ジョニー・アリディ : ウィキペディア(Wikipedia)
ジョニー・アリディ(ハリディ、アリデー、アリデ)(、1943年6月15日 - 2017年12月5日)は、フランス・パリ出身の歌手、俳優。
人物
本名はJean-Philippe Smet(ジャン=フィリップ・スメット)。ベルギー人の父親とフランス人の母親を持つといわれる。幼少から叔母(伯母)に育てられる。1960年17歳でデビュー、1960年代は主にエルヴィス・プレスリー等のアメリカン・ロックのカバー曲を歌う。以来、フランスのナンバー1ロック・シンガーとして国内では圧倒的人気を誇る。国民的人気歌手ゆえに、公私の出来事は国民的関心事となり、現在もニュース番組で放映される。初期の代表曲は1969年の「Que Je t'aime」(ク・ジュ・テーム)。
日本公演は1度だけ(1973年1月)行われている。1978年6月には第7回東京音楽祭で審査員も務めた。ヴィブラートの効いたパワフルなボーカルが特徴的で、スタジアム・ライブで世代を超えて大観衆を魅了し続ける。しかしフランス語圏外での活躍・評価に恵まれず日本での成功を収めているとは言い難い。日本ではむしろ、大成功を収めているシルヴィ・ヴァルタンの前夫として知られている。
1965年4月に人気絶頂20歳のシルヴィ・ヴァルタンと21歳で結婚、翌年1966年8月に一人息子で現在シンガー・ソングライターのダヴィド・アリディ(David Hallyday)が誕生。しかしトップ・スター同士の15年間(1965年4月から1980年11月)の比較的長い結婚期間は、公私共に日々マスコミに曝されて常に報道記事の対象であった。1966年9月にはジョニーが自殺未遂している。1973年に2人が初デュエットした「J'ai un Problème」(危険な関係)はフランスで大ヒットし第1位にランクされ、その夏に2人で2カ月間にわたるヨーロッパ・ツアーを行った。1978年夏にアルバム『Solitude』(孤独)からシングル「Elle m'oublie」(彼女は僕を忘れている)が大ヒット。1980年11月の離婚後も、フランス国民にとってシルヴィとジョニー(Sylvie & Johnny)は切り離せぬ永遠の伝説的スター・カップルとなっている。
激しい歌い方とその風貌、当初からのプレイボーイぶり、新進音楽家達の憧れの対象でもあり、アーティストとしての才能などが入り混じりフランス語圏のリスナーを魅了している。1970年代には複数のパレ・デ・スポール(Palais des Sports)公演を行い、その後はゼニットやベルシー・アレナなどでも公演を行っている。1980年代半ばからやらの人気シンガーソングライターとコラボレーション。現在も新譜を発売する度にレコード・セールス・ナンバー1に躍り出ている。1999年には一人息子でシンガーソングライターのダヴィド・アリディが全曲手掛けたアルバム『Sang pour sang』が、ヒット・チャートのトップを一カ月以上も走って話題となった。
2010年1月のフランス・テレビジョン(F2) のニュースによると、レコード・セールスやツアーなどで、2009年度フランス・セールス番付第1位。しかし、2009年5月から始まった66歳を祝う66回国内外公演ツアーでは「コンサートはこれで最後にする」と公言。約半世紀の間歌い続け、常に大規模なスペクタクルとツアーの連続で家族と過ごす暇もない生活に、少々疲れ気味であると告白。(日々移動することのない)映画は続けるとのことだった。ところが、2010年8月に雑誌等のインタビューで、上述の歌手引退宣言を撤回。9月第1週のテレビF2における夜8時のニュースは「2012年にメガ・コンサートで復帰する予定」と放送した。2009年末から体調不良や手術等で例の66回国内外公演ツアーは途中キャンセルに追い込まれたが、その後は心身共に回復したことからロック魂が蘇ったという。2011年春に新譜『Jamais seul』を発売。これまで通りの高いセールスには到らなかったものの、2週間トップを走る。また俳優業では秋に演劇の主演作がある。
公演
1993年6月、50歳を祝いパリ市パルク・デ・プランス・スタジアムでメガ・コンサートを開催し3日間で18万人を動員。ステージにニューヨークのブルックリン橋を再現するための膨大な機材の輸送過程まで、ニュース番組で流れた。全フランスの最大の関心事は、ジャン・フランコ・フェレの深紅のベルベット・ドレスで登場するシルヴィ・ヴァルタンを最高のセッティングでゲストに迎えたその歴史的シーンであり、本公演はテレビで生放送され、またその名場面は週刊誌『パリ・マッチ』(Paris Match)にクローズ・アップで掲載された。
2009年には66歳のメモリアル・コンサートをスタート、エッフェル塔を前に夜空に上がる花火と共に華々しくフリー・コンサートを開催、続いてスタッド・ド・フランスにてメガ・ショウを開催。ジョニーはこの後2009年9月のシルヴィ・ヴァルタンのパリ・オランピア劇場公演の第2部に連日ゲスト出演している。何処を見てもジョニー一色のパリであった。
私生活
1965年4月、21歳の時に同じくブルガリア出身で人気絶頂20歳の歌手シルヴィ・ヴァルタンと結婚するが、1980年11月に離婚。その後、4度の結婚歴と多くの同棲生活歴がある。当初から無数の女性遍歴でフランスを代表する週刊誌『パリ・マッチ』の表紙を公私の話題で飾るが、その国民的人気ロックンローラーの座は揺るぎない。1996年にレティシアという21歳の若き女性と5度目の結婚をしてからは、2004年と2008年にベトナムから養子を迎えて安定した家族生活を送っている。フランス、スイス、アメリカ西海岸等に住居や別荘を持つ。シルヴィ・ヴァルタンとはいつも身内同様で、現在は家族同士の付合い。実子は2人おり、シルヴィ・ヴァルタンとの一人息子でシンガーソングライターのダヴィド・アリディ(David Hallyday) と、1982年から1986年に同棲した女優のナタリー・バイとの一人娘で女優のローラ・スメット(Laura Smet、スメットはアリディの本名)である。ダヴィドは、2010年3月に全曲を自身で作曲・演奏まで行った新譜『Un nouveau monde』(a new world)の中で、ローラと1曲デュエットしている。
自動車好きであり、1967年のラリー・モンテカルロやヒルクライム競技に参戦した。2002年にはスーパープロダクションの日産・エクストレイルをドライブしてダカール・ラリーにも挑戦した(結果は規定時間外完走)ジョニー・アリデー Johnny HALLYDAY (Driver) #245 Nissan X-TRAIL。
2009年に大腸癌と診断され手術Johnny Hallyday tour cancelled because of health problemsFrench rocker in induced coma。2017年12月5日フランス時間22時10分[[:fr:Johnny Hallyday]]に、マルヌ=ラ=コケットにて肺癌のため死去したhttp://www.lefigaro.fr/musique/2017/12/06/03006-20171206ARTFIG00004-johnny-hallyday-est-mort-a-74-ans-la-derniere-idole-de-la-france-s-en-va.php。74歳没。葬儀は壮大なものとなり国葬レベルの警備がなされ、彼を偲ぶ数十万にも及ぶファンに見守られたhttps://www.theguardian.com/music/2017/dec/09/johnny-hallyday-funeral-paris-tributes-emmanuel-macron。
主な出演作品
- 『パリジェンヌ』 - Les parisiennes (1961年)
- 『ジョニーはどこに』 - D'où viens-tu Johnny? (1963年)
- 歌:「さすらいのジョニー」(Pour moi la vie va commencer)、「マイ・ギター」など
- 『アイドルを探せ』 - Cherchez l'idole (1964年)
- 『すべてをぶちこわせ』 - A Tout Casser (1967年)
- 『スペシャリスト』 - Le spécialiste (1969年)
- 『冒険また冒険』 - L'aventure, c'est l'aventure (1972年)
- 『ジョニー・オン・ステージ』 - Johnny on Stage (1972年)
- 『ムッシュとマドモアゼル』 - Animal (1978年)
- 『ゴダールの探偵』 - Détective (1985年)
- 『ターミナス』 - Terminus (1986年)
- 『アイアン・トライアングル』 - The Iron Triangle (1988年)
- 『列車に乗った男』 - L'homme du train (2002年)
- 『クリムゾン・リバー2 黙示録の天使たち』 - Crimson Rivers II: Angels of the Apocalypse (2004年)
- 『ピンクパンサー2』 - The Pink Panther 2 (2009年)
- 『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』 - Vengeance (2009年)
ディスコグラフィ
- フランス語版ディスコグラフィを参照 [[:fr:Discographie de Johnny Hallyday]]
外部リンク
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