ジャック・ドニオル=バルクローズ : ウィキペディア(Wikipedia)
ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ(Jacques Doniol-Valcroze、1920年5月15日 パリ - 1989年10月6日 カンヌ)は、フランスのジャーナリスト、映画批評家、映画監督、俳優、脚本家。
来歴・人物
- 1920年5月15日、パリに生まれる。
- 1946年、誌の編集部に入り、ジャーナリストとしてのキャリアを始める。
- 同年、ジャン=ジョルジュ・オリオールが戦前創刊し、廃刊していたラ・ルヴュ・デュ・シネマ誌をオリオールとともに復刊に尽力、新創刊する。翌1947年編集長に就任(1947年 - 1949年)。
- その傍ら、『』、『』で、映画批評家として活躍。
- 1949年、アンドレ・バザン、ジャン・コクトー、ロベール・ブレッソン、アレクサンドル・アストリュックとともにシネクラブ「オブジェクティフ49」を設立。
- 同年、第一回呪われた映画祭をビアリッツで開催。
- 1951年4月、バザン、ジョゼフ=マリー・ロ・デュカ(ジュゼッペ・マリア・ロ・デュカ)とともに『カイエ・デュ・シネマ』を創刊。
- 1955年、『カイエ』創刊5年目にして第16回ヴェネツィア国際映画祭審査員に就任。
- 1958年、長い批評家としてのキャリアの後、38歳にして短編映画を演出。
- 1959年、長編映画『唇(くち)によだれ』を発表。『』はロマンティック作風であったが、同作を除いて、一貫して痛烈な色調の作風を指向した。
- 1959年、ピエール・カスト『Le Bel Âge』では主演したほか、映画界で最初のキャリアを築いた後で、テレビ界の俳優としても同様に数多く出演。
- 1964年、第14回ベルリン国際映画祭審査員。
- 1968年、第29回ヴェネツィア国際映画祭審査員。
- 1989年10月6日、南仏カンヌで死去。
フィルモグラフィ
- 王手飛車取り Le Coup du berger (ジャック・リヴェット、短編、1956年) 出演
- 唇(くち)によだれ L'Eau à la bouche (1959年) 監督 ※監督デビュー長編
- Le Bel Âge (ピエール・カスト, 1959年) 脚本、出演
- Les Surmenés (1960年) 監督
- La Dénonciation (1961年) 監督、脚本
- 不滅の女 L'Immortelle (アラン・ロブ=グリエ、1963年) 出演
- Vacances portugaises (ピエール・カスト, 1963年) 脚本、出演
- Jean-Luc Godard (1965年) 監督
- Le Viol (1967年) 監督、脚本
- L'Amour c'est gai, l'amour c'est triste (ジャン=ダニエル・ポレ、1968年) 出演
- アウト・ワン Out 1 : Noli me tangere (ジャック・リヴェット、1970年) 出演
- 流れ者 Le Voyou (クロード・ルルーシュ、1970年) 出演
- 風の季節 La Maison des bories (1970年) 監督
- Une journée bien remplie (ジャン=ルイ・トランティニャン、1972年) 出演
- ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地、ジャンヌ・ディエルマン Jeanne Dielman, 23, quai du commerce, 1080 Bruxelles (シャンタル・アケルマン、1975年) 出演
- Une Femme Fatale (1975年) 監督
- さよならエマニエル夫人 Emmanuelle 3 (Good-bye, Emmanuelle) (フランソワ・ルテリエ、1977年) 出演
- Je vais craquer (フランソワ・ルテリエ、1980年)出演
- Les Fiancées De L'Empire (テレビドラマ、1981年) 監督
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/12/10 15:34 UTC (変更履歴)
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