ハイラム・ケラー : ウィキペディア(Wikipedia)
ハイラム・ケラー(Hiram Keller, 1944年5月3日 - 1997年1月20日)は、ヨーロッパで活動したアメリカ合衆国出身の俳優、モデル。
来歴
1944年5月3日、アメリカ合衆国ジョージア州バルドスタに、ジョージア州最高裁判所首席判事の息子として生まれる。リー・ストラスバーグが主宰するニューヨークの名門演劇学校アクターズ・スタジオで演技を学び、女優のモニーク・ヴァン・ヴーレンの招きでブロードウェイミュージカル『ヘアー』のオリジナルキャストに起用された。俳優業と並行してランウェイモデルや写真モデルとしても活動し、ニューヨークではアンディ・ウォーホルとともにアンダーグラウンド・シーンで芸術活動に取り組んだ。
1969年、フェデリコ・フェリーニ監督のイタリア・フランス合作映画『サテリコン』でメインキャストのアシルト役に起用された。アシルト役にはもともとピエール・クレマンティの起用が想定されており、ケラーはクレマンティの代役にすぎなかった。しかし、『サテリコン』の共同脚本家であり、フェリーニと長年に渡って仕事をともにしたベルナルディーノ・ザッポーニは「(ケラーは)とても画面映えのする笑顔の持ち主であり、自らの演じる役どころを完璧に理解していた」と述懐している。
ケラーは『サテリコン』への出演により国際的に注目され、ヨーロッパの映画やテレビドラマで主要な役柄を演じていった。1969年にギリシャの映画『Orestis』で主演を務め、1970年にはイタリア・西ドイツ・フランス合作映画『栄光への戦い』でジョン・フィリップ・ローと共演した。1973年にはイタリアのコメディ映画『Sono stato io!』でメインキャラクターを演じ、フランス・イタリア・西ドイツの合作によるジャッロ系ホラー映画『ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森』や、1975年に製作された西ドイツのスリラー映画『バイオスパン/暗黒の実験』でも主人公を演じた。このほか、ヤンチョー・ミクローシュが監督したイタリアの歴史テレビドラマ『Roma rivoule Cesare』『Orlando furioso』にも参加している。
1997年1月20日、肝癌のため、52歳で死去した。『ヘアー』に出演していた青年時代にはすでにC型肝炎ウイルスに襲われていたと推察される。晩年は俳優業から身を退き、生まれ故郷のジョージア州アトランタで家族とともに過ごしていた。1982年に公開されたジャマイカのカルト映画『カントリーマン』が遺作となった。
私生活
1981年に女優のクリスティーナ・クレア(Kristina St. Clair)と結婚し、1987年に離婚した。2人の間にはセレナという名前の娘がいる。
主な出演作品
映画
公開年 | 邦題原題 | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1969 | サテリコンSatyricon | アシルト | |
1970 | 栄光への戦いStrogoff | イワン・オガリョフ | |
1973 | ジェーン・バーキン in ヴェルヴェットの森La morte negli occhi del gatto(Seven Deaths in the Cat's Eye) | ジェームズ・マクグリフ | 別邦題『ヴェルヴェットの森』 |
1975 | バイオスパン/暗黒の実験Lifespan | ベン・ランド博士 | |
1976 | 本当に若い娘Une vraie jeune fille(A Real Young Girl) | ピエール=エヴァリスト・ルナール / ジム | |
1982 | カントリーマンCountryman | ボビー・ロイド | |
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/29 21:56 UTC (変更履歴)
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