トーマス・H・インス : ウィキペディア(Wikipedia)
トーマス・ハーパー・インス(Thomas Harper Ince、1882年11月16日 - 1924年11月19日)は、アメリカ合衆国のサイレント映画期のプロデューサー、映画監督、脚本家、俳優。「ウエスタンの父」として知られ、生涯で800本以上の映画を製作した。
概要
インスは、ハリウッドで初めてメジャーのスタジオ施設を作ったことと、映画製作の工程にライン生産方式を導入したことによって、映画産業に革命を起こした。ロサンゼルスのに「インスヴィル(Inceville)」と呼ばれる自身のスタジオを持った。さらに映画におけるプロデューサーの役割を大きくした。早川雪洲を発掘したことでも知られる。
脚本を書いた『The Italian』(1915年)、プロデュースを務めた『Hell's Hinges』(1915年)、監督を務めた『シヴィリゼーション』(1916年)の3本はアメリカ国立フィルム登録簿に保存されている。後にD・W・グリフィス、マック・セネットとトライアングル・フィルム・コーポレーションに参加した。
トライアングルから離れた後、トライアングルのスタジオのあった場所(現在そこはソニー・ピクチャーズ・スタジオになっている)から1マイル離れたところに新スタジオを建設した(現在のカルバー・スタジオ) 。
主な作品
- 二挺拳銃
- シヴィリゼーション
- 呪の焔
- ツェッペリン最後の侵入
ポピュラーカルチャーにおいて
大富豪ウィリアム・ランドルフ・ハースト主催の豪華船上パーティの最中に、心臓発作で急死した。これを、ハーストに殺されたにもかかわらずその事実が隠蔽された、との噂が立てられた。この噂に基づいた映画『ブロンドと柩の謎』(2001年)が作られている。
日本語訳のある伝記など
- ハリウッド・バビロン(ケネス・アンガー著、明石三世訳、2011年、パルコ出版、ISBN 978-4891948818)
- 〈喜劇映画〉を発明した男 帝王マック・セネット、自らを語る(マック・セネット著、石野たき子訳/新野敏也監訳、2014年、作品社 ISBN 4861824729)
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/12/03 23:28 UTC (変更履歴)
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