マット・ウィリアムズ : ウィキペディア(Wikipedia)

マシュー・デリック・ウィリアムズMatthew Derrick "Matt" Williams , 1965年11月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州インヨー郡ビショップ出身の元プロ野球選手(三塁手)、野球指導者。右投右打。

祖父のは、からまでブルックリン・ドジャース(現・ロサンゼルス・ドジャース)とワシントン・セネタース(現・ミネソタ・ツインズ)で一塁手や外野手としてプレーした。

経歴

プロ入り前

高校卒業時ののMLBドラフト27巡目(全体664位)でニューヨーク・メッツから指名されたが、この時は入団せずにネバダ大学ラスベガス校に進学した。には第14回日米大学野球選手権のアメリカ合衆国代表に選ばれ、左投手3人(西川佳明、園川一美、猪俣隆)から本塁打を放っている第14回 日米大学野球選手権(2018年10月3日閲覧)。

プロ入りとジャイアンツ時代

のMLBドラフト1巡目(全体3位)でサンフランシスコ・ジャイアンツから指名され、入団。翌4月11日にメジャーデビューを果たした。当初3シーズンはケビン・ミッチェル(のちダイエーでもプレイ)が三塁を守っており、遊撃手を守る機会も多かったが、ミッチェルが左翼手に転向したのシーズン後半には三塁の定位置を確保。このシーズン84試合の出場で18本塁打、50打点を記録。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズにも出場した。

そしてに初のフルシーズンで159試合に出場。打率.277・33本塁打・122打点の成績を残し、打点王を獲得。チームとしてはのウィル・クラーク、1989年のミッチェルに次いで3年連続の打点王獲得となった。また、オールスターにも初出場を果たし、シルバースラッガー賞も受賞した。以後は三塁手に定着。その後も、には34本塁打・98打点で、この年初のゴールドグラブ賞を受賞。

は不振で打率.227、20本塁打、66打点に終わるが、には打率.295・38本塁打・110打点と復調した。

には開幕からホームランを量産したが、リーグ最多の43本塁打を記録した時点で1994年から1995年のMLBストライキによってシーズンが打ち切られてしまった。打ち切りが決定した時点で112試合の出場での43本塁打だったことから、仮にこのペースで本塁打を打ち続けると本来のシーズン終了時には61本塁打に到達して当時のメジャーリーグのシーズン最多本塁打記録(、ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスの61本塁打)を更新する可能性もあった。

そのは故障のため76試合の出場に終わったが、それでも23本塁打、65打点と強打を発揮。

も故障のため105試合の出場に終わるが、22本塁打・85打点を記録。

インディアンス時代

にクリーブランド・インディアンスにトレードで移籍。この年は6月終了時点の打率は.235と低迷したが、後半戦は復調し、8月13日からは自己最長の24試合連続安打を記録している奥田秀樹「祝新球団誕生 マット・ウィリアムス[ダイヤモンドバックス]」『月刊メジャー・リーグ』1998年6月号、ベースボールマガジン社、1998年、雑誌 08625-6、15 - 18頁。。最終的に151試合に出場し打率.263・32本塁打・105打点を記録しチームのワールドシリーズ進出に貢献。シリーズは第7戦までもつれこんだがフロリダ・マーリンズにサヨナラ負けし、ワールドチャンピオンはならなかった。

ダイヤモンドバックス時代

1997年オフ、自宅はフェニックスでシーズン中は子供たちと2回しか会えないのは不十分なため、自宅近くに新設されるアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍を志願し、それが駄目ならインディアンスに引退すると伝えた。インディアンスのGMは1998年までの契約を延長しようと考えていたため交渉は難航したが、12月1日にダイヤモンドバックス側がトラビス・フライマン、に金銭300万ドルを加えた1対2のトレードで移籍。そしてノー・トレード条項を盛り込んだ6年総額4,950万ドルの契約を結んだ。

は20本塁打・71打点に終わったが、には自己最高の打率.302を記録。35本塁打・142打点を記録してオールスターにも出場。142打点は終了時点でルイス・ゴンザレスとともにダイヤモンドバックスの球団タイ記録である。以後は故障がちとなり、不本意な成績が続くが、には球団創設4年目のチームがワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・ヤンキースと対戦。最終戦までもつれ込んだが、4年前と逆にルイス・ゴンザレスのサヨナラヒットで念願のワールドチャンピオンに輝いた。

シーズン終了後の11月22日にはラリー・ウォーカーとのトレードを拒否権を行使し残留。6年契約を満了した限りで現役を引退。

引退後

引退後はダイヤモンドバックスの株式を一部取得し、専属解説者を務める。

11月6日にサンフランシスコ・クロニクル紙が、2002年にウィリアムズに成長ホルモンの購入歴があると報じた。これに対し、ウィリアムズは「足首の怪我の治療のために、医師の処方に従って使用した」と弁明した。

11月、ダイヤモンドバックスの一塁コーチに就任。からは新監督カーク・ギブソンの下、三塁コーチに異動。

10月31日、ワシントン・ナショナルズの監督に就任することを発表したMatt Williams hired by Nationals ESPN MLB。 就任一年目のは96勝66敗とナ・リーグ最高勝率で地区優勝したが、ディビジョンシリーズでジャイアンツに敗れる。同年の最優秀監督賞を受賞した。

は83勝79敗でナ・リーグ東地区2位の成績に終わり、地区優勝したメッツに7ゲーム差をつけられる。同年10月5日、監督解任が発表された。

2015年11月11日、シーズンより三塁コーチとしてダイヤモンドバックスへの復帰が発表されたが、1年で退任した。

はNBCで解説者を務めた。

シーズンからはオークランド・アスレチックスの三塁コーチを務める。

シーズンからは韓国・起亜タイガースの監督に就任する。契約期間は3年。2020年は6位、2021年は9位と2年連続でポストシーズン進出に失敗するなど成績が振るわず、2021年11月1日、双方合意の上に契約期間を1年残して契約解除と発表されたhttps://tigers.co.kr/contents/press/994061。

詳細情報

年度別打撃成績

SF842662452846928832143311641685.188.240.339.578
52170156173261864190131802417.205.251.410.662
843112923159181181335012121412725.202.242.455.697
15966461787171272333011227425339713813.277.319.488.807
1576355897215824534294985507336612811.268.310.499.809
14657652958120135202036677023911610915.227.286.384.670
14561957910517033438325110130927448012.294.325.561.886
112483445741191634327096100333728711.267.319.607.926
763182835395171231836520033082588.336.399.6471.046
105455404691221612220685120639969110.302.367.510.877
CLE151636596861573233229110512402344410814.263.307.488.795
ARI1355575107213626120224715101438310219.267.327.439.766
1546786279819037235336142200841929317.303.344.536.880
96397371431021821216047120320135111.275.315.431.746
106436408581123001619065100322337015.275.314.466.780
60238215295672121034031022110418.260.324.479.803
441561341733904541600041612261.246.327.403.730
MLB:17年18667595700099718783383537834201218533596246986551363182.268.317.489.805
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度チーム地区年齢試合勝利敗戦勝率順位/チーム数備考
WSHNL EAST481629666.5931 / 5地区優勝
WSHNL EAST491628379.5122 / 5東地区2位
MLB:2年324179145.552

タイトル

  • 本塁打王:1回(1994年)
  • 打点王:1回(1990年)

表彰

  • シルバースラッガー賞:4回(1990年、1993年、1994年、1997年)
  • ゴールドグラブ賞:4回(1991年、1993年、1994年、1997年)
  • プレイヤー・オブ・ザ・マンス:2回(1995年5月、1999年4月)
  • ナショナルリーグ最優秀監督賞:1回(2014年)

記録

  • オールスターゲーム選出:5回(1990年、1994年 - 1996年、1999年)

背番号

  • 60(1987年 - 同年途中)
  • 10(1987年途中 - 1988年)
  • 9(1989年 - 2003年、2010年 - 2016年、2020年 - 2021年)
  • 4(2018年 - 2019年)

代表歴

  • 第14回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1985年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 W
  • メジャーリーグベースボールの監督一覧
  • ワシントン・ナショナルズの歴代監督一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/23 23:31 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「マット・ウィリアムズ」の人物情報へ