フィル・リード : ウィキペディア(Wikipedia)

フィル・リード(Phil Read)ことフィリップ・ウィリアム・リード (Phillip William Read、1939年1月1日 - 2022年10月6日RIP Dad. Phil Read MBE passed away peacefully in his sleep on 6th October, 2022. Phil Read Jr 2022年10月6日)は、イングランドのルートン出身の元オートバイレーサーである。ロードレース世界選手権で活躍し、通算7度の世界タイトルを獲得した。

経歴

同時代に活躍したマイク・ヘイルウッドらの影に隠れがちであるが、グランプリ史上初めて125cc、250cc、500ccの3クラスでワールドチャンピオンになるという偉業を成し遂げたライダーである。

、ヤマハのマシンで250ccクラスに参戦し、自身初のタイトルを獲得すると、翌年も続けて250ccクラスチャンピオンとなる。はヤマハが新たに開発した4気筒エンジンのマシンの熟成が進まず、マシントラブルに悩まされてマイク・ヘイルウッドにタイトルを譲ることになった。そして、リードとホンダの新型6気筒マシンに乗るヘイルウッドの熾烈なタイトル争いはお互い一歩も譲らず、最終戦終了時点で両者とも50ポイントと全く同点で並んでいた。結局、リードのシーズン4勝に対してヘイルウッドが5勝を挙げていたことが決め手となり、この年のタイトルはヘイルウッドのものとなった。

は大きな物議を醸したシーズンとなった。この年のヤマハ・ファクトリーの戦略は、リードには125ccクラスタイトルに専念させ、250ccクラスではチームメイトのビル・アイビーのタイトル獲得をサポートさせるというものだった。ところがリードは、順当に125ccクラスのタイトルを獲った後、チームオーダーを無視して250ccクラスのタイトルも手にすることを決心した。これは、ヤマハがこの年限りでワークス活動を撤退することを察知したリードが、タイトル獲得の最後のチャンスであるかもしれないと考えての行動であったマイケル・スコット『The 500cc World Champions』(ウィック・ビジュアル・ビューロウ発行) ISBN 978-4-900843-53-0。その結果リードとアイビーは全くの同ポイントでシーズンを終え、レースタイムの合計で勝敗を決するという判定によりタイトルはリードのものとなったのである。この一件に憤慨したアイビーは4輪レースに転向し、ヤマハは予想通りこの年をもってワークス活動を休止すると同時にリードに対するサポートを打ち切った。

レギュレーションの変更によって多気筒マシンが締め出され、結果として日本の有力ファクトリーがグランプリから撤退したと、リードはイギリス国内選手権に活動の場を移し、グランプリにはスポット参戦するにとどまった。そして、ファクトリーのサポートを全く受けない完全なプライベーターとしてグランプリに帰ってきたリードは、ヘルムート・ファスによる徹底的なチューニングを受けたヤマハの市販マシンで通算5度目のタイトルを獲得するという快挙を成し遂げた。

、MVアグスタのファクトリーに迎え入れられたリードは、、長年MVアグスタのエースとして君臨していたジャコモ・アゴスチーニを打ち破ってついに最高峰500ccクラスのタイトルを獲得する。そして続くもタイトル防衛に成功し、この数々の栄光を打ち立てたイタリアのメーカーに最後の栄冠をもたらした。これは同時に4ストロークエンジンのマシンによる500ccクラス最後のタイトルでもあった。これ以降4ストロークのマシンによるタイトル獲得は、2002年のMotoGPクラスの開始まで待たなければならない。

は前年にヤマハに移籍したアゴスチーニと熾烈なタイトル争いを最後まで繰り広げたが、ランキング2位に終わった。もはや4ストロークのマシンでは太刀打ちできないことを悟ったリードはMVアグスタと袂を分かち、はスズキの市販マシンでプライベーターとして参戦する。しかしスズキワークスのバリー・シーンにポイントで大差をつけられたリードは、シーズン半ばにして突如グランプリからの引退を発表した。

グランプリから身を引いたリードは、イギリスの国内レースや耐久レース、そして自身が先頭に立ってその危険性を糾弾していたマン島TTレースなどに出場した。しかしマン島レースの出場は大きなブーイングを受けた。中には「転倒しても救助しない」と彼を嫌うオフィシャルもいた。リードの現役最後のレースは1982年、43歳で挑戦したマン島であった。

2002年、MotoGP殿堂入りを果たした。

2022年10月6日、息子のフィル・リード・ジュニアにより死去が公表された。83歳だった。

ロードレース世界選手権での戦績

  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
  • ポイント欄は有効得点 カッコ内は総得点
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ポイント 順位 勝利数
1961 125cc SPA- GER- FRA- IMNNC NED4 BEL- DDR- ULS- ITA- SWE- ARG- 3 12位 0
350cc ノートン GER- IMN1 NED4 DDR- ULS4 ITA- SWE- 14 5位 1
500cc ノートン GER- FRA-IMNNC NED4 BEL- DDR- ULS- ITA- SWE- ARG- 3 15位 0
1962 350cc ノートン IMN7 NED6 ULS- DDR- ITA- FIN- 1 15位 0
500cc ノートン IMNNC NED3 BEL- ULS3 DDR- ITA4 FIN- ARG- 11 3位 0
1963 250cc ヤマハ SPA- GER- IMN- NED- BEL- ULS- DDR- ITA- ARG- JPN3 4 10位 0
350cc ジレラ GER3 IMNNC NED- ULS- DDR- ITA- FIN- JPN- 4 11位 0
500cc ジレラ IMN3 NED2 BEL2 ULS- DDR- ITA- FIN- ARG- JPN- 16 4位 0
1964 125cc ヤマハ USA- SPA- FRA- IMN- NED2 GER- DDR- ULS- FIN- ITA- JPN- 6 8位 0
250cc ヤマハ USA- SPA3 FRA1 IMNNC NED2 BEL- GER1 DDR1 ULS1 ITA1 JPN- 46 (50) 1位 5
350cc AJS IMN2 NED- GER- DDR- ULS- FIN- ITA- JPN- 6 6位 0
500cc マチレスノートン USA2 IMNNC NED6 BEL2 GER3 DDR- ULS1 FIN- ITA- JPN- 25 3位 1
1965 125cc ヤマハ USA- GER- SPA- FRA- IMN1 NED- DDR- CZE- ULS- FIN- ITA- JPN- 8 10位 1
250cc ヤマハ USA1 GER1 SPA1 FRA1 IMNNC NED1 BEL2 DDR2 CZE1 ULS1 FIN- ITA- JPN- 56 (68) 1位 7
350cc ヤマハ GER- IMN2 NED- DDR- CZE- ULS- FIN- ITA- JPN- 6 9位 0
1966 125cc ヤマハ SPA4 GER3 NED3 DDR4 CZE- FIN1 ULS3 IMN2 ITA4 JPN5 29 (37) 4位 1
250cc ヤマハ SPA3 GER- FRA- NED2 BEL2 DDR2 CZE2 FIN- ULSNC IMNNC ITA- JPN2 34 2位 0
350cc ヤマハ GER- FRA- NED- DDR- CZE- FIN- ULS- IMN- ITA- JPN1 8 8位 1
1967 125cc ヤマハ SPA2 GER- FRA2 IMN1 NED1 BEL- DDR2 CZE- FIN- ULS2 ITA- CAN- JPN- 40 2位 2
250cc ヤマハ SPA1 GER2 FRA2 IMN2 NED- BELNC DDR1 CZE1 FIN- ULS- ITA1 CAN2 JPN- 50 (56) 2位 4
1968 125cc ヤマハ GER1 SPA- IMN1 NED1 DDR1 CZE1 FIN1 ULS2 ITA2 40 (60) 1位 6
250cc ヤマハ GER- SPA1 IMNNC NED2 BEL1 DDR2 CZE1 FIN1 ULS- ITA1 46 (52) 1位 5
1969 250cc ヤマハ SPA- GER- FRA- IMNNC NED- BEL- DDR- CZE- FIN- ULS- ITA1 YUG- 15 13位 1
350cc ヤマハ SPA- GER- IMNNC NED- DDR- CZE- FIN- ULS- ITA1 YUG- 15 13位 1
1970 250cc ヤマハ GER- FRA- YUG- IMN- NED2 BEL- DDR- CZE- FIN- ULS- ITA3 SPA- 22 12位 0
350cc ヤマハ GER- YUG- IMN- NED3 DDR- CZE- FIN- ULS- ITA- SPA- 10 17位 0
1971 250cc ヤマハ AUT- GER1 IMN1 NED1 BEL- DDR3 CZE- SWE- FIN10 ULS- ITA6 SPA2 73 1位 3
350cc ヤマハ AUT- GER- IMNNC NED2 DDR- CZE- SWE- FIN- ULS- ITA- SPA- 12 16位 0
500cc ドゥカティ AUT- GER- IMN- NED- BEL- DDR- SWE- FIN- ULS- ITA4 SPA- 8 18位 0
1972 250cc ヤマハ GER- FRA1 AUT- ITA- IMN1 YUG- NED4 BEL3 DDR- CZE3 SWE- FIN- SPA- 58 4位 2
350cc MVアグスタ GER- FRA- AUT- ITA4 IMNNC YUG3 NED5 DDR1 CZE- SWE2 FIN- SPA- 51 5位 1
1973 350cc MVアグスタ FRA2 AUT- GER- ITA- IMN- YUG- NED2 CZE3 SWE3 FIN2 SPANC 56 3位 0
500cc MVアグスタ FRA2 AUT- GER1 IMN- YUG- NED1 BEL2 CZE2 SWE1 FIN2 'SPA'1 84 (108) 1位 4
1974 500cc MVアグスタ FRA1 GER- AUT- ITA3 IMN- NED3 'BEL'1 SWE2 FIN1 CZE1 82 (92) 1位 4
1975 500cc MVアグスタ FRA3 AUT3 GER2 ITA2 IMN- NED3 BEL1 SWE2 FIN- CZE1 76 (96) 2位 2
1976 500cc スズキFRANC AUT3 ITA2 IMN- NEDNC BELNC SWE- FIN- CZE- GER- 22 10位 0

外部リンク

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