ジーナ・ロロブリジーダ : ウィキペディア(Wikipedia)

ジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida、1927年7月4日 - )は、イタリアの女優、フォト・ジャーナリスト。スビアーコ(città metropolitana di Roma Capitale, Lazio)出身。生まれた年について異説がないわけではない。『世界人物事典』(旺文社、1985)は1928年生まれと記載。『20世紀西洋人名辞典』(日外アソシエート、1995)は一応1927年7月4日生まれとするが、1928年または1929年生まれと併記する。本名:ルイジーナ・ロロブリジーダ(Luigina Lollobrigida)。

生い立ち

1927年7月4日、家具工場経営者の父Giovanni Mercuri Lollobrigidaと、母Giuseppinaの間に生まれる。4人姉妹の第2子。

1943年、工場が爆撃で破壊される。

1945年、ローマに移住。 モンテ・カステッロ・ディ・ヴィービオ(ウンブリア州ペルージャ県)の Teatro della oncordiaというオペラハウスでコメディーに出演。

1946年、Academy of Fine Arts(ローマ)入学。彫刻や絵画を学ぶ。Giana Loris名義でいわゆるフォトノベル(英photo novel)のモデルになる。『Aquila nera』で映画デビュー。ミス・ラツィオ準優勝。

経歴

1947年、ミス・イタリア第3位。これがきっかけで『愛の妙薬』 (1948年) のヒロインに抜擢される

1952年、『花咲ける騎士道』、『夜ごとの美女』に出演。国際的にブレイクし、ハリウッド進出の足掛かりとなる

1953年、『悪魔をやっつけろ』に出演。ハリウッドデビュー。以後、世界的な人気を博す

1964年3月3日、スター千一夜(フジテレビ)に出演

1965年12月11日、スター千一夜に出演

1973年、女優業を休止して写真家・彫刻家として活動(1983年まで。ポール・ニューマンサルバドール・ダリ、ヘンリー・キッシンジャー等を撮影した。1975年にはフィデル・カストロの単独インタビューに成功している)

1973年、モスクワ国際映画祭審査員

1974年、写真集"Italia Mia"を上梓。5月1日、小川宏ショー(フジテレビ)に出演。

1981年、モントリオール世界映画祭審査委員長

1986年、ベルリン国際映画祭審査委員長

1988年、Maurizio Ponziによる伝記"The Films of Gina Lollobrigida"(Citadel Press,ISBN 978-0806510934)リリース

1990年、Luis Canalesによる伝記"Imperial Gina: The Strictly Unauthorized Biography of Gina Lollobrigida"(Branden Pub Co. ISBN 978-0828319324)リリース

1990年代に入り、女優としての活動は縮小している。

1999年、欧州議会議員に立候補する。落選。10月16日、国際連合食糧農業機関の親善大使(goodwill ambassador)受任

2013年2月、ウィーンで開催されたOpernball 2013に出席

2018年、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム(歩道に刻まれる名誉の星型)に名前を入れる栄誉にあずかる

現在、彫刻家として大理石を加工している

主な出演作品

  • 白い国境線 Cuori senza frontiere (1950年)
  • 街は自衛する La città si difende (1951年)
  • 花咲ける騎士道 Fanfan la Tulipe (1952年)
  • 懐かしの日々 Altri tempi (1952年)
  • 夜ごとの美女 Les belles de nuit (1952年)
  • パンと恋と夢 Pane, amore e fantasia (1953年)
  • 悪魔をやっつけろ Beat the Devil (1953年)
  • 外人部隊 Le grand jeu (1954年)
  • 剣侠と美女 Crossed Swords (1954年)
  • ローマの女 La romana (1954年)
  • パンと恋と嫉妬 Pane, amore e gelosia (1954年)
  • 美女の中の美女 La donna più bella del mondo (1955年)
  • 空中ぶらんこ Trapeze (1956年)
  • ノートルダムのせむし男 Notre-Dame de Paris (1956年)
  • 恋はすばやく Anna di Brooklyn (1958年)
  • La legge (1959年)
  • ソロモンとシバの女王 Solomon and Sheba (1959年)
  • 戦雲 Never So Few (1959年)
  • 蒼い渚 Go Naked in the World (1961年)
  • 九月になれば Come September (1961年)
  • 皇帝のビーナス Venere imperiale (1962年)
  • 波止場 Mare matto (1963年)
  • わらの女 Woman of Straw (1964年)
  • バンボーレ Le bambole (1965年)
  • お熱い出来事 Strange Bedfellows (1965年)
  • ホテル・パラディソ Hotel Paradiso (1966年)
  • セルバンテス Cervantes (1968年)
  • 殺しを呼ぶ卵 La morte ha fatto l'uovo (1968年)
  • 想い出よ、今晩は! Buona Sera, Mrs. Campbell (1968年)
  • スタントマン Stuntman (1969年)
  • さらば恋の日 Un bellissimo novembre (1969年)
  • 無頼プロフェッショナル Bad Man's River (1971年)
  • ピノッキオの冒険 Le avventure di Pinocchio (1972年)
  • ラブ・ボート The Love Boat (1986年)
  • ローマの女 La romana (1988年)
  • 百一夜 Les cent et une nuits (1995年)

受賞・叙勲

(詳細は:)

  • 1954年、ベルリン国際映画祭特別功労賞(ベルリナーレ・カメラ)
  • 1961年、米国ゴールデングローブ賞HENRIETTA AWARD(WORLD FILM FAVORITES)
  • 2004年、フランス芸術文化勲章
  • 2012年レジオンドヌール勲章
  • 2017年、イタリア共和国功労勲章グランデ・ウッフィチャーレ

私生活とゴシップ

1949年2月14日(1月4日という説あり)、スロベニアの医師Milko Škofičと結婚。1957年7月28日、息子のAndrea Milko (Milko Škofič, Jr.)生まれる。彼は後に俳優となる。ミルコはロロのマネージャーになるため医師としてのキャリアを断念した。1960年、カナダのトロントに移住。1971年、二人は別れる。

1974年5月5日、写真集の宣伝のため来日。記者会見で、イタリアではどこにでもいるパパラッチよりも、誰もがカメラを持っている日本人のほうが悪質だと述べた。

2006年10月、スペインの実業家Javier Rigau y Rafolsと結婚する見込みであると報じられた 。12月6日、婚約は解消される。

2013年、ロロは元カレのラフォルスを詐欺で告発する。ロロの主張はこうだ。「3年前、謎の女性Teresaを自分に仕立てて秘密裏に結婚式を挙げ、バルセロナで婚姻届けを出した。私の不動産が目当てだ。私がスペイン語を理解できないのをいいことに」。

2013年5月14日、ジュネーブで開催されたサザビーズのオークションで、ロロの出品した真珠のイヤリングが239万ドル(約2億4000万円)で落札された。これは真珠のイヤリングとしての最高値で、それまでの記録(エリザベス・テイラーが2011年に出品したもの)を更新した。サザビーズによると、このときロロが出品した宝石類は全体で500万ドル(約5億1000万円)近くで売れたという。売り上げの一部は幹細胞研究に寄付される。

その他

愛称の「ロロ(Lollo)」はフランス語のスラングでおっぱいという意味である。

1990年、フランスのAlain Meillandはバラの新しい品種を作出した。ロロちなんでGina Lollobrigida(和名ジーナ ロロブリジーダ)と命名した。

ある種の柔らかいレタスで、Lolloと呼ばれるものがある。当時世界で最も美しい女性とみなされた(出典による)ロロにちなんで1960年代に命名された。

外部リンク

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