ジョン・カザール : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョン・ホランド・カザール(John Holland Cazale、1935年8月12日 – 1978年3月12日)は、アメリカの俳優。

経歴

生い立ち

マサチューセッツ州リビアに生まれた。父親はイタリア系アメリカ人、母親はアイルランド系のアメリカ人だった。高校はボクストン・スクール。東部の名門であるオバーリン大学とボストン大学で演劇を学び、同校を卒業した。10代の頃には後に『ゴッドファーザー』などで共演することになるアル・パチーノと親交を深めた 。

スターに

イスラエル・ホロヴィッツ([[:en:Israel Horovitz]])の『The Indian Wants the Bronx』にアル・パチーノと共演した。同作品で、1967-1968年シーズンのオフ・ブロードウェイのオビー賞を受賞した。ホロヴィッツの『Line』での演技が映画プロデューサーのフレッド・ルース([[:en:Fred Roos]])の目に止まり、ルースがフランシス・フォード・コッポラに推薦したことにより映画出演の足がかりをつかむ。

1972年、『ゴッドファーザー』で映画デビュー。フレド・コルレオーネ役で出演した。映画は興行、批評の双方で大きな成功をおさめ、友人のアル・パチーノ等と共に無名俳優から一躍スターダムにのし上がった。

1974年4月、コッポラが監督した『カンバセーション…盗聴…』に出演。同年12月、『ゴッドファーザー PART II』に出演。

1975年、『狼たちの午後』で再びパチーノと共演し、こちらでも自身がゴールデングローブ賞にノミネートされるなど成功を収めた。

1976年、ニューヨーク・シェイクスピア・フェスティバルで上演された舞台『尺には尺を』にメリル・ストリープと共演Foote, Timothy, "License in the Park," Time, 23 August 1976, page 57。これがきっかけでストリープとの交流が生まれ、彼女との関係はカザールが1978年に没するまで続いた, p. 10.。

死去

映画『ディア・ハンター』(1978年12月公開)の制作が始まっていた時には彼は既に肺癌の診断を受けていた。病気を知らされた制作者のユニバーサル・スタジオは彼の出演に難色を示したが、カザールの精力的な姿勢を尊重した監督のマイケル・チミノや共演のロバート・デ・ニーロメリル・ストリープらの尽力により制作は続行された。映画制作時にカザールとストリープは婚約している。

その後、治療もむなしく癌は骨にも転移。撮影終了後の1978年3月12日、封切りを待つことなく死去した。。

備考

  • カザールの出演作は死後も含めて全てIMDBの選出した250本の映画作品のリストに含まれている他、アカデミー作品賞にノミネートされており、そのうち3作が受賞した。
  • 2009年1月、カザールの生涯と作品を追ったドキュメンタリー映画『I Knew It Was You』がサンダンス映画祭で公開された。

出演作品

公開年 邦題 原題 役名 備考
1972 ゴッドファーザーThe Godfather フレド・コルレオーネ
1974 カンバセーション…盗聴…The Conversation スタン
1974 ゴッドファーザー PART IIThe Godfather Part II フレド・コルレオーネ
1975 狼たちの午後Dog Day Afternoon サル ゴールデングローブ賞ノミネート
1978 ディア・ハンターThe Deer Hunter スタン
1990 ゴッドファーザー PART IIIThe Godfather Part III フレド・コルレオーネ ※フィルム・アーカイブとして

テレビ

放映年邦題原題役名備考
1968 ニューヨーク警察N.Y.P.D. トム・アンドリュース シーズン2 第8話 "The Peep Freak"
1977 ゴッドファーザー テレビ完全版The Godfather: A Novel for Television フレド・コルレオーネ 映画『ゴッドファーザー』『ゴッドファーザーPARTII』2作のテレビ放映用再編集版。

受賞歴

ゴールデングローブ賞

ノミネート
1976年 助演男優賞:『狼たちの午後』

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/04/25 19:19 UTC (変更履歴
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