田中亮一 : ウィキペディア(Wikipedia)
田中 亮一(たなか りょういち、1890年(明治23年)8月29日衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、30頁。 - 1945年(昭和20年)12月26日『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』363頁。『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』185頁。)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)、佐賀県神埼郡千歳村(のち千代田村→千代田町、現・神埼市)長。
経歴
佐賀県出身。1915年早稲田大学政治経済科卒。卒業後は佐賀県に戻り農業を営む傍ら千歳村長、同農会長、神埼郡会議員、同農会長、佐賀県会議員、同参事会員、肥前麺業(株)社長、肥筑軌道取締役などを経て、1928年の第16回衆議院議員総選挙で立憲政友会公認で立候補して初当選。1930年の第17回衆議院議員総選挙で落選したが、1932年の第18回衆議院議員総選挙で復帰して以来4回連続当選した。1942年の第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した。1945年の幣原内閣で海軍政務次官に就任。同年11月で海軍省が廃止され、第二復員省となったため引き続き第二復員政務次官になった。同年12月18日の議会解散後、同月26日に死去した。
参考文献
- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 楠精一郎著『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』朝日新聞社、2006年。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/16 23:59 UTC (変更履歴)
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