林幹 : ウィキペディア(Wikipedia)

林 幹(はやし かん、1894年4月3日 - 1965年4月23日)は、日本の俳優、宗教家である。宗教法人天崇教初代教主。本名海上 晴帆(うながみ せいはん)。

人物・来歴

1894年(明治27年)4月3日、東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に生まれる。

京華商業学校(現在の京華中学高等学校)を経て、旧制早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中退し、独学で坪内逍遥について文学を学ぶ。その後、実際に早稲田大学の坪内逍遥の助手として働いていたが、坪内士行、島村抱月、澤田正二郎ら演劇人と親交を結び、やがて新劇の世界に入る。1914年(大正3年)、土肥春曙、東儀鉄笛らによって組織された新劇団無名会に加わり、「林 幹」を名乗って初舞台を踏む。1917年(大正6年)5月没落後は、芸術座に加入して宮島啓夫らと共演した後、加藤精一、横川唯治、森英治郎ら率いる舞台協会に加入する。1919年(大正8年)8月、独立して飯塚友一郎、村田実、音羽かね子らと創作劇場を組織し、倉田百三が演出した有楽座公演『出家とその弟子』に親鸞上人役で出演したが、翌1920年(大正9年)6月に解散。再び舞台協会に戻ったが、その傍らで坪内逍遥、東儀鉄笛らによって提携された新文芸協会にも加わり、南座などに出演している。同年10月、日活向島撮影所第三部の革新運動に新井淳、中山歌子、酒井米子らと共に参加、特に同年12月31日に公開された田中栄三監督映画『朝日さす前』では主演を務めた。

1922年(大正11年)8月、第三部消滅後は再び舞台に戻り、同時期に松竹キネマ研究所を退所した村田実と新興劇団丹青座(のち国民劇と改称)を組織、牛込会館、国民講堂などに出演したが、不評のうち関東大震災直後の1924年(大正13年)6月に解散。その後、再び舞台協会、同志座を経て、同年11月に森英治郎、初代村田正雄川村花菱らと人間座を組織、牛込会館などに出演。1925年(大正14年)、同志座に戻り、兵庫県西宮市にあった東亜キネマ甲陽撮影所に森英治郎、宮島啓夫、夏川静江、出雲美樹子らと共に入社、同年9月29日に公開された賀古残夢監督映画『潮』など、数本の作品に脇役出演した。1926年(大正15年)9月、自ら創生劇(創生劇ペーゼント)を組織し、日比谷野外音楽堂、三越劇場などに出演するが、間も無く解散。1928年(昭和3年)6月には、加藤精一、佐々木積と共に帝国劇場専属俳優となる。以後、明治座、日本劇場など地方各座に出演したほか、戦後にかけて築地小劇場、俳優座の舞台にも特別出演した。

この間、フリーランサーとして主に東京発声映画製作所の作品にも脇役出演しており、第二次世界大戦終結後は1950年(昭和25年)に設立された日本総合芸術社と契約を結び、1952年(昭和27年)10月9日に公開された黒澤明監督映画『生きる』をはじめ、東宝、新東宝、日活、松竹の各作品に出演。後年は1959年(昭和34年)1月15日に公開された映画『暗黒街の顔役』など、初期の岡本喜八監督作品の常連として活躍、体格がよく貫禄のある役を得意とした。

また、本名の「海上 晴帆」名義で戦前から宗教家としても活動しており、はじめ仏教に関心を持ち、宗教家田中智學らに教えを受ける。1936年(昭和11年)、天夷鳥命からのお告げを受け、神道の再興を志し、日本大学皇道学院、皇典講究所で神道を研究する傍ら、神理教の清水英範について教えを受ける。1941年(昭和16年)4月、神理教宣教師となり、東京府東京市四谷区四谷伝馬町(現在の東京都新宿区四谷あたり)に宗教結社光徳教会を設立したが、1945年(昭和20年)に戦災で本部が焼失。翌1946年(昭和21年)、神理教の内部分裂に伴い扶桑教に転属するも馴染めず、間も無く脱退。1948年(昭和23年)10月、妻であり、明治・大正期に活躍した日本画家山口瑞雨(米庵)の次女にあたる元新劇女優の海上美乃(旧芸名山口真瑳子、1896年 - 没年不詳)と共に宗教法人天崇教を立ち上げ、同教の管長(のち教主)となる。1953年(昭和28年)10月には、文部大臣の認証を受け、東京都新宿区西大久保(現在の同区大久保あたり)に本部を設置。その後、1961年(昭和36年)9月に埼玉県大宮市大字内野本郷(現在のさいたま市西区)へ本部を移設し、活動を続けた。

1965年(昭和40年)4月23日、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)の自宅で病没した。満71歳没。

フィルモグラフィ

日活向島撮影所

全て製作は「日活向島撮影所」、配給は「日活」、全てサイレント映画である。

  • 『朝日さす前』:監督田中栄三、1920年12月31日公開 - 株式仲買店主岡田徳太郎、同番頭志村浅吉(二役)
  • 『白百合のかほり』(『白ゆりのかほり』):監督田中栄三、1921年1月14日公開 - その息子・篤也
  • 『流れ行く女』(『流れゆく女』):監督田中栄三、1921年3月4日公開
  • 『浮き沈み』:監督田中栄三、1921年8月29日公開
  • 『闇のかほり』(『闇の香り』):監督不明、1922年6月11日公開
  • 『響』:監督不明、1922年10月5日公開 - 穂積克澄

東亜キネマ甲陽撮影所

全て製作は「東亜キネマ甲陽撮影所」、配給は「東亜キネマ」、全てサイレント映画である。

  • 『潮』:監督賀古残夢、1925年9月29日公開 - 野々山岩五郎
  • 『運命の十字路』:監督阪田重則、1925年10月6日公開 - 剛田猪吉
  • 『お艶殺し』:監督阪田重則、1925年10月15日公開 - 砂村の徳兵衛
  • 『怒濤の叫び』:監督阪田重則、1925年11月14日公開 - 網主・龍吉

フリーランス(戦前)

特筆以外、全て製作は「東京発声映画製作所」、配給は「東宝映画」、以降全てトーキーである。

  • 『小島の春』:監督重宗和伸、1940年7月31日公開 - 堀口
  • 『大日向村』:監督豊田四郎、1940年10月30日公開 - 水原藤太
  • 『わが愛の記』:監督豊田四郎、1941年11月7日公開 - 山田の伯父
  • 『将軍と参謀と兵』:監督田口哲、製作日活多摩川撮影所、配給日活、1942年3月7日公開 - 参謀長大佐

フリーランス(戦後)

特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。

  • 『東京の門』:監督杉江敏男、1950年11月3日公開
  • 『愛と憎しみの彼方へ』:監督谷口千吉、製作映画芸術協会、1951年1月11日公開
  • 『風にそよぐ葦 前篇』:監督春原政久、製作東横映画、1951年1月19日公開 - 堀内中将
  • 『風にそよぐ葦 愛の最終篇』:監督春原政久、製作東横映画、1951年3月10日公開 - 堀内元中将
  • 『「高田馬場」より 中山安兵衛』:監督佐伯清、製作・配給新東宝、共作綜芸プロダクション、1951年3月31日公開
  • 『その人の名は言えない』:監督杉江敏男、1951年5月11日公開
  • 『終戦秘話 黎明八月十五日』:監督関川秀雄、製作東映東京撮影所、配給東映、1952年5月1日公開 - 陸軍大臣
  • 『霧の夜の兇弾』:監督杉江敏男、製作東映東京撮影所、配給東映、1952年6月12日公開
  • 『思春期』:監督丸山誠治、1952年8月28日公開 - 校長
  • 『生きる』:監督黒澤明、1952年10月9日公開 - 土木課長
  • 『次郎長三国志 第二部 次郎長初旅』:監督マキノ雅弘、1953年1月9日公開 - 赤鬼の金平
  • 『人生劇場 第二部 残侠風雲篇』:監督佐分利信、製作東映東京撮影所、配給東映、1953年2月19日公開 - 白根良吉
  • 『安五郎出世』:監督滝沢英輔、1953年4月22日公開 - 村長
  • 『鉄二郎の片腕』:監督青柳信雄、製作・配給新東宝、共作協和プロダクション、1953年5月13日公開 - 房州
  • 『続 思春期』:監督本多猪四郎、1953年7月1日公開 - 矢田
  • 『蟹工船』:監督山村聡、製作現代ぷろだくしょん、配給北星、1953年9月10日公開 - 重役・右橋
  • 『廣場の孤獨』:監督佐分利信、製作・配給新東宝、共作俳優座、1953年9月15日公開 - 汪栄文
  • 『早稲田大学』:監督佐伯清、製作東映東京撮影所、配給東映、1953年10月27日公開 - 白根良吉
  • 『北海の虎』:監督田中重雄、1953年11月17日公開 - 顔役
  • 『叛乱』:監督佐分利信、製作・配給新東宝、1954年1月3日公開 - 阿部大将
  • 『今宵誓いぬ』:監督田中重雄、製作・配給新東宝、1954年1月21日公開
  • 『花と龍 第二部 愛憎流転』:監督佐伯清、製作東映東京撮影所、配給東映、1954年3月24日公開
  • 『七人の侍』:監督黒澤明、1954年4月26日公開 - 弱い浪人
  • 『沓掛時次郎』:監督佐伯清、製作・配給日活、1954年7月27日公開 - 水車小屋の親父
  • 『日本敗れず』:監督阿部豊、製作・配給新東宝、1954年10日5日公開 - 永松陸軍次官
  • 『ゴジラ』:監督本多猪四郎、1954年11月3日公開 - 国会委員長
  • 浮雲』:監督成瀬巳喜男、1955年1月15日公開 - 大日向教教主
  • 『天下泰平』:監督杉江敏男、1955年1月29日公開 - 鬼山
  • 『続 姿三四郎』(『姿三四郎 第二部』):監督田中重雄、製作東映東京撮影所、配給東映、1955年2月1日公開 - 大垣哲介

日活

特筆以外、全て製作・配給は「日活」である。

  • 『警察日記』:監督久松静児、1955年2月3日公開
  • 『台風の眼』:監督シュウ・タグチ、製作シュウ・タグチプロダクション、配給東宝、1955年8月21日公開
  • 『青春の仲間』:監督堀池清、1955年8月2日公開 - お春の父・庄平
  • 『続 警察日記』:監督久松静児、1955年11月16日公開 - 議長
  • 『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』:監督中川信夫、製作・配給新東宝、1955年11月29日公開
  • 『驟雨』:監督成瀬巳喜男、製作・配給東宝、1956年1月14日公開 - 鬼越
  • 『赤ちゃん特急』:監督西河克己、1956年1月29日公開 - 警官C
  • 『駈出し社員とチャッチャ娘』:監督毛利正樹、製作・配給新東宝、1956年3月20日公開
  • 『名寄岩 涙の敢斗賞』:監督小杉勇、1956年6月7日公開 - 立浪親方
  • 『しあわせはどこに』:監督西河克己、1956年7月19日公開 - 北関東刑務所所長
  • 『ニコヨン物語』:監督井上梅次、1956年9月12日公開 - 将軍
  • 『最後の戦斗機』(『泣け!日本国民 最後の戦斗機』『最後の戦闘機』):監督野口博志、1956年10月17日公開 - 渡辺中将
  • 『壁あつき部屋』:監督小林正樹、製作新鋭プロダクション、配給松竹、1956年10月31日公開 - A級戦犯

東宝

特筆以外、全て製作・配給は「東宝」である。

  • 『あらくれ』:監督成瀬巳喜男、1957年5月28日公開 - 植源の隠居
  • 『わが胸に虹は消えず 第一部・第二部』:監督本多猪四郎、1957年7月9日公開 - 矢口
  • 『杏っ子』:監督成瀬巳喜男、1958年5月13日公開 - 佐藤博士
  • 『美女と液体人間』:監督本多猪四郎、1958年6月24日公開 - 警視庁幹部A
  • 『旅姿鼠小僧』:監督稲垣浩、1958年7月22日公開 - 医者・禺庵
  • 『奴が殺人者だ』:監督丸林久信、1958年7月29日公開 - 結城甚蔵
  • 『女探偵物語 女性SOS』:監督丸林久信、1958年10月7日公開 - 西条有正
  • 『裸の大将』:監督堀川弘通、1958年10月28日公開 - 加藤清正
  • 『暗黒街の顔役』:監督岡本喜八、1959年1月15日公開 - 板金工業社長
  • 『手錠をかけろ』:監督日高繁明、1959年2月17日公開 - 浅草署署長
  • 『雷電』:監督中川信夫、製作・配給新東宝、1959年11月23日公開 - 浦風
  • 『続 雷電』:監督中川信夫、製作・配給新東宝、1959年11月28日公開 - 浦風
  • 『暗黒街の対決』:監督岡本喜八、1960年1月3日公開 - 市会議員・沼田
  • 『珍品堂主人』:監督豊田四郎、1960年3月13日公開 - 佐々
  • 『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐』:監督松林宗恵、1960年4月26日公開 - 村長
  • 『娘・妻・母』:監督成瀬巳喜男、1960年5月28日公開 - 養老院の老人
  • 『青い野獣』:監督堀川弘通、1960年6月26日公開 - 重役・津田
  • 『独立愚連隊西へ』:監督岡本喜八、1960年10月30日公開 - 八路軍高級将校
  • 『暗黒街の弾痕』:監督岡本喜八、1961年1月3日公開 - 靴の男
  • 『顔役暁に死す』:監督岡本喜八、1961年4月16日公開 - 佐伯大三
  • 『地獄の饗宴』:監督岡本喜八、製作東京映画、1961年9月29日公開 - 東光住宅副社長・工藤
  • 『どぶ鼠作戦』:監督岡本喜八、1962年6月1日公開 - 高級将校
  • 『月給泥棒』:監督岡本喜八、1962年12月8日公開 - オリバーカメラ重役
  • 『江分利満氏の優雅な生活』:監督岡本喜八、1963年11月16日公開 - 陸軍大佐
  • 『女の歴史』:監督成瀬巳喜男、1963年11月16日公開 - 寺の住職
  • 『ああ爆弾』:監督岡本喜八、1964年4月18日公開 - 肥った市会議員

参考文献

関連項目

  • 坪内逍遥
  • 坪内士行
  • 土肥春曙
  • 東儀鉄笛
  • 宮島啓夫
  • 加藤精一 (俳優)
  • 森英治郎
  • 横川唯治
  • 佐々木積
  • 村田実

外部リンク

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