マーク・リチャードソン : ウィキペディア(Wikipedia)
マーク・リチャードソン(Mark Ashton Richardson、1972年7月26日- )は、イギリスの陸上競技選手。1996年アトランタオリンピックの銀メダリストである。
経歴
リチャードソンは、短距離の選手として十代のころから400mにおいてイギリスの若手の有望選手の一人であった。1988年に、世界ジュニア選手権に出場し、400mで4位という成績を残す。2年後の同大会では、400mで3位、4×400mリレーで2位となっている。翌1991年に東京で開催された世界選手権では4×400mリレーの準決勝に出場。イギリスの金メダル獲得に貢献している。
また、翌年の1992年バルセロナオリンピックにおいても前年と同様、4×400mリレーの準決勝に出場。イギリスの銅メダル獲得に貢献した。その後、1993年、1994年のシーズンは故障のため目立った活躍はできなかったが、1995年には調子を取り戻し、イェーテボリの世界選手権に出場。400mで44秒81で5位入賞を果たした。
リチャードソンは、1996年アトランタオリンピックの4×400mリレーのイギリス代表に選ばれると、オリンピックの決勝では、イワン・トーマス、ジェイミー・ボールチ、ロジャー・ブラックのメンバーで、2分56秒60の英国新記録で、圧倒的強さを誇った地元アメリカに0秒61差まで迫る健闘を見せ銀メダルを獲得した。
翌1997年のアテネの世界選手権では、400mと4×400mリレーに出場。400mでは3位とは100分の8秒差で惜しくも4位。4×400mリレーは、前年のアトランタオリンピックと同じメンバーで挑み、2分56秒65で優勝したアメリカに100分の18秒差まで迫るが惜しくも銀メダルに終わった。2年後の1999年のセビリヤの世界選手権では400mで6位、4×400mリレーでは予選で敗退と結果が振るわなかった。
さらに、翌年の2000年シドニーオリンピックには出場できず、2001年のエドモントンの世界選手権でも4×400mで6位と結果を残すことができなかった。そして2003年に現役を引退した。
自己ベスト
- 100 m - 10秒35 (1998年)
- 200 m - 20秒62 (1997年)
- 400 m - 44秒37 (1998年)
主な実績
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1990 | 世界ジュニア陸上選手権 | プロヴディフ(ブルガリア) | 400m | 3位 | 46秒33 |
1990 | 世界ジュニア陸上選手権 | プロヴディフ(ブルガリア) | 4×400mリレー | 2位 | 3分03秒80 |
1992 | IAAFワールドカップ | ハバナ(キューバ) | 400m | 2位 | 45秒86 |
1995 | 世界陸上選手権 | イェーテボリ(スウェーデン) | 400m | 5位 | 44秒81 |
1996 | オリンピック | アトランタ(アメリカ合衆国) | 4×400mリレー | 2位 | 2分56秒60 |
1997 | 世界陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 400m | 4位 | 44秒47 |
1997 | 世界陸上選手権 | アテネ(ギリシャ) | 4×400mリレー | 1位 | 2分56秒65 |
1998 | ヨーロッパ陸上選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | 400m | 3位 | 45秒14 |
1998 | ヨーロッパ陸上選手権 | ブダペスト(ハンガリー) | 4×400mリレー | 1位 | 2分58秒68 |
1998 | コモンウェルスゲームズ | クアラルンプール(マレーシア) | 400m | 2位 | 44秒60 |
1998 | IAAFグランプリファイナル | モスクワ(ロシア) | 400m | 1位 | 44秒88 |
1999 | 世界陸上選手権 | セビリヤ(スペイン) | 400m | 5位 | 44秒65 |
2000 | IAAFグランプリファイナル | ドーハ(カタール) | 400m | 1位 | 45秒20 |
2001 | 世界陸上選手権 | エドモントン(カナダ) | 4×400mリレー | 6位 | 3分01秒26 |
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/03/09 12:28 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.