田尻智 : ウィキペディア(Wikipedia)

田尻 智(たじり さとし、1965年8月28日 - )は、ゲームクリエイター。株式会社ゲームフリークの代表取締役社長であり、『ポケットモンスター』の生みの親として知られる。血液型はA型JOCX-TV2『TV2教養 ゲーム名人戦 特別版』(1989年5月24日放送分)。

経歴・人物

少年期

東京都世田谷区に生まれ、少年時代を町田市で過ごす。当時はまだ自然が残っていた町田市で、野山や小川、時には防空壕跡、廃墟にまで足を伸ばし、昆虫をはじめとした生物の観察や採取を楽しみ、図鑑から知識を得ることだけに留まらず、収集や飼育に独自の工夫を凝らした。この経験によってクラスで一番の「昆虫博士」となった。

中学生になった頃には町田市にも開発の波が押し寄せて自然が失われていき、宅地やゲームセンターが建てられていった。その地元のゲームセンターにて、友人の『スペースインベーダー』の最初の1機をプレイ、始めてとしては高得点を記録し、それ以来テレビゲームの虜となる。暇を見つけてはゲームセンターへ通い、少ない小遣いをゲームにつぎ込み、時には親の財布の金を使い、「ゲームセンター荒らし」として、その名を馳せる。

1980年の中学3年生の時、ユニバーサル社が開催した「ユニバーサル・ゲームアイデア・コンテスト」にて、プレイヤーがハンターとなって闇夜に潜むカラスを狙撃する「闇夜のカラス」というゲームアイデアを応募したが、落選した。

1981年の東京工業高等専門学校1年生の時には「跳ねる」をコンセプトに置いたゲームを制作し、セガ主催の「ゲームアイデア大賞」に応募したところ1等賞を受賞した。

ゲームフリーク創刊

1983年の東京工業高等専門学校3年生の時に、それまでの「ゲーム研究の成果」の集大成ともいえるゲーム攻略誌モノクロコピー誌(ミニコミ誌)『ゲームフリーク』を一人で執筆した。当時はゲーム雑誌も攻略本も今ほど整っておらず、同人誌専門店に販売を委託した「創刊号」は、彼と同じような“ゲームフリーク”(ゲームおたく)達の間で飛ぶように売れた。当時漫画家を目指していた杉森建も最初の読者の一人であり、すぐに田尻に手紙を送り、今に至る二人の友情が生まれ、2号以降のイラスト担当となった。その後も仲間は次第に増えていき、それに伴って『ゲームフリーク』の内容は充実していった。また、うる星あんず(大堀康祐)と中金直彦によるミニコミ界のベストセラー『ゼビウス 1000万点への解法』の再版依頼を受け『ゲームフリーク』別冊として発行し、当時のミニコミ誌としては記録的な部数を達成している。

ゲーム雑誌を作る傍ら、様々なゲームのアイディアを考案し、セガへ企画書を持ち込み、実際にゲーム制作を検討してくれる人物もいたが、持ち込んだ企画がゲームとして発売されることはなかった。そのことで田尻は「自分の手でゲームを作らなければ」と決心した。

ライター活動

高専卒業後は、『ゲームフリーク』における実績や、種々のゲームコンテストで培った人脈を活かし、『ファミコン通信』(現・『ファミ通』)・『ファミリーコンピュータMagazine』・『ファミコン必勝本』などでテレビゲーム情報関連のライターとなる。

ライターとして執筆していた主な雑誌およびコーナー、コラム
  • ファミコン通信(現・ファミ通)
ビデヲゲーム通信、指鍛錬道場、ソフトウェアレビューのコラム担当。
  • ファミリーコンピュータMagazine
アーケードゲーム紹介コーナー「ぼくたちゲーセン野郎」を担当。
  • ファミマガVideo(VHSソフト)
徳間書店より発売されていたゲームビデオマガジン。アーケードゲームの紹介コーナー「ぼくたちゲーセン野郎」に田尻本人がナビゲーターとして顔出しで出演していた。
  • GTV ナムコ究極マニュアル(VHSソフト)
GTVの企画でCBSソニーより発売されていたゲームビデオマガジン。クインティの発売時にはナムコ特集号が製作発売され、田尻本人も出演してクインティのゲーム内容や製作の経緯を詳細に解説していた。GTV関連ビデオソフトでは、後に『スーパーファミコンパーフェクトビデオ '92~'93』にも出演している。
  • ファミコン必勝本(パックランドでつかまえて)
自身の少年時代のゲーム関連にまつわる体験を元にした小説。後に単行本化された。
  • ゲーム批評(電視遊戯考現学講座)
ポケットモンスターの発売前後の時期に連載。しかしポケモンが大ヒットして田尻が多忙となってからは連載は中断。そのままフェードアウトした。
  • 週刊プレイボーイ(ファミコン若大将のファミコンくるくる情報)
  • メガドライブFAN(SEGA ARCADE HISTORY)
1991年5月から1992年8月まで連載。田尻の他、杉森建、とみさわ昭仁の3人で担当していた。

ゲーム制作

ゲームフリークの仲間と共に、初の本格的なゲームとなる『クインティ』を制作。本来ならメーカーから提供されるファミコンソフトの開発機材を自作し、3年かけて完成させ、このロムカセットを直接ナムコに持ち込んだ。ナムコは田尻らが自主制作した『クインティ』の発売をすぐに決めて、結果的に約20万本を売り上げた。

1989年4月、田尻はクインティの印税約5000万円から資本金100万円、残りを会社の運転資金にして株式会社ゲームフリークを設立した。

ポケットモンスター

ゲームフリーク設立と同じ4月にゲームボーイが発売され、田尻は特にゲームボーイの通信機能に着目し、データを「交換する」着想を得て、任天堂に「カプセルモンスター」という仮タイトルのゲームの企画を持ち込んだ。この企画は『ポケットモンスター』となり製作が開始された。種々の事情で遅延や中断はあったものの、任天堂のFC・GB用ソフト『ヨッシーのたまご』と『マリオとワリオ』やセガのMD用ソフト『パルスマン』などのゲーム製作で資金を集め、当初予定から6年以上が経過した1996年に発売、やがて大人気を博した。

『ポケットモンスター 金・銀』(1999年11月21日発売)を最後に、ゲーム開発の現場からは一歩引き、経営に専念している。

その他

  • 最も好きなポケモンはニョロモである。
  • 『ポケットモンスター』のアニメシリーズ・劇場版の全ての作品に、「原案:田尻智」のクレジットが必ず行われている。
  • アニメ版『ポケットモンスター』シリーズの主人公の名前「サトシ」は、田尻智に由来している。先に出た『ポケットモンスター 赤』の時の主人公のデフォルト名のひとつでもある。1999年11月の米雑誌『TIME』のインタビューで、田尻は「サトシ」は子供時代の自分自身の分身だと答えている。
  • 『ポケットモンスター 赤・緑』ゲーム開始時に表示される主人公またはライバルの名前候補のひとつであり、アニメでのサトシのライバルである「シゲル」の由来は、田尻が尊敬する宮本茂である。「師やライバルとして常に少し先を行っており、決して追いつくことはない」 とも答えている。
  • 「都市伝説」に対して強い思い入れがあることがインタビューなどで度々語られている。彼自身もかつて「とても安くアーケードゲームが遊べる店がある」という噂を聞いて、その真偽を自分で半年かけて調べてみたというエピソードがある『ゲームセンターCX』(2004年5月30日放送分?)で行われたクリエイターインタビューにおける田尻自身の話より。なお、結果はこの噂の真偽は「真実」であり、掘っ建て小屋のような店があったとのこと。ちなみに現在は駐車場になっていた。。雑誌の『ゲームフリーク』においてアーケードゲームにおける噂を調査した記事を載せたことがある。また、このことがゲーム版『ポケットモンスター』における「幻のポケモン」のアイデアの源流ともなったという(詳細はミュウ#幻のポケモンを参照)。
    • アニメ版『ポケットモンスター』においても、第1話で謎のポケモン(ホウオウ)を目撃して再会や更なる未知との出会いを一つの目標にする、スペシャル『ミュウツー! 我ハココニ在リ』の最後でミュウツーが都市伝説として語られるようになるなど、田尻からのメッセージとも取れるようなエピソードがいくつか登場している。
    • また、シリーズを通して都市伝説を意識した建物や場所がいくつかゲーム中に登場している。それらのいくつかは、実際に都市伝説として話題になった事もある(ポケモン屋敷・森の洋館など)。
  • ゲーム版『ポケットモンスター』では作中に開発スタッフ(ゲームフリーク社員)が登場するが、田尻は『ハートゴールド・ソウルシルバー』でしか登場していない(それも「この会社の社長」としてで、名前は一切出ない。原因は前述の通り『赤』『ピカチュウ』で「サトシ」がいちデフォルト名のため)。
  • 1986年4月 - 1988年3月の3年間、当時ニッポン放送の『オールナイトニッポン』内で放送されていた新作ゲームの紹介コーナーを担当。田尻本人と、当時ファミコン通信(現ファミ通)のスタッフだった田中パンチ(加川良)との2人で出演していた。
    • 小泉今日子のオールナイトニッポン(ファミ・バカコーナー)
    • ABブラザーズのオールナイトニッポン(ファミコンニューウェーブ)
    • 圭修のオールナイトニッポン(ファミコンニューウェーブ)
  • 映画監督のジョン・ウォーターズに影響を受けており、映画『ピンク・フラミンゴ』に衝撃を受け、自伝本なども大切にしている。
  • フジテレビONEにて2003年より放送されているゲーム番組『ゲームセンターCX』にゲスト出演したことがあり、よゐこ有野と対談やポケモンバトルを行った。

著書

注釈

出典

参考文献

同書には『ゲームフリーク』創刊号も収録されている。

関連項目

外部リンク

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