鈴木重吉 : ウィキペディア(Wikipedia)

鈴木重吉(すずきしげよし、1900年6月25日 - 1976年10月8日)は、日本の映画監督・脚本家。

人物

東京市出身。傾向映画と呼ばれたプロレタリア映画を中心に1920年代から1930年代にかけて多くの作品を監督する。

1926年の『土に輝く』(松竹映画)で初監督。1930年、監督・脚本をつとめた『何が彼女をさうさせたか』がヒットし、題名が流行語ともなった。

阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画、マキノ映画、帝国キネマ、入江プロ(新興キネマ)、不二映画社、日活、東和商事映画部と渡り歩き1939年の『富貴春夢』(満映)を最後に現場から離れるが、1950年『東京ルムバ』(大泉映画)で復帰する。1954年に大映に移籍、1956年まで監督を続けた。

その後も『東京オリンピックへの道』(1963年、東宝)の構成・編集を行っている。

晩年は写真集の出版に当たった。1976年10月8日、神奈川県鎌倉市の自宅で死去。76歳訃報欄 鈴木重吉氏(映画監督)『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月13日朝刊、13版、23面。

監督作品

  • 土に輝く(1926年、松竹キネマ)
  • 運動家(1926年、松竹キネマ)
  • 運命の子(1926年、松竹キネマ)
  • 人間愛(1926年、松竹キネマ)
  • 霧の中の灯(1926年、松竹キネマ)
  • 裸騒動記(1926年、松竹キネマ)
  • 裸女(1926年、松竹キネマ)
  • 曲馬団の姉妹(1926年、松竹キネマ)
  • おとし穽(1926年、松竹キネマ)
  • 冬休み(1927年、松竹キネマ)
  • 青蛾(1927年、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画)
  • 雲雀(1927年、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画)
  • 弱虫(1927年、阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画)
  • 田中宰相の少年時代(1928年、マキノ映画)
  • 恋のジャズ(1929年、帝国キネマ)
  • 何が彼女をさうさせたか(1930年、帝国キネマ)
  • 踊る幻影(1930年、帝国キネマ)
  • 子守唄(1930年、帝国キネマ)
  • 腕(1930年、帝国キネマ)
  • 愛すべく(1931年、帝国キネマ)
  • 何が彼女を殺したか(1931年、新興キネマ)
  • 栄冠涙あり(1931年、不二映画社)
  • 熊の出る開墾地(1932年、不二映画社)
  • 金色夜叉(1932年、不二映画社)
  • 銀嶺富士に甦る(1933年、不二映画社)
  • 青春無情(1933年、日活)
  • 蒼眸黒眸(1933年、日活)
  • 見染められた青年(1934年、日活)
  • 潮(1934年、日活)
  • 雁来紅(1934年、入江ぷろだくしょん)
  • 貞操問答(1935年、入江ぷろだくしょん)
  • 裏町の乾杯(1935年、第一映画社)
  • 花嫁学校(1935年、新興キネマ)
  • 洋上の感激(1936年、新興キネマ)
  • 雷鳴(1936年、新興キネマ)
  • 新月抄(1936年、新興キネマ)
  • 現代日本(1937年、国際映画協会)
  • 淨婚記 真砂の巻(1937年、新興キネマ)
  • 淨婚記 比芙美の巻(1937年、新興キネマ)
  • 小国民(1938年、新興キネマ)
  • 東洋平和の道(1938年、東和商事)
  • 富貴春夢(1939年、満洲映画協会)
  • 東京ルムバ(1950年、大泉映画)
  • 哀愁の港 やくざブルース(1950年、大泉映画)
  • 新しき天(1954年、大映)
  • 母千草(1954年、大映)
  • お嬢さん先生(1955年、大映)
  • 東京暴力団(1955年、大映)
  • ブルーバ(1955年、大映)
  • 豹の眼(1956年、大映)
  • 青竜の洞窟(1956年、大映)

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/23 02:32 UTC (変更履歴
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