橘外男 : ウィキペディア(Wikipedia)

は、日本の小説家。石川県出身。甥に少年画報社の漫画編集者で『ヤングコミック』創刊者の橘賢晋がいる。

経歴

陸軍歩兵大佐橘七三郎の三男として金沢に生まれ、父の転任に伴い、熊本や高崎で育つ。15、6歳から小説に熱中し、下級生を恐喝して旧制高崎中学校を諭旨退学となるなど、旧制中学を退学になること数度。父に勘当され、札幌で北海道鉄道管理局長を務める叔父に預けられたが、北海道鉄道管理局勤務中、芸妓に迷い、業務上横領罪で実刑判決を受け、21歳の時から札幌監獄で1年ほど服役。その経験を『私は前科者である』、『ある小説家の思い出』に書いている日下三蔵「解説」『怪奇探偵小説名作選5 橘外男集 逗子物語』ちくま文庫、2002年6月、pp477-483。。

27歳で妹の死去に逢い発奮して小説『太陽の沈みゆく時』を刊行。大正年間にキリスト教の影響の強い小説を書いていたが、作家として世に出るのは1936年に「文藝春秋」の実話小説の懸賞募集に『酒場ルーレット紛擾記(バー ルーレット トラブル)』が入選してからである。この頃には以前とは打って変わった饒舌体と呼ばれる独自の文体を身につけている。1938年『ナリン殿下への回想』で第7回直木賞を受賞した。

戦前は貿易会社や医療機器店等に勤務していたが、戦争で海外貿易が縮小したこともあり、1942年と1943年に満洲国に家族で移住している。最初は満洲書籍配給株式会社に勤務したが、満洲の衛生状態の悪さに辟易して帰国した。2度目は満洲映画協会に嘱託として勤務し、そのまま終戦を迎え、1946年に帰国した。

敗戦直後の新京(現・長春市)におけるソ連兵の横暴の経験を基にして書かれた「満洲物」と呼ばれる一連の小説は、独自の文体と相俟って、その悲惨さを余すところなく伝えており、資料的にも高い価値がある。

帰国後はカストリ雑誌から少女誌まで幅広く活躍し、その内容も怪談から一種のSF物と多様である。

著書

単著

没後再刊
  • 下記は改題新版、他は「妖花イレーネ」
  • 『燃える地平線』幻戯書房〈銀河叢書〉、2021年7月。単行本未収録を軸とする三部作。創作実話篇
  • 『予は如何にして文士となりしか』幻戯書房〈銀河叢書〉、2021年9月。自伝物語篇
  • 『皇帝溥儀』幻戯書房〈銀河叢書〉、2021年10月。満洲残影篇
  • 『蒲団 橘外男日本怪談集』中公文庫、2022年7月
  • 『人を呼ぶ湖 橘外男海外伝奇集』中公文庫、2023年3月

文学作品集

エピソードなど

「外男」は本名。『新青年』の編集者だった乾信一郎の回想によれば、橘は「父がぼくに外交官になってもらいたい念願をこめてつけてくれたもの」と語っていたという。なお、「キチガイオトコ」とかけているとする説があるが、乾によれば、この説は『新青年』等に寄稿していた映画批評家の松下富士夫が発案したシャレであり、乾からこの説を聞かされた橘は「キチガイオトコなんて読むやつの方がよっぽど気違い男だ」と憤然としていたという。

  • 戦前に「運命」という題名で発表した小説を戦後「雪原に旅する男」としてそのまま掲載した。
  • 政治学者蠟山政道は中学の同級生、戦後、『文藝春秋』の『同級生交歓』にも取り上げられている。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/03/12 05:42 UTC (変更履歴
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