スペンサー・トレイシー : ウィキペディア(Wikipedia)

スペンサー・トレイシーSpencer Tracy, 1900年4月5日 - 1967年6月10日)は、アメリカ合衆国ウィスコンシン州ミルウォーキー出身の俳優。愛称はスペンス。

生涯

父は自動車工場の重役。俳優のパット・オブライエンとは幼馴染で、1917年にアメリカ海軍に入ったときも年齢を偽って一緒だった。その後は実際に戦場に行くことはなく、除隊後は医者をめざしてウィスコンシン州のリポン大学で学ぶCurtis (2011) p. 49; Deschner (1972) p. 34.も、大学の弁論部で熱弁をふるううちに演劇に興味を持ち、学生演劇に参加Cutis (2011) p. 55. "Tracy was obsessive about acting to the degree that he talked about little else."。さらに卒業後はオブライエンと共同生活をしながらニューヨークのアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツで学ぶ。セールスマンや掃除人で生活費を稼ぎながら、1923年にブロードウェイの舞台『R.U.R.』のロボット役で舞台デビュー、その後は舞台『A Royal Fandango』でエセル・バリモアと共演して一躍注目を集めたのを初め、主にブロードウェイで活躍した。また、1923年には女優のルイーズ・トレッドウェルと結婚しCurtis (2011) pp.14–15.、息子ジョン(後にディズニーでアニメ制作にかかわる)と娘ルイーズCurtis (2011) p. 177.をもうけるが、親しい友人としてつきあいもしつつ晩年は別居していた。

1929年、死刑囚に扮したブロードウェイのヒット作『The Last Mile』で評判をとる。この年にはニューヨークで製作された3本の短編映画に出演、映画俳優になるため各スタジオのスクリーンテストを受けるが、当時のハリウッドとしてはお世辞にも美男子とは言えなかったスペンサーはお呼びではなかった。映画界入りの夢を果たせないままに見えたが、『The Last Mile』の舞台に出演していたところを監督のジョン・フォードに見出され、同年に映画『河上の別荘』に主役として抜擢。同時にフォックス社と契約するが、やはりその顔立ちから悪役ばかりやらされ、順調な滑り出しとは言えなかった。しかし、1933年の『春なき二万年』に出演した頃から演技が認められるようになり、『力と栄光』ではたたき上げの鉄道王役を評じる。特にロレッタ・ヤングと共演した『青空天国』では彼女との仲が話題にもなった。その後の5年間で25本もの映画に出演し、1935年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーと契約、1936年のフリッツ・ラング監督による『激怒』や、1937年のアカデミー主演男優賞に初ノミネートされたパニック映画『桑港(サンフランシスコ)』などに出演。そして1937年のポルトガル人漁師を演じた『我は海の子』と1938年の実在するフラナガン神父を演じた『少年の町』で2年続けてアカデミー主演男優賞を受賞。この2年連続受賞の快挙はこの57年後に『フィラデルフィア』と『フォレスト・ガンプ/一期一会』でトム・ハンクスが受賞するまで唯一の事だった。これを機に一躍人気スターとなり、マネー・メイキング・スターに仲間入りも果たす。またこの頃、ロス五輪の馬術金メダリストだった西竹一とも親交があった。

1941年にはキャサリン・ヘプバーンとの絶妙なコンビネーションで話題を呼び『女性No.1』がヒット。キャサリンとはこの共演がきっかけで交際するようになり、二人はスペンサーの遺作となった『招かれざる客』まで9本の映画で共演するが、トレイシーはカトリックであり、最初の妻と離婚しなかったため(ルイーズが障害のある息子を育て上げたことに、トレーシーは生涯申し訳なさを感じていた)二人は結婚しなかった。1940年代は映画会社の上層部と何度かトラブルを起こし、あまり作品に恵まれなかったが、1950年の『花嫁の父』がヒット、アカデミー主演男優賞にもノミネートされ、また翌1951年に続編『可愛い配当』が製作された。その後の主な作品に、1954年の異色ウェスタン『折れた槍』、翌1955年のカンヌ国際映画祭最優秀演技賞を受賞した『日本人の勲章』、1958年にはほとんど一人芝居で演じたアーネスト・ヘミングウェイ原作の『老人と海』と、全米批評家協会賞を受賞した『最後の歓呼』、1961年のナチ戦犯を裁く裁判長を演じた大作『ニュールンベルグ裁判』などが挙げられる。1963年の『おかしなおかしなおかしな世界』への出演以降、晩年は心臓を悪くし、ルイーズとキャサリンで交代に看病していたが、1967年に『招かれざる客』の撮影が終了した17日後に心臓発作で死去。スペンサーの死を看取ったのは晩年をパートナーとして過ごしたキャサリンだったが、「ルイーズに申し訳ない」との理由から葬儀へは出席しなかった。その緻密な演技は、現在に至るまで多くの俳優の目標になっており、受賞を含めてノミネート回数は9回という輝かしい記録はいまだ誰にも破られてはいない(2010年現在、男優ではジャック・ニコルソンの主演・助演含めて12回が最高記録)。

人物

温厚な人格者の役柄を数多く演じたのとは対照的に、スペンサー本人は大変な自信家で、気も強かったことから映画会社の首脳部と衝突することも多かった。実際に、フォックス社を退社した時もその気性の荒い性格から助演格に落とされたのにスペンサーが怒り、結局は出演拒否したのが原因で解雇されたからであった。またその一面を象徴するエピソードとして、キャサリンが『女性No.1』の撮影中にスペンサーと初めて会った際、「私ちょっと背が高すぎるわね、って言いましたら、心配するな、じきに僕に合うように小さくしてやるよ、と言うんですよ」とキャサリンはのちに語っている。またクラーク・ゲーブルもスペンサーに対し「あいつはいいやつだ。この世界で彼にかなう奴はいないよ。彼と競争しようという奴はバカだ。あいつはそのことを自分でも知っているんだ。だから彼の謙遜した口ぶりにだまされちゃいけないよ」と語っている。

自信家の一方、演技者としての実力も誰もが認めるところで、その自然体の演技は内外を問わず多くの俳優に影響を与えた。親友のハンフリー・ボガートも「スペンスの演技は最高だった。彼がどう演じているのか、その仕掛けはまるで見えなかったからね」とコメントを残している。

スペンサーの死後、キャサリンは彼との思い出を次のように語っている。「スペンサーはいつでも、男が生活費を稼ぐための仕事としては、俳優というのはちょっと馬鹿げた仕事だって考えてたと思うわ。彼は古い樫の木のような人、あるいは夏の風のような人。いずれにしろ男が男だった時代の人だった」。また、お互いの関係について、「アメリカで理想の男性といえばスペンサーよ。私は意地悪いことを言ったり、彼をじらしたり、一杯食わせてみたり、女そのものを演じていたわ。でも、彼がホンキで怒ればすぐ降参。男と女のロマンチックで理想的な関係というのはこういうものなのよ」と語っていた。

出演作品

公開年邦題原題役名備考
1930 河上の別荘 Up The River セント・ルイス
1931 速成成金 Quick Millions ダニエル・J・レイモンド(バグス)
1932 彼女は金満家がお好きShe Wanted a Millionaire ウィリアム
ヤング・アメリカYoung America ジャック
金髪乱れてMe and My Gal ダニー
春なき二万年20,000 Years in Sing Sing トミー
1933 狂乱の上海Shanghai Madness パット・ジャクソン
力と栄光 The Power And The Glory トム・ガーナー
1934 電話新撰組Looking for Trouble ジョー・グラハム
1935舗道の殺人The Murder Man スティーヴ・グレイ
ダンテの地獄篇Dante's Inferno ジム・カーター
1936 港に異常なしRiffraff ダッチ
激怒 Fury ジョー・ウィルソン
桑港 San Francisco マリン神父
結婚クーデター Libeled Lady ハガーティ
1937 戦友They Gave Him a Gun フレッド
我は海の子 Captains Courageous マヌエル・フィデロ アカデミー主演男優賞 受賞
1938 テスト・パイロットTest Pilot ガンナー・モリス
少年の町Boys Town フラナガン神父 アカデミー主演男優賞 受賞
1939 スタンレー探検記Stanley and Livingstone ヘンリー・M・スタンレー
1940 北西への道 Northwest Passage ロバート・ロジャース
人間エヂソン Edison, the Man トーマス・エジソン
ブーム・タウン Boom Town スクエア・ジョン・サンド
1941 ジキル博士とハイド氏 Dr. Jekyll and Mr. Hyde ジキル博士/ハイド氏
1942 女性No.1 Woman of the Year サム・クレイグ
火の女Keeper of the Flame スティーヴィー
1944 第七の十字架The Seventh Cross ジョージ
東京上空三十秒 Thirty Seconds Over Tokyo ジェームズ・H・ドーリットル
1947 大草原The Sea of Grass
1948 愛の立候補宣言State of the Union グラント・マシューズ
1949 アダム氏とマダム Adam's Rib アダム・ボナー
1950 花嫁の父 Father of the Bride スタンリー・T・バンクス
1951 可愛い配当Father's Little Dividend スタンリー・T・バンクス
1952 パットとマイクPat and Mike マイク
1953 The Actress クリントン・ジョーンズ ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門) 受賞
1954 折れた槍Broken Lance マット
1955 日本人の勲章 Bad Day at Black Rock ジョン・マクリーディ
1956 The Mountain ザカリー・テラー
1957 おー!ウーマンリブDesk Set リチャード
1958 老人と海The Old Man and the Sea 老人
最後の歓呼The Last Hurrah フランク・スケフィントン
1960 風の遺産Inherit the Wind ヘンリー・ドラモンド
1961 ニュールンベルグ裁判 Judgment at Nuremberg ダン・ヘイウッド裁判長
四時の悪魔The Devil at 4 O'Clock マシュー・ドゥナン神父
1962 西部開拓史 How the West Was Won ナレーター 声の出演
1963 おかしなおかしなおかしな世界 It's a Mad Mad Mad Mad World カルペッパー警部
1967 招かれざる客 Guess Who's Coming to Dinner マット・ドレイトン 英国アカデミー賞 主演男優賞 受賞

受賞歴

部門 作品名 結果
アカデミー賞 1936年 主演男優賞 『桑港』
1937年 『我は海の子』
1938年 『少年の町』
1950年 『花嫁の父』
1955年 『日本人の勲章』
1958年 『老人と海』
1960年 『風の遺産』
1961年 『ニュールンベルグ裁判』
1967年 『招かれざる客』
ゴールデングローブ賞 1953年 主演男優賞 (ドラマ部門)The Actress
1958年 『老人と海』
1960年 『風の遺産』
1967年 『招かれざる客』
英国アカデミー賞 1953年 外国男優賞The Actress
1956年 『山』
1958年 『最後の歓呼』
1960年 『風の遺産』
1967年 主演男優賞 『招かれざる客』
カンヌ国際映画祭 1955年 男優賞 『日本人の勲章』
ナショナル・ボード・オブ・レビュー賞 1958年 男優賞 『最後の歓呼』『老人と海』
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞 1962年 『ニュールンベルグ裁判』

参照

参考文献

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/05/31 02:59 UTC (変更履歴
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