丹野雄二 : ウィキペディア(Wikipedia)
丹野 雄二(たんの ゆうじ、1932年9月26日 - 2001年1月26日)は日本の映画監督、アニメーション演出家、プロデューサー、脚本家。東京都出身『産経新聞』2001年1月27日。。
概要
1959年ただし『産経新聞』2001年1月27日では1958年とされている。、日活に入社。「涙の季節」やハレンチ学園シリーズなど、実写映画の監督を手掛ける。 1965年に映画女優の稲垣美穂子と結婚。
1971年に日活を退社し『毎日新聞』2001年1月27日。、同年1月に「ダックスインターナショナル」を設立。以後、「まんが世界昔ばなし」や「まんがはじめて物語シリーズ」を中心にテレビアニメのプロデュースを手掛けた。
1977年に演劇集団「目覚時計」を設立し、テレビアニメと並行してミュージカルのプロデュースも手掛けた。
2001年1月26日、心不全のため東京都新宿区の慶応大学病院で死去。68歳没日刊スポーツ 訃報。
参加作品
実写
- 助っ人稼業(1961年)脚本
- 山のかなたに(1966年)テレビドラマ助監督
- 愛妻くん(1966年)テレビドラマ監督
- 結婚の条件(1967年)テレビドラマ演出
- 愛は惜しみなく(1967年)脚本
- ある日わたしは(1967年)テレビドラマ監督
- 花と果実(1968年)テレビドラマ監督
- 喧嘩太郎(1968年)テラビドラマ監督
- BG・ある19才の日記 あげてよかった!(1968年)本編監督デビュー作
- 涙の季節(1969年)監督
- 残酷おんな私刑(1969年)監督
- 涙でいいの(1969年)企画、監督
- プロフェッショナル(1969年)監督
- 女の警察 国際線待合室(1970年)
- 青春喜劇 ハレンチ学園(1970年)監督
- ハレンチ学園 身体検査の巻(1970年)監督
- ワンパク番外地(1971年)原案、企画、監督
- だから大好き!(1972年)監督
アニメーション
- 山ねずみロッキーチャック(1973年)構成(途中降板)
- 小さなバイキングビッケ(1974年)シリーズ構成
- まんが世界昔ばなし(1976年)プロデューサー
- まんがはじめて物語(1978年)プロデューサー
- 野ばらのジュリー(1979年)原案、企画、プロデューサー
- 巴里のイザベル(1979年)企画、プロデューサー
- 杜子春(1981年)プロデューサー
- イーグルサム(1983年)プロデューサー
- まんがどうして物語(1984年)プロデューサー
- まんがなるほど物語(1986年)プロデューサー
- ブンナよ木からおりてこい(1987年)監督
- 新まんがなるほど物語(1988年)プロデューサー
- まんがはじめて面白塾(1989年)プロデューサー
- チスト みどりのおやゆび(1990年)監督
- 21世紀まんがはじめて物語(2001年)企画
ミュージカル
- そんごくう プロデューサー『読売新聞』1979年7月15日。
- かぐや姫 プロデューサー
- 白姫伝説(1987年)プロデューサー
- ファーブルの昆虫記(1993年)プロデューサー
- ベィビー ベィビー プロデューサー
注釈
出典
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/12 03:29 UTC (変更履歴)
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