羽田慎之介 : ウィキペディア(Wikipedia)
羽田 慎之介(はだ しんのすけ、2003年12月25日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。埼玉西武ライオンズ所属。
経歴
プロ入り前
荒幡小学校2年から荒幡ライオンズで野球を始め、小学校6年生の泉ホワイトイーグルス在籍時に埼玉西武ライオンズジュニアチーム入りを果たした。山口中学校時代に東練馬シニアでG杯準優勝。
八王子学園八王子高等学校では1年からベンチ入り。2年の秋季大会中に左肘の骨膜炎を発症、その年の冬をほぼ体力トレーニングに当て、2021年3月より投球を再開した。3年生の春季大会は「20球以内、変化球も制限」という条件で登板、149km/hを記録した。
3年の夏は左肘の骨髄浮腫によりマウンドに立つことなく終わる。同年の全国高等学校野球選手権西東京大会では、敗退した試合で代打として1度だけ出場し、最後の打者となった。勝ち上がれば登板の予定があったという。9月、プロ野球ドラフト会議に向けてプロ志望届を提出した。
10月11日に行われた2021年度ドラフト会議で埼玉西武ライオンズから4位指名を受けた。11月9日、契約金4000万円、年俸600万円で入団に合意した(金額は推定)。背番号は43。埼玉西武ライオンズジュニア出身では初のプロ野球選手となった。担当スカウトは竹下潤。
西武時代
は、6月10日のイースタン・リーグの東京ヤクルトスワローズ戦(カーミニーク)で初登板し、先頭打者を空振り三振に抑えると三者凡退に抑え、デビューながら最速151km/hを計測した。クイックや制球などの課題に取り組み、最終的に5試合に登板し、防御率7.04という成績だった。
は、イースタン・リーグで8試合に登板し1勝2敗、防御率2.15という成績だった。後半戦は左肩痛の影響で登板を控え、シーズン終了後、10月のみやざきフェニックス・リーグから実戦復帰した。11月25日、現状維持となる推定年俸600万円で契約を更改した。
は、開幕から二軍で5試合に登板し、防御率0.33と好成績を残し、5月11日に一軍に昇格。5月14日の北海道日本ハムファイターズ戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)で、8回に中継ぎとして登板し、1安打1失点(自責0)でプロ初登板。7月2日の福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)で、プロ初先発登板を迎えるが、63球を投げて3安打2失点、その中で4四球1死球と制球に苦しみ、3回でマウンドを降りる結果となり、翌日に登録を抹消された。9月7日に行われたイースタン・リーグ東北楽天ゴールデンイーグルス戦で4回無失点の好投を見せ、9月14日に出場選手登録。岡田雅利の引退試合であるその日の対千葉ロッテマリーンズ戦で本拠地初先発登板に臨み、1回は岡田とバッテリーを組み、併殺打の間に得点を許すも、自己最長の5回を投げ6奪三振1失点。しかし援護には恵まれず2敗目を喫した。
選手としての特徴・人物
身長192cmの大型投手であり、ランディ・ジョンソンを彷彿とさせるフォームから繰り出す最速157km/hの速球が武器の左腕。変化球はスライダー、フォーク、チェンジアップ、カーブ、カットボールを投げる。
幼少期は西武ファンで、本拠地のベルーナドームは実家から近所だという。
詳細情報
記録
- 初記録
- 初登板:2024年5月14日、対北海道日本ハムファイターズ6回戦(エスコンフィールドHOKKAIDO)、8回裏に3番手で救援登板・完了、1回1失点(自責0)
- 初ホールド:2024年6月26日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(埼玉県営大宮公園野球場)、11回表に5番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:同上、11回表に五十幡亮汰から空振り三振
- 初先発登板:2024年7月2日、対福岡ソフトバンクホークス13回戦(東京ドーム)、3回2失点で敗戦投手
- 初勝利:2024年9月26日、対福岡ソフトバンクホークス25回戦(みずほPayPayドーム福岡)、8回裏に4番手で救援登板、1回無失点
背番号
- 43(2022年 - )
関連項目
- 埼玉県出身の人物一覧
- 埼玉西武ライオンズの選手一覧
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/17 21:57 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.