2 MTR1 MTR1 RSD18
クーズマ・60 D オッフェンハウザー NAZ2 ISF18 DSF1 INF2 SAC4
リーダー・カード・レーサーズ ワトソン・68 オッフィ 159 ci V8 LAN23 LAN
アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス ホーク・II TRE1 MCH2 HAN3 PHX24
1969年 STP・コーポレーション ホーク・III フォード・DOHCターボ PHX16 HAN1 INDY1 MIL7 TRE1 MIL4 DOV11 TRE1 PHX21 1位 5055
フォード・DOHC LAN5 CDR10 IRP9 IRP2 BRN4 BRN3 SIR1 SIR2 RSD1
キングフィッシュ・D シボレー V8 PPR1
クーズマ・60 D オッフェンハウザー NAZ1 ISF1 DSF2 INF6 SAC15
1970年 ホーク・III フォード・DOHCターボ PHX13 TRE2 LAN8 MCH21 MIL24 PHX8 5位 1890
フォード・DOHC SON2
マクナマラ・500 フォード・DOHCターボ INDY6 MIL5 ONT10 TRE21
フォード・DOHC CDR1 IRP18
キングフィッシュ・70D フォード・ウエスレイク Mk.IV ISF24 DSF17 INF11 SED2 SAC14
1971年 マクナマラ・501 フォード・DOHCターボ RAF RAF PHX9 TRE18 INDY30 MIL11 POC4 MCH12 MIL19 ONT33 TRE2 PHX4 9位 1370
1972年 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング コルト・70/72 オッフィ 159 ci V8 PHX2 11位 1135
パーネリ・VPJ1 TRE22 INDY8 MIL8 MCH12 POC7 MIL11 ONT27 TRE28 PHX3
1973年 パーネリ・VPJ2 TWS25 TRE4 TRE1 INDY30 MIL8 POC7 MCH5 MIL19 ONT ONT12 ONT2 MCH5 MCH2 TRE7 TWS17 PHX7 5位 2400
1974年 ONT ONT9 ONT25 15位 655
イーグル・74 PHX5 INDY31 POC17 MCH18 MIL8 MCH10 TRE TRE PHX3
パーネリ・VPJ3 TRE9 MIL17
1975年 イーグル・74 ONT ONT ONT28 PHX TRE INDY28 MIL POC25 MCH MIL MCH TRE 23位 210
シュガリペ・プルーン・レーシング・チーム PHX3
1976年 ペンスキー・レーシング マクラーレン・M16C PHX TRE INDY8 MIL POC5 MCH TWS TRE MIL ONT MCH TWS4 PHX3 9位 1200
1977年 マクラーレン・M24 フォード・DFX ONT PHXDNS TWS TRE16 INDY26 MIL POC2 MOS MCH TWS MIL ONT4 PHX4 7位 1580
ペンスキー・PC-5 MCH20
1978年 ペンスキー・PC-6 PHX ONT15 TWS5 TRE13 INDY12 MOS MIL POC23 MCH ATL TWS MIL ONT MCH20 TRE1 SIL BRH PHX7 17位 680
1980年 ペンスキー・レーシング ペンスキー・PC-9 フォード・DFX ONT INDY20 MIL POC17 MDO 37位 40
1981-82年 パトリック・レーシング ワイルドキャット・MK8 INDY2 POC ISF DSF INF 6位 805
ワイルドキャット・MK8B INDY31
1982-83年 ニューマン/ハース・レーシング ローラ・T700 ISF DSF NAZ INDY23 32位 15
1983-84年 ローラ・T800 DSF INDY17 20位 20
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。([[:en:Template:American Open Wheel driver results legend|key]])

PPG・インディーカー・ワールド・シリーズ

チーム シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 順位 ポイント
1979年 ペンスキー・レーシング ペンスキー・PC-7 フォード・DFX PHX ATL ATL INDY TRE TRE MCH MCH WGL TRE ONT3 MCHDNS ATL PHX 11位 700
1980年 ペンスキー・PC-8 ONT INDY20 MIL POC17 MDO MCH WGL MIL ONT MCH1 MEX PHX2 16位 580
1981年 ワイルドキャット・MK8 PHX11 MIL3 ATL3 ATL2 MCH RIV MIL MCH2 WGL16 MEX PHX4 11位 81
1982年 ワイルドキャット・MK8B PHX2 ATL11 MIL9 CLE2 MCH2 MIL3 POC14 RIV23 ROA14 MCH2 PHX3 3位 188
1983年 ニューマン/ハース・レーシング ローラ・T700 ATL5 INDY23 MIL18 CLE14 MCH3 ROA1 POC7 RIV16 MDO2 MCH4 CPL1 LAG2PHX2 3位 133
1984年 ローラ・T800 LBH1 PHX20 INDY17 MIL8 POR26 MEA1 CLE21 MCH1 ROA1 POC19 MDO1 SAN7 MCH1 PHX12 LAG2 CPL2 1位 176
1985年 ローラ・T900 LBH1 INDY2 MIL1 POR1 MEA26 CLE14 MCH10 ROA POC7 MDO7 SAN15 MCH21 LAG11 PHX3 MIA27 5位 114
1986年 ローラ・T86/00 PHX7 LBH5 INDY32 MIL5 POR1 MEA24 CLE3 TOR3 MCH21 POC1 MDO24 SAN8 MCH10 ROA9 LAG4 PHX4 MIA11 5位 114
1987年 ローラ・T87/00 シボレー 265A V8t LBH1 PHX5 INDY9 MIL17 POR10 MEA2 CLE10 TOR15 MCH19 POC19 ROA1 MDO17 NAZ19 LAG17 MIA4 6位 100
1988年 ローラ・T88/00 PHX1 LBH15 MIL17 POR5 CLE1 TOR25 MEA2 MCH12 POC17 MDO2 ROA3 NAZ3 LAG3 MIA15 5位 126
ローラ・T87/00 INDY20
1989年 ローラ・T89/00 PHX8 LBH18 INDY4 MIL7 DET3 POR25 CLE2 MEA20 TOR26 MCH3 POC5 MDO7 ROA7 NAZ8 LAG2 6位 110
1990年 ローラ・T90/00 PHX4 LBH5 INDY27 MIL21 DET25 POR2 CLE4 MEA24 TOR6 MCH3 DEN4 VAN3 MDO2 ROA5 NAZ4 LAG26 7位 136
1991年 ローラ・T91/00 SRF17 LBH19 PHX9 INDY7 MIL3 DET7 POR5 CLE6 MEA15 TOR2 MCH4 DEN15 VAN4 MDO7 ROA3 NAZ5 LAG3 7位 132
1992年 フォード XB V8t SRF7 6位 105
ローラ・T92/00 PHX17 LBH23 INDY23 DET POR6 MIL6 NHA7 TOR4 MCH15 CLE5 ROA5 VAN6 MDO5 NAZ5 LAG2
1993年 ローラ・T93/00 SRF4 PHX1 LBH18 INDY5 MIL18 DET3 POR6 CLE5 TOR8 MCH2 NHA20 ROA15 VAN5 MDO7 NAZ13 LAG9 6位 117
1994年 ローラ・T94/00 SRF3 PHX21 LBH5 INDY32 MIL14 DET18 POR9 CLE27 TOR4 MCH18 MDO10 NHA19 VAN11 ROA16 NAZ25 LAG19 14位 45
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。([[:en:Template:American Open Wheel driver results legend|key]])

インディアナポリス500

シャシー エンジン スタート フィニッシュ チーム
1965年 ホーク フォード 4位 3位 ディーン・ヴァン・ラインズ・レーシング・ディヴィジョン
1966年 1位 18位
1967年 1位 30位
1968年 4位 33位 アンドレッティ・レーシング・エンタープライゼス
1969年 2位 1位 STP・コーポレーション
1970年 マクナマラ 8位 6位
1971年 9位 30位
1972年 パーネリ オッフェンハウザー 5位 8位 ヴェルズ・パーネリ・ジョーンズ・レーシング
1973年 6位 30位
1974年 イーグル 5位 31位
1975年 27位 28位
1976年 マクラーレン 19位 8位 ペンスキー・レーシング
1977年 コスワース 6位 26位
1978年 ペンスキー 33位 12位
1980年 ペンスキー コスワース 2位 20位 ペンスキー・レーシング
1981年 ワイルドキャット 32位 2位 パトリック・レーシング
1982年 4位 31位
1983年 ローラ 11位 23位 ニューマン/ハース・レーシング
1984年 6位 17位
1985年 4位 2位
1986年 30位 32位
1987年 シボレー 1位 9位
1988年 4位 20位
1989年 5位 4位
1990年 6位 27位
1991年 3位 7位
1992年 フォード・コスワース 3位 23位
1993年 2位 5位
1994年 9位 32位

NASCAR

グランド・ナショナル・シリーズ

チーム 製造 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54
1966年 ボンディ・ロング 71 シェヴィー AUG RSD16 DAY NA 0
スモーキー・ユニック 13 DAY20 DAY37 CAR BRI ATL HCY CLB GPS BGS NWS MAR DAR LGY MGR MON RCH CLT DTS ASH PIF SMR AWS BLV GPS
オーウェンズ・レーシング 5 ダッジ DAY ODS BRR OXF FON ISP BRI SMR NSV ATL CLB AWS BLV BGS DAR HCY RCH HBO MAR NWS CLT CAR
1967年 ホルマン・ムーディ 114 フォード AUG RSD9 DAY NA 0
11 DAY6 DAY1* AWS BRI GPS BGS ATL19 CLB HCY NWS MAR SVH RCH DAR BLV LGY CLT ASH MGR SMR BIR CAR GPS MGY DAY27 TRN OXF FDA ISP BRI SMR NSV ATL BGS CLB SVH DAR HCY RCH BLV HBO MAR NWS CLT27 CAR AWS
1968年 MGR MGY RSD27 DAY12 ISP OXF FDA TRN BRI SMR NSV ATL CLB BGS AWS SBO LGY DAR HCY RCH BLV HBO MAR NWS AUG CLT CAR JFC NA 0
マーキュリー DAY29 BRI RCH ATL HCY GPS CLB NWS MAR AUG AWS DAR BLV LGY CLT ASH MGR SMR BIR CAR GPS
1969年 97 フォード MGR MGY RSD18 DAY DAY DAY CAR AUG BRI ATL CLB HCY GPS RCH NWS MAR AWS DAR BLV LGY CLT MGR SMR MCH KPT GPS NCF DAY DOV TPN TRN BLV BRI NSV SMR ATL MCH SBO BGS AWS DAR HCY RCH TAL CLB MAR NWS CLT SVH AUG CAR JFC MGR TWS NA 0
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)
    • 最多ラップリーダー。

デイトナ500

チーム マニュファクチャラー スタート フィニッシュ
1966年 スモーキー・ユニック シボレー 39位 37位
1967年 ホルマン・ムーディ フォード 12位 1位*
1968年 マーキュリー 20位 29位

ル・マン24時間レース

チーム コ・ドライバー 車両 クラス 周回数 総合順位 クラス順位
1966年 USA ホルマン&ムーディ BEL ルシアン・ビアンキ フォード・GT Mk.II P+5.0 97 DNF DNF
1967年 BEL ルシアン・ビアンキ フォード・マークIV 188 DNF DNF
1982年 USA ギャンド・ツーリング・カーズ Inc. USA マイケル・アンドレッティ ミラージュ・M12-フォード・コスワース C - DNS DNS
1983年 GER ポルシェ・クレマー・レーシング USA マイケル・アンドレッティFRA フィリップ・アリオー ポルシェ・956 C 364 3位 3位
1988年 GER ポルシェAG USA マイケル・アンドレッティUSA ジョン・アンドレッティ ポルシェ・962C C1 375 6位 6位
1995年 FRA クラージュ・コンペティション FRA ボブ・ウォレクFRA エリック・エラリー クラージュ・C34-ポルシェ WSC 297 2位 1位
1996年 NED ヤン・ラマースGBR デレック・ワーウィック クラージュ・C36-ポルシェ LMP1 315 13位 3位
1997年 USA マイケル・アンドレッティFRA オリビエ・グルイヤール LMP 197 DNF DNF
2000年 USA パノス・モータースポーツ AUS デビッド・ブラバムDEN ヤン・マグヌッセン パノス・LMP-1 Roadster-S-エラン LMP900 315 15位 8位

F1

エントラント シャシー エンジン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント
1968年 ロータス 49B フォード・コスワース DFV 3.0 V8 RSA ESP MON BEL NED FRA GBR GER ITADNS CAN USARet MEX NC 0
1969年 RSARet ESP MON NED FRA GBR NC 0
63 GERRet ITA CAN USARet MEX
1970年 STP (マーチ) 701 RSARet ESP3 MON BEL NED FRA GBRRet GERRet AUTRet ITA CAN USA MEX 16位 4
1971年 フェラーリ 312B フェラーリ 001 3.0 F12 RSA1 ESPRet MONDSQ NEDRet FRA GBR 8位 12
312B2 フェラーリ 001/1 3.0 F12 GER4 AUT ITA CAN13 USADNS
1972年 ARGRet RSA4 ESPRet MON BEL FRA GBR GER AUT ITA7 CAN USA6 12位 4
1974年 パーネリ VPJ4 フォード・コスワース DFV 3.0 V8 ARG BRA RSA ESP BEL MON SWE NED FRA GBR GER AUT ITA CAN7DSQ NC 0
1975年 ARGRet BRA7 RSA17 ESPRet MONRet BEL SWE4 NED FRA5 GBR12 GER10 AUTRet ITARet USARet 14位 5
1976年 ロータス 77 BRARet ESPRet BELRet MON SWERet FRA5 GBRRet GER12 AUT5 NED3 ITARet CAN3 USARet JPN1 6位 22
パーネリ VPJ4B RSA6 USWRet
1977年 ロータス 78 ARG5 BRARet RSARet USW1 ESP1 MON5 BELRet 'SWE'6 'FRA'1 GBR14 GERRet AUTRet NEDRet ITA1 USA2 'CAN'9 JPNRet 3位 47
1978年 ARG1 BRA4 RSA7 USW2 MON11 1位 64
79 BEL1 'ESP'1 SWERet FRA1 GBRRet GER1 AUTRet NED1 'ITA'6 USARet CAN10
1979年 ARG5 BRARet RSA4 USW4 BELRet GBRRet GERRet AUTRet NEDRet ITA5 CAN10 USARet 12位 14
80 ESP3 MONRet FRARet
1980年 81 ARGRet BRARet RSA12 USWRet BELRet MON7 FRARet GBRRet GER7 AUTRet NED8 ITARet CANRet USA6 20位 1
1981年 アルファロメオ 179C アルファロメオ 1260 3.0 V12 USW4 BRARet ARG8 SMRRet BEL10 MONRet ESP8 17位 3
179B FRA8 GBRRet GER9 AUTRet
179D NEDRet ITARet CAN7 CPLRet
1982年 ウィリアムズ FW07C フォード・コスワース DFV 3.0 V8 RSA BRA USWRet SMR BEL MON DET CAN NED GBR FRA GER AUT SUI 19位 4
フェラーリ 126C2 フェラーリ 021 1.5 V6t ITA3 CPLRet
  • 太字はポールポジション、斜字はファステストラップ。(key)

各種レース戦績

  • セブリング12時間レース 1位 (1967年、1970年、1972年)
  • 1位 (1972年)
  • 1位 (1974年)
  • パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム 1位 (1969年)
  • デイトナ6時間レース 1位 (1972年)
  • 1位 (1972年)

関連項目

  • モータースポーツ
  • F1世界チャンピオンの一覧
  • ドライバー一覧
  • F1ドライバーの一覧
  • 国際モータースポーツ殿堂

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/28 01:21 UTC (変更履歴
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