はせさん治 : ウィキペディア(Wikipedia)

はせ さん治(はせ さんじ、1936年1月2日小野澄恵:取材・構成「ぼくは神さまに会って話をしたい 役者・長谷有洋の記録」『コミック・フィギュア王』、ワールドフォトプレス、1999年、144-145頁。 - 2002年3月8日)は、日本の声優、俳優。東京府東京市淀橋区(現:東京都新宿区)出身。

来歴

生い立ち

1936年、東京市立大久保病院(現:東京都立大久保病院)で誕生。

戦時中は小学3年生の時に静岡県田方郡伊東町(現:静岡県伊東市)に集団疎開していたが、その後東京に帰郷した。

終戦後、小学生から児童劇団「青い鳥」に入団したが、理由は劇団の稽古場に行けば芋が貰えたからであった。中学・高校時代は演劇部に所属していた。中学時代は貧乏であり、卒業式を待たずに丁稚奉公に出されて東京都千代田区神田の紙問屋に働いていた。夜は東京都立工芸高等学校印刷科に通って印刷技術の習得をしていた。

吉本興業が東京で始めていた新人タレントの募集に応募し、3千人の応募者の中からトップの成績で合格し、夜学に通いながら昼は吉本興業東京支社のレッスン場に通っていた。「これからの役者は、歌って踊れなくてはダメだ」と考えて吉本興業のレッスン場に通うかたわら、16歳の時にクラシックバレエを習う。

キャリア

1954年、18歳の時に吉本ラジオセンターに所属し、スタジオで文化放送の下請けをとってから文化放送の『連続歌謡物語』などに出演できるようになり、プロの世界へと足を踏み入れる。同工芸高等学校卒業後、「さらに幅広い芸を身につけたい」と思い、東宝芸能学校2期として入学。同芸能学校の先輩に藤村俊二がいる。ここでは毎日8時間、演劇、歌唱、クラシックバレエからモダンバレエ、日本舞踊にタップダンス、殺陣まで、あやゆる芸事を学んでいた。在学中から、新宿コマ劇場でのエノケン劇団や、宮城まり子ショーにも出演し、貝谷八百子近藤玲子などの一流のバレリーナのステージにも出演。一方、夜はキャバレー「青い城」で踊り、若手ながらかなりの収入も得られるようになったという。江戸家猫八(3代目)門下。当時は同芸能学校の2年間の過程を終え、卒業も間近な時、東宝現代劇に進むチャンスがあったが、敢えて断り、猫八に弟子入りしたという。当時は早朝、東京都中野区の自宅から師匠の東京都中央区日本橋浜町まで通い、交通が不便な時代だけに大変なことで、遅刻もしていたという。内弟子1年を含めて、2年と4カ月務めていた。その時の師匠のお供以外の日課は、靴みがきと犬の散歩だけで、「芸は盗め!!」というのが、師匠の教育方針で、芸事は教えてくれなかったという。事務所は松竹青春喜劇、コメディー・フランキーズ、みどりプロ、さわプロダクション、東京俳優生活協同組合、青二プロダクション、蛭川企画、九プロダクションを経てフリー。

みどりプロ時代はチョイ役、代役を引き受けていたが、番組プロデューサーの目にとまり、初レギュラーでもあるNHK総合テレビの子供向け番組『ものしり博士』にコント役者として1960年から1968年まで8年間、レギュラー出演。

その後も、『チロリン村とくるみの木』が6年、『いいものつくろ』が3年、『ひょっこりひょうたん島』が1年と、NHKの子供番組に長期にわたって出演し、声は子供たちにはおなじみとなったという。その時はワンテンポずれたような、間延びした台詞回しが大いに受け、役柄としては、ボケ役、やせたヒョロヒョロ男役が多かったという。民間放送の子供番組『テレビのおばちゃま』では、水森亜土と組み、『おはよう!こどもショー』では、愛川欽也が声&スーツアクターを務めていたロバくんと共演し、人気を博していた。

ステージで歌って踊って演劇をする役者になりたく、芸能界に身を投じたが、テレビの仕事が増え、レギュラーは週7本にもなっていた。当時は来る日も来る日も、次の台本の台詞を覚えなくてはならなく、台詞を覚えたと思ったところ本番で、そんな毎日の生活に、ノイローゼ気味となっていった。創造性を発揮させないうちに本番が終わり、不本意な作品が次から次へと放映されていくテレビの仕事に欲求不満をつのらせていき、「このままでは、役者としての俺は殺される!!」と思った。矢も楯もたまらず、全てのテレビ番組を降板し、大阪府へ向かう。OSミュージックホールで、今までテレビではできなかったコント、漫才を心ゆくまでして、観客の喝采を浴びたまっていたうっぷんを一気に晴らしたという。1970年、の日本版を作ろうと、仲間を誘いカンカン帽に黒タイツ姿の4人組のグループを結成し、ステージに、フロアに、日本万国博覧会にも出演していた。日本万国博覧会が終えると、大阪は祭りのあとの静かさのようになったため、再び東京に戻った。

声優としては1970年代から1980年代にかけて、東映動画制作のアニメに数多く出演、名脇役として活躍した。後述の通り、『ひらけ!ポンキッキ』には顔出しして出演。パンチョ加賀美、TBS版『トムとジェリー』のナレーターを務めていた谷幹一と共演し、高い評価を得ていた。

そのままアニメなども出演し、56歳まで続き、その後、舞台も参加していた。

晩年・死後

晩年は長男に先立たれ、さらに自身も肺癌を患うという苦難に見舞われるも、闘病を続けながらテレビ・舞台などで活躍を見せた。

2002年3月8日、肺癌のため東京都豊島区の病院で死去。66歳没。

2006年7月28日 - 30日、妻、長谷妙子を座長とし、劇中で本人の録音音源を使用した追悼公演が新宿でシアターBRATSにて行われた。

人物

声種は飄々と優しくモダンな中音。

長男は同じく俳優・声優の長谷有洋。父は郵便局員だったが、ピアノ、アコーディオン、ギター、その他もろもろの楽器からタップダンスまで、熱心にレッスンに通っており、人の集まるところに出かけて芸を披露するなど中々の芸人ぶりだった。当時の下級官吏は経済的には恵まれていなかったが、父は芸事を決してやめようとせず、母は父に対し恨み言ひとつ言わずに尽くしていた。そんな父の芸達者ぶりに尊敬の念を抱いており、後年に俳優への道を歩み始めることになったのは、父の血を受け継いでいたからでもあるだろうという。

特技はクラシックバレエ、タップダンス、榎本健一の歌。

モットーは「急がば回れ」。

後任

はせの死後、持ち役を引き継いだ人物は以下の通り。

後任役名該当作品後任の初担当作品
岩崎ひろし 案山子/ハンク 『オズの魔法使』 『トムとジェリー オズの魔法使』
梅津秀行 オサゲ 『プリンプリン物語』「ざわざわ森のがんこちゃんスペシャルショー」

出演作品

テレビドラマ

  • 花よめは16歳(1979年 - 1980年、テレビ朝日) - 甘田正太郎
  • ロウソクが消えない ママ、わたし話したいの(1982年、テレビ朝日)
  • ねらわれた学園(1982年、フジテレビ) - 山形先生
  • ハウスこども劇場「あんぱん110番・お父さんの味は日本一」(1983年、テレビ朝日) - パン屋の父
  • のんのんばあとオレ(1992年、NHK) - 小豆とぎの声
  • コメディーお江戸でござる
  • 水戸黄門 第23部 第39話「白いお髭のお婿殿 -府中-」(1995年、TBS) - 元作
  • 恋愛結婚の法則(1999年、フジテレビ)
  • 南町奉行事件帖 怒れ!求馬II 第12話「料理切手は悪の味」(2000年、TBS) - 茂兵衛
  • 土曜ワイド劇場「弁護士 朝吹里矢子7・嘱託殺人の罠」(2000年、テレビ朝日)
  • ナニワ金融道パート5(2000年、フジテレビ)
  • 金曜エンタテイメント「壁ぎわ税務官1」(2001年、フジテレビ) - 神父

舞台

  • スーパーミュージカル「源氏物語」(1993年11月8日 - 12月16日、芝メルパルクホール 他) - 惟光

テレビアニメ

劇場アニメ

OVA

  • X電車で行こう(1987年)
  • 機動警察パトレイバー 新OVAシリーズ(1991年、市藤)

吹き替え

映画

  • オズの魔法使(案山子 / ハンク〈レイ・ボルジャー〉)
  • 踊る大紐育
  • 戦場にかける橋(ベイカー)※フジテレビ版(デラックスエディションBD収録)

ドラマ

  • オーソン・ウェルズ劇場
  • ジェシカおばさんの事件簿(フレディ・ヨーク)
  • 特捜刑事マイアミ・バイス

アニメ

  • コルドロン(フルーダー)
  • ぞうのババール(ポンパドール)
  • ダンボ(コウノトリ)※1983年再公開版
  • わんわん物語(ジョー)
    • わんわん物語II

人形劇

  • フラグルロック

特撮

  • 快獣ブースカ(泥棒)
  • がんばれ!!ロボコン(ロボクイの声、ロボショーの声、ロボチョイの声)
  • 七星闘神ガイファード(バスの運転手)

人形劇

  • こどもにんぎょう劇場
    • 「赤ずきん」(猟師)
    • 「ブレーメンの音楽隊」(鶏)
  • チロリン村とくるみの木(はらぺこ熊)
  • とんでけブッチー(フトッチー)
  • ネコジャラ市の11人(吸血鬼シラケラー)
  • ひょっこりひょうたん島(ムマモメム〈初代〉、クリンチ・ホールド)
  • プリンプリン物語(オサゲ)

テレビ番組

  • 魔法のじゅうたん
  • ひらけ!ポンキッキ(お兄さん〈さんちゃん〉)
  • ふえはうたう(さんちゃん)
  • 真理ちゃんとデイト(ヒネクレール)
  • ママとあそぼう!ピンポンパン(モンピー)
  • オールスター春の祭典スペシャル(1978年の、第1回放送、『ポンキッキ』出演者として出演)

CM

  • トモエ算盤「トモエそろばん」CMソング歌唱
  • ポピー「ジャンボマシンダー・グレートマジンガー」CM(パパ役、顔出し出演)
  • ロッテ「チョコガム」(1983年)、「ビックリマンチョコ」CM
  • ブックローン「リブロック」CMナレーション
  • トヨタカローラ埼玉 ラジオCMのナレーション(1976年)
  • タカラ (玩具メーカー)「プラクション・パロ伝」 CMのナレーション
  • 森永乳業 「純ココア」 ラジオCMのナレーション(1976年)
  • 森永乳業 「ミルクココア」 ラジオCMのナレーション(1977年)
  • バンダイ 「タマゴラス」 CMナレーション
  • タジマヤ ラジオCMのナレーション(1978年 - 1992年3月)
  • ライオン歯磨 おふろの入浴剤シャワシャワ(1976年)

その他コンテンツ

  • 東京ディズニーランドのアトラクション
    • カントリーベア・シアター(ゼブ、ウェンデル)
  • 中野区立歴史民俗資料館(中野区の歴史を紹介するビデオシアターに顔出し出演)
  • 朝日ソノラマ ソノシート・ゲゲゲの鬼太郎「妖怪大戦争」(子泣き爺)
  • 小学館「幼稚園」ソノシート・帰ってきたウルトラマン(郷秀樹)
  • 劇団飛行船
    • 「ピノッキオ」(ネコ)

  • えかきうたムーミン
作詞:丘灯至夫 歌:はせさん治、増山江威子、北川国彦、山田俊司、野村道子
  • どら猫とぼろ狐
作詞:保富康午 作曲:中村泰士 歌:永井一郎、はせさん治

注釈

出典

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/18 01:19 UTC (変更履歴
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