伏見信子 : ウィキペディア(Wikipedia)

伏見 信子(ふしみ のぶこ、1915年(大正4年)10月10日 - 生死不明)は、日本の女優、歌手。本名は伏見 延子。別名は伏見 延江(ふしみ のぶえ)。

経歴

東京市浅草区小島町出身。同志社女学校(現・同志社女子中学校・高等学校)高等女学部卒業。 父伏見三郎が新派の俳優で、早くから姉の直江と共に舞台の子役などで新派の舞台に出演猪俣勝人・田山力哉『日本映画俳優全史―女優編―』社会思想社、1977年、273頁。 1926年(大正15年)、姉と帝国キネマに入社。

1927年(昭和2年)、姉の伏見直子=伏見直江と阪東妻三郎プロへ移籍し、同年11月、日活大将軍現代劇部に入社。 時代劇部へと移り、「大地に立つ」、「小市民」に主演。

1928年(昭和3年)、同志社女学校高等女学部に入学。4年通学の傍ら「春または丘へ」の主役を務める。 1931年(昭和6年)、「御誂次郎吉格子」で大河内伝次郎と共演。同年日活を退社。

この頃、六大学のスター選手・明治大学の田部武雄と交際していた菊池清麿『天才野球人 田部武雄』彩流社、2013年、69頁。

1933年(昭和8年)、松竹蒲田に入社。五所平之助監督「十九の春」主演をキッカケに人気女優に。

小津安二郎監督の「出来ごころ」に大日方伝と共演し、人気を不動のものとする。

1934年(昭和9年)、東京宝塚劇場専属に。

1935年(昭和10年)、新興キネマに姉と共に移籍。大泉で「稽古扇」、「暁の麗人」に主演。

1936年(昭和11年)、「初恋日記」の主題歌「花言葉の唄」では、歌手松平晃と共演し一世を風靡。共演者の松平と結婚し、一時は伏見姉妹の旅芝居に加わっていたが、二人は1年余りで離婚。

1937年(昭和12年)、松竹下加茂に入社。坂東好太郎高田浩吉らと共演。

1940年(昭和15年)退社。1941年(昭和16年)から舞台に立ち、その後は楽団を結成して、1947年(昭和22年)まで活躍し引退。後に再婚し、飲食店などを経営した。

1971年(昭和46年)、東京12チャンネルの音楽番組「なつかしの歌声」に出演。元夫である松平晃とのデュエット曲「花言葉の唄」や「初恋日記」などを披露した(「花言葉の唄」は松平のコロムビア・武蔵野音楽学校の後輩に当たる岡本敦郎とのデュエット)。姉の伏見直江とは、1982年に彼女が亡くなるまで大変仲の良い姉妹であった『キネマの美女 20世紀ノスタルジア』文藝春秋・編、1999年5月、「伏見信子」の項。

関連項目

  • 東京都出身の人物一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/20 21:06 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「伏見信子」の人物情報へ