北川哲也 : ウィキペディア(Wikipedia)

北川 哲也(きたがわ てつや、1973年4月18日 - )は、東京都江戸川区プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、183ページ出身の元プロ野球選手(投手)。

経歴

暁星国際高校には、同校が野球部の強化を始めた時期の1期生として入学。エースとして臨んだ2年夏の千葉県大会では、決勝で成田高校に敗れた。翌年夏は県大会初戦(2回戦)で敗れた。高校時代は小笠原道大とバッテリーを組んでいた。石井一久とは同学年で。

高校卒業後は日産自動車に入社。同僚の川尻哲郎らとともに活躍し、の第21回社会人野球日本選手権大会では準優勝に貢献し、敢闘賞を受賞した。キレのある145km/hの速球とスライダー、ナックルボールが武器。同年のドラフト会議前にヤクルトスワローズの逆指名を表明。ドラフトではヤクルトが1位指名で交渉権を獲得し契約金1億円、年俸1200万円(金額は推定)で入団合意した朝日新聞、1994年11月19日付朝刊 (26面)。

入団1年目から中継ぎなどで登板したが、オフに脱税行為をしていたことが発覚し在宅起訴される。判決公判で懲役10月、執行猶予3年、罰金350万円の有罪判決が言い渡され朝日新聞、1998年1月23日付夕刊 (15面)、コミッショナーからはの開幕日から4週間の出場停止と制裁金70万円の処分を受けた朝日新聞、1998年2月10日付朝刊 (31面)。

5月23日の対中日ドラゴンズ戦でプロ初勝利を挙げるが、相手の星野仙一監督は「おれの晩年のようなスピードの投手を打てなきゃ勝てん」、自軍の野村克也監督は「オールチェンジアップや」というなど、球の遅さが強調されるコメントだった読売新聞1998年5月24日朝刊18面。8月25日の対広島東洋カープ戦で初の完投勝利を挙げた。

は登板機会がなく同年限りで戦力外通告を受け、千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けるも不合格に終わり現役を引退した。

その後は社会人野球チームのシダックスに所属した。引退後もしばらくは社業に就き、現在は体育系学生の就職支援会社に勤務。また少年野球・東京城南ボーイズで指導。

詳細情報

年度別投手成績

ヤクルト20000010--.000143.061000200339.002.00
90000000------6412.1244300810171712.412.19
20000000------112.041001100229.002.00
2311100441--.50035180.08572813444035343.831.41
通算:4年3611100451--.44444097.1119133114555057565.181.54

記録

  • 初登板:1995年10月6日、対広島東洋カープ26回戦(明治神宮野球場)
  • 初勝利:1998年5月23日、対中日ドラゴンズ8回戦(明治神宮野球場)
  • 初完投:1998年8月25日、対広島東洋カープ22回戦(明治神宮野球場)
  • 初セーブ:1998年8月30日、対中日ドラゴンズ22回戦(ナゴヤドーム)

背番号

  • 34 (1995年 - 1999年)

関連項目

  • 東京都出身の人物一覧
  • 東京ヤクルトスワローズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/29 12:26 UTC (変更履歴
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