清水谷薫 : ウィキペディア(Wikipedia)
清水谷 薫(しみすだに かおる、1934年〈昭和9年〉3月31日 - 1961年『週刊平凡』1969年1月29日号36p「真理明美が須川監督と〝誓約書結婚〟」)は、日本の元女優である清水谷薫 - 略歴・フィルモグラフィー -KINENOTE(キネノート)。実妹は宝塚歌劇団の万里弥生1956年(昭和31年)5月、宝塚歌劇の機関誌『歌劇( TAKARAZUKA REVUE )』368号「あね・いもうと 清水谷薫 万里弥生」。
来歴・人物
大阪府大阪市生まれ。1952年(昭和27年)大阪府立清水谷高等学校を卒業清水谷薫 - 人物情報・関連映画 - 映画DB | 映画DB。1954年3月に東京映画(東宝の関連)入社。出身高校から名付けた「清水谷洋子」の芸名で、「風立ちぬ」(堀辰雄原作、島耕二監督)でデビュー。「あんみつ姫」「赤いカンナの花咲けば」「忘れじの人」などに出演した清水谷洋子 - 日本映画データベース。
1955年10月、大映の誘いで移籍し「清水谷薫」と改名。京都撮影所に所属し、同年の「怪盗と判官」で、市川雷蔵(遠山金四郎役)や勝新太郎(鼠小僧次郎吉役)と共演。翌年「花の渡り鳥」では、長谷川一夫演じる主人公(榛名の清太郎)の元恋人で、市川雷蔵(佐吉)の妻(おしの)役を演じた。その後東京撮影所へ移籍。「姿なき一〇八部隊」「くちづけ」「暖流」「白鷺」などに出演した清水谷薫 - 日本映画データベース。
1959年、日活へ移籍。「脅迫の影」「キャンパス110番より 学生野郎と娘たち」などに出演した。
須川栄三監督と結婚
映画監督の須川栄三と結婚したが、睡眠薬を服用して急死したといい、脚本家の白坂依志夫は「葬式に駆け付けると、誇大妄想癖が少しあった(劇作家の)寺山修司が、私(白坂)の横にいてささやいた。“須川の奴、モテ余して殺したんだよ。あの奥さんを”」と書いている(月刊誌シナリオ2008年6月号別冊)。
出演作品
映画
「清水谷 洋子」名 作品・人物・記事を探す | 映画DB - 日本映画データベース
- 風立ちぬ(1954年〈昭和29年〉5月19日公開、原作=堀辰雄、監督=島耕二、撮影=三村明、音楽=芥川也寸志)
- その後のウッカリ夫人とチャッカリ夫人(1954年8月15日、原作=NHK連続ラジオ・ドラマ、脚本=笠原良三、監督=春原政久、撮影=遠藤精一、音楽=松井八郎)
- あんみつ姫(1954年11月10日、原作=倉金章介の漫画、脚本=若尾徳平・新井一、監督=仲木繁夫、撮影=遠藤精一、音楽=浅井挙曄)
- 月に飛ぶ雁(1955年4月19日、原作=NHK連続ラジオ・ドラマ、脚本=若尾徳平、監督=松林宗恵、撮影=完倉泰一、音楽=紙恭輔・早川真平)
- 赤いカンナの花咲けば(1955年8月7日、脚本=清水信夫、監督=小田基義、撮影=伊藤英男、音楽=古関裕而)
- 愛の歴史(1955年9月7日、原作=月刊婦人誌『主婦と生活』の連載、脚本=須崎勝弥・山本嘉次郎、監督=山本嘉次郎、撮影=遠藤精一、音楽=古関裕而)
- やがて青空(1955年10月18日、原作=北條誠、脚本=笠原良三、監督=小田基義、撮影=三村明、音楽=服部良一)
- 忘れじの人(1955年10月18日、原作=織田作之助小説『船場の娘』、脚本=若尾徳平、監督=杉江敏男、撮影=完倉泰一、音楽=団伊玖磨)
「清水谷 薫」名 清水谷薫(しみずだにかおる)の出演映画情報 | 【スタスケ】 芸能人・タレントスケジュール(0000017279) - ザテレビジョン版タレント名鑑「スター☆スケジュール」
- 怪盗と判官(1955年12月7日、脚本=小国英雄、監督=加戸敏、撮影=今井ひろし)
- 花の渡り鳥(1956年1月3日、原作=川口松太郎、脚本=犬塚稔、監督=田坂勝彦、撮影=牧田行正)
- 姿なき一〇八部隊(1956年2月26日、原作=棟田博『サイパンから来た列車』、脚本=八木隆一郎・小林太平・須崎勝弥・長谷川公之・近江浩一、監督=佐藤武、撮影=古泉勝男)
- 女中さん日記(1956年5月14日、原作=畔柳二美、脚本=白坂依志夫、監督=村山三男、撮影=高橋通夫)
- 月の紘道館(1956年7月5日、原作=富田常雄、脚本=池上金男、監督=木村恵吾、撮影=秋野友宏)
- 誰かが殺される(1957年1月9日、原作=島田一男『殺人環状線』、脚本=星川清司、監督=斎村和彦、撮影=板橋重夫)
- 湖水物語(1957年5月28日、原作=小糸のぶ月刊婦人誌『婦人生活』連載、脚本=植草圭之助・星川清司、監督=野村浩将、撮影=秋野友宏)
- くちづけ(1957年7月21日、原作=川口松太郎月刊小説誌『オール讀物』連載、脚本=舟橋和郎、監督=増村保造、撮影=小原譲治)
- 暖流(1957年12月1日、原作=岸田国士、脚本=白坂依志夫、監督=増村保造、撮影=村井博)
- 母(1958年3月5日、脚本=笠原良三、監督=田中重雄、撮影=高橋通夫)
- 南氏大いに惑う(1958年年5月19日、原作=源氏鶏太、脚本=長瀬喜伴、監督=枝川弘、撮影=秋野友広)
- 赤線の灯は消えず(1958年7月13日、脚本=相良準、監督=田中重雄、撮影=渡辺公夫)
- 都会という港(1958年9月21日、原作=菊田一夫、脚本=舟橋和郎、監督=島耕二、撮影=小原譲治)
- 夜の素顔(1958年10月15日、脚本=新藤兼人、監督=吉村公三郎、撮影=中川芳久)
- 白鷺(1958年11月29日、原作=泉鏡花、脚本=衣笠貞之助・相良準、監督衣笠貞之助、撮影=渡辺公夫)
- 脅迫の影(1959年4月22日、脚本=門雪男・阿部桂一、監督=若杉光夫、撮影=井上莞)
- 「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち(1960年2月21日、原作=曽野綾子、脚本=山内久、監督=中平康、撮影=山崎善弘)
関連項目
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