ジョン・ロッカー : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョン・ロイ・ロッカーJohn Loy Rocker, 1974年10月17日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州ステイツボロ出身の元プロ野球選手(投手)。

経歴

プロ入りとブレーブス時代

1993年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから18巡目に指名を受け入団。

5月5日のロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビュー。主にセットアッパーとして起用され、1勝3敗2セーブ・防御率2.13、38イニングで42奪三振を記録した。ポストシーズンでもロースター入りを果たし、サンディエゴ・パドレスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは全試合に登板し無失点に抑えたが、チームは2勝4敗で敗退した。

は前年30セーブを挙げたケリー・ライテンバーグの故障によりクローザーを務め、4勝5敗38セーブ・防御率2.49、72.1イニングで104奪三振を記録し、チームの地区優勝に貢献。ニューヨーク・メッツとのリーグチャンピオンシップシリーズでは前年に続いて全試合に登板し、チームは3年ぶりにリーグ優勝を果たす。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでも2試合に投げ無失点に抑えたが、チームは4連敗で敗退した。

は問題発言(後述)の影響もあって前半戦は防御率4.62、25.1イニングで34四球と不調だったが、後半戦で防御率1.30と復調し、シーズン通算で1勝2敗24セーブ・防御率2.89を記録した。セントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズでは1試合に登板したが、チームは3連敗で敗退した。

は15連続セーブを記録する。

インディアンス時代

2001年6月22日に2選手との交換トレードで、1選手とともにクリーブランド・インディアンスに移籍。

移籍後もクローザーを務めたが不調が続いて配置転換される。移籍後は3勝7敗4セーブ・防御率5.45に終わり、シーズン通算で5勝9敗23セーブの成績だった。チームは地区優勝を果たし、シアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは1試合に登板するが、チームは2勝3敗で敗退。

レンジャーズ時代

2001年12月18日にトレードでテキサス・レンジャーズに移籍。

は開幕からクローザーを務めるが不調で配置転換された。2勝3敗1セーブ・防御率6.66と不安定でマイナーに降格し、10月3日に解雇。同年ホラー映画『殺戮職人芝刈男』に出演し、「銀幕デビュー」を果たした。

レイズ時代

4月10日にタンパベイ・デビルレイズと契約するが、2試合の登板のみで6月27日に解雇された。

独立リーグ時代

に独立リーグアトランティック・リーグのロングアイランド・ダックスと契約するが、2敗・防御率6.50、18イニングで28四球と不調で解雇され、現役引退。

引退後

引退後は、テレビのバラエティ番組に出演の傍らチャリティー活動も行っている。テレビ番組のイベントで出会ったモデルと結婚。

2016年には同年のアメリカ合衆国大統領選挙でドナルド・トランプを支持するSlugger 2016年9月号。

人物

問題発言

2000年1月号のスポーツ・イラストレイテッド誌で、当時のメッツ本拠地シェイ・スタジアムに向かうニューヨーク市地下鉄7号線について、こう発言した。

まるでベイルートにでもいるような気分になる。隣のガキは髪を紫に染め、また隣にはエイズ患者。さらに隣には4度目の出所を終えたばかりのヤツがいて、その横には20歳で4人の子持ちの母がいる。

この発言の背景には、前年のリーグチャンピオンシップシリーズ第5戦で、メッツファンにバッテリーを投げつけられたことに対する不満があるのだが、もちろんニューヨーク市民は激怒。それに対して再度応酬し、「(シェイ・スタジアムに行くのに)タクシーやバスは使わず、地下鉄7号線に乗るつもり。今から楽しみだ。(暴漢に襲われて負傷して)病院に行く準備もしていくよ。」と発言。市民の怒りは頂点に達したが、ここで当時のニューヨーク市長ルドルフ・ジュリアーニが、大リーグコミッショナー事務局に、ロッカーの地下鉄利用を止めさせるよう連絡するとともに、市民に「彼に対して怒る権利はあるが、決して危害を加えないように。球場の内外を問わず、彼に危害を加えようとする者は容赦なく犯罪者として逮捕する。」と発言し、自制を求めた。更に同僚のランドール・サイモンに「太った猿」と暴言を吐いたことも明らかになった。

一連の騒動で、開幕から28試合(のちに14試合に軽減)の出場停止処分と減俸処分を受けた。6月29日に騒動後初めて敵地でのメッツ戦が行われ、46,987人の観客が詰めかけた。通常60人程度配備している警官を700人に増員し、万一に備えた。場内のビールは売り切れ、ブレーブスのブルペンにはカバーがかけられた。8回に登板した際にファンから「クソッタレ!」等の激しい野次が飛ばされる(無論「クソッタレ」程度は生易しい方である)が平然とマウンドに向かい、3者凡退に打ち取った。試合はブレーブスが勝利し、試合後は3台の護衛がついた黒いバンに乗り込んで球場を後にした。

詳細情報

年度別投手成績

ATL470000132--.25015638.0224224342601092.131.16
7400004538--.44430172.147537411047024202.491.16
5900001224--.33325153.04254842775225172.891.70
3000002219--.50013532.02521612365013113.091.28
CLE380000374--.30016534.23322533436223215.451.67
'01計6800005923--.35730066.258441457911236324.321.49
TEX300000231--.40011424.12951310300019186.661.73
TB20000000----81.020301000119.005.00
通算:6年2800000132288--.3711130255.1200231641712332294115973.421.43

背番号

  • 49 (1998年 - 2002年)
  • 48 (2003年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/10/08 12:34 UTC (変更履歴
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