ベニー・カーター : ウィキペディア(Wikipedia)

ベニー・カーターBenny Carter、1907年8月8日 - 2003年7月12日)は、アメリカ合衆国のアルト・サックス奏者、クラリネット奏者、トランペット奏者、作曲家、編曲家、バンドリーダー。1930年代から1990年代のジャズ界における大物ミュージシャンで、彼を「王(King)」と呼ぶミュージシャンもいた。私生活では1979年にHilma Ollila Aronsと結婚し、娘が1人、孫娘が1人いるGate: Benny Carter -- jazz career spanned 8 decades

生涯

1907年ニューヨーク生まれ。6人姉弟の末っ子で、長男だった。最初は母親からピアノの手ほどきを受けたが、おおむね独学で音楽を修め、15歳のときからハーレムのナイト・スポットで活動していた。1924年から1928年にかけて、ニューヨークのいくつかのトップ・グループでプロとしての経験を積んだ。

若いころはハーレムでデューク・エリントン楽団のスター・トランペッター、の近所に住んでいた。カーターはマイリーに刺激されてトランペットを始めるが、彼のようには吹けないことを悟りサックスに転向した。その後の2年間、コルネットのレックス・スチュワート、クラリネット、ソプラノ・サックスのシドニー・ベシェ、ピアノのアール・ハインズ、、ファッツ・ウォーラー、ジェイムス.P.ジョンソン、デューク・エリントンなどのグループで活動した。

最初の録音

1928年、チャーリー・ジョンソン楽団にて初録音を行なう。編曲も手がけ、翌年には自身の楽団を結成。

1930年から翌年にかけてフレッチャー・ヘンダーソンと共演し、彼の楽団のチーフ・アレンジャーとなる。その後は短期間だがデトロイト出身のMcKinney's Cotton Pickersを率いたのちMcKinney's Cotton Pickers1932年にはニューヨークに戻り、(テナー・サックス)、テディ・ウィルソン(ピアノ)、シドニー・カトレット (ドラムス)、ディッキー・ウェルズ(トロンボーン)などとビッグバンドでの演奏活動をした。

カーターの編曲は洗練されており、複雑巧緻で、『Blue Lou』を含む多数の楽曲が他のバンドに取り上げられたほか、デューク・エリントンなどにも編曲を提供している。その手腕は卓越したもので、中でも『Keep a Song in Your Soul』(フレッチャー・ヘンダーソン作、1930年)、サックスの流れるような編曲の『Lonesome Nights』『Symphony in Riffs』(1933)などが特筆されるMartin, Henry. Jazz: The First 100 Years, Thomson Wadsworth, page 6, (2005) - ISBN 0-534-62804-4。

1930年代初期にはジョニー・ホッジスとともに主要なアルト・サックス奏者のひとりと目された。この頃、再び手にするようになっていたトランペットの演奏機会も増え、ソロも取るようになった。

1932年、カーターの名前が初めてクレジットされたレコード『Tell All Your Day Dreams to Me』(クラウン・レーベル)発売。名義は「Bennie Carter and his Harlemites」となっている。

この楽団の活動期間は短かったが、ニューヨークのハーレム・クラブへの出演のほか、いくつかの素晴らしい録音をコロムビア、オーケー、ヴォーカリオンなどに残している。オーケー・レーベルへの録音では、カーター自身の愛称ともなった「チョコレート・ダンディーズ」の名義を用いた。

1933年10月録音のチョコレート・ダンディーズ名義による 『Once Upon A Time』( OKeh 41568、続いてDecca 18255、Hot Record Society 16としてリイシューされた)におけるトランペット・ソロは長い間ソロ演奏の金字塔とされた。

また、同年にはイギリスのバンドリーダー、と眩惑的なビッグバンド・セッションを行なっている。このセッションで録音された18曲はイギリスのみでリリースされ、名義は『Spike Hughes and His Negro Orchestra』となっていた。この常時14名から15名の編成によるバンドにはヘンリー"レッド"アレン (トランペット)、ディッキー・ウェルズ (トロンボーン)、ワイマン・カーヴァー(フルート)、コールマン・ホーキンス(サックス)、J.C. Higginbotham(トロンボーン)、チュー・ベリー(サックス)などが在籍していたYanow, Scott. Jazz on Record: The First Sixty Years, Backbeat Books, page 169, (2003) - ISBN 0-87930-755-2。

この時期、カーターが残した楽曲には『Nocturne』『Someone Stole Gabriel's Horn』『Pastorale』『Bugle Call Rag』『Arabesque』『Fanfare』『Sweet Sorrow Blues』『Music at Midnight』『Sweet Sue Just You』『Air in D Flat』『Donegal Cradle Song』『Firebird』『Music at Sunrise』『How Come You Do Me Like You Do』などがある。

ヨーロッパ

1935年、ヨーロッパに移住。楽団での活動のほか、BBCダンス楽団の編曲も担当し、いくつかのレコードを作った。続く3年間はヨーロッパをツアーし、イギリス、フランス、スカンジナビア地方の最高のジャズマンや、友人のコールマン・ホーキンスのようにヨーロッパにやってきたアメリカ人スターたちと共演し、録音も残している。

その中では、1937年のジャンゴ・ラインハルト、コールマン・ホーキンスとの『ハニーサックル・ローズ』が有名で、後に1961年のアルバム『Further Definitions』でも同曲が演奏された。

ハーレムへの帰還、ロサンゼルスへの移住

1938年、カーターはアメリカに戻り、あらたに結成した自楽団を率いて1939年から翌年にかけてハーレムの有名なサヴォイ・ボールルームに出演した。彼の編曲は人気があり、ベニー・グッドマンカウント・ベイシー、デューク・エリントン、レナ・ホーングレン・ミラージーン・クルーパトミー・ドーシーなどによって録音された。しかし、カーター自身のヒット曲はビッグバンド時代にElla Mae Morseによって歌われた『Cow-Cow Boogie』というノベルティ・ソング1曲のみである。その他1930年代にカーターが作編曲家として残した楽曲では『When Lights Are Low』『Blues in My Heart』『Lonesome Nights』などが古典とされている。

1943年、ロサンゼルスへ移住した後はスタジオの仕事が増え、『Stormy Weather』(1943)をはじめとする多くの映画・テレビ音楽を担当したBenny Carter Filmography。 ちなみに、カーターは黒人として初めて映画音楽を作曲した1人であり、クインシー・ジョーンズはカーターを師と仰ぎ、1960年代に彼がテレビや映画の仕事を始めた時にもカーターを参考にしている。

ハリウッドでは、ビリー・ホリデイサラ・ヴォーン、ビリー・エクスタイン、パール・ベイリー、レイ・チャールズペギー・リー、ルー・ロウルズ、ルイ・アームストロング、フレディ・スラック、メル・トーメなどの編曲を担当した。なお、ビリー・ホリデイとは1958年のモントレー・ジャズ・フェスティバルでも共演している。

1945年には、マイルス・デイヴィス(トランペット)がサイドメンとしての初レコーディングをカーターの『Benny Carter and His Orchestra』というアルバムで行なっている<i>Benny Carter and His Orchestra</i> with Miles Davis

1958年、アール・ハインズ(ピアノ)、リロイ・ヴィネガー(ベース)、シェリー・マン(ドラムス)の新旧世代の混成メンバーによる1920年代アメリカのヒット曲を採り上げたアルバム『スウィンギン・ザ・20'S』を発表。続く1960年代にも新旧混成メンバーのビッグバンドによる『Further Definitions』(1961年)や、編曲を担当したペギー・リーの『ミンク・ジャズ』 (1962)などのスタジオ録音を残している。

1960年、自身のカルテットでオーストラリアを訪問。

1968年ニューポート・ジャズ・フェスティバルでディジー・ガレスピーと共演、同年スイスのバンドと録音する。

後進の育成

1969年にプリンストン大学の社会学教授モロウ・バーガーの招きで、同大学にて講義・セミナー・演奏会を行ない、続く9年間で5回プリンストンを訪れ、1973年には客員教授として1学期間務めた。1974年、プリンストンはカーターに人文科学の名誉博士号を贈った。

他の大学でもワークショップやセミナーを開き、1987年にはハーバード大学で1週間講義した。 Morroe Bergerは著書『Benny Carter - A Life in American Music』(1982年)でカーターのキャリアを扱ったBerger, Morroe. Benny Carter, a Life in American Music, Scarecrow Press, (1982) - ISBN 0-8108-1580-X。

晩年

1989年晩夏、ニューヨークのリンカーン・センターでカーターの82歳の誕生日が祝われ、エクスタイン・アンダーソンやシルヴィア・シムスが彼の歌を歌った。同週にはシカゴ・ジャズ・フェスティバルで、『Further Definitions』が再演された。

1990年2月、リンカーン・センターにおけるエラ・フィッツジェラルドを讃えるセレモニーで、カーターはオールスター・ビッグバンドを指揮した。

1997年にカーターは現役を引退。翌年にはリンカーン・センターから表彰され、セレモニーでウィントン・マルサリスダイアナ・クラール、ボビー・スコットが彼の音楽を演奏した。

2003年7月12日、カリフォルニア州ロサンゼルスのCedars-Sinai Hospitalにて気管支炎の合併症で亡くなった。95歳。

受賞歴

グラミー賞

グラミー受賞歴
部門タイトルジャンルレーベル結果
1963 Best Background Arrangement Busted (Ray Charles) R&Bライノ/ Weaノミネート
1986 Best Jazz Instrumental Performance - Group Swing Reunion Jazz Musicmastersノミネート
1987 Lifetime Achievement Award受賞
1988 Best Instrumental Composition "Central City Sketches (Side 2)" Jazz Musicmastersノミネート
1992 Best Large Jazz Ensemble Performance 『Harlem Renaissance』 Jazz Musicmastersノミネート
1992 Best Instrumental Composition "Harlem Renaissance Suite" Musicmasters受賞
1993 Best Jazz Instrumental Solo "The More I See You" Jazz Telarcノミネート
1994 Best Jazz Instrumental Solo "Prelude to a Kiss" Jazz Musicmasters受賞
1994 Best Jazz Instrumental Performance - Individual or Group 『Elegy in Blue』 Jazz Musicmastersノミネート

ディスコグラフィ

アルバム

発表年作品名アーティストレーベル
1935The Chocolate DandiesDRG
1945Benny Carter and His Orchestra マイルス・デイヴィスが参加。Jazz Door
1954MoonglowVerve
1957Jazz GiantContemporary
1958Swingin' the 20'sアール・ハインズ等と共演Contemporary
1959The Fabulous Benny CarterAudio Lab
1961Further DefinitionsImpulse!
1966Additions to Further DefinitionsのちにFurther Definitionsとしてボーナストラックが収録されたうえでCD化されたImpulse!
1976The KingPablo
1976Carter, Gillespie Inc.ディジー・ガレスピーとの共演Pablo
1987Central City SketchesMusic Masters
1992Harlem RenaissanceMusic Masters
1995New York NightsMusic Masters
1995SongbookMusic Masters
1997Live and Well in JapanPablo/OJC
1997Tickle ToeVee-Jay
2002Sketches on StandardsPast Perfect

作曲家として

  • "Blues In My Heart" (1931年) ※アーヴィング・ミルズとの共作
  • "When Lights Are Low" (1936年) ※スペンサー・ウィリアムズとの共作
  • "Cow-Cow Boogie (Cuma-Ti-Yi-Yi-Ay)" (1942年) ※Don Raye&Gene De Paulとの共作
  • "Key Largo" (1948年) ※Karl Suesdorf&Leah Worthとの共作
  • "Rock Me To Sleep" (1950年) ※Paul Vandervoort IIとの共作
  • "A Kiss From You" (1964年) ※ジョニー・マーサーとの共作
  • "Only Trust Your Heart" (1964年) ※サミー・カーンとの共作

他に "A Walkin' Thing", "My Kind Of Trouble Is You", "Easy Money", "Blue Star", "I Still Love Him So", "Green Wine" , "Malibu"等が存在する。

編曲家として

発表年作品名アーティストジャンルレーベル
1963The Explosive Side of Sarah Vaughanサラ・ヴォーンジャズルーレット・レコード
1963The Lonely Hoursサラ・ヴォーンジャズルーレット・レコード
1963Mink Jazzペギー・リージャズキャピトル・レコード
1967Portrait of Carmenカーメン・マクレエジャズアトランティック・レコード
196830 by Ellaエラ・フィッツジェラルドジャズキャピトル・レコード
1979A Classy Pairエラ・フィッツジェラルド & カウント・ベイシー・オーケストラジャズパブロ・レコード

コンピレーション

映画

  • 『ブラック・ライダー』(Buck and the Preacher) - 1972年のアメリカ西部劇映画の作曲。

参照

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/01 15:36 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「ベニー・カーター」の人物情報へ