佐藤正三郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
佐藤 正三郎(さとう しょうざぶろう、1886年(明治19年)10月24日『日本陸海軍総合事典』第2版、71頁。『日本陸軍将官辞典』349頁。 - 1978年(昭和53年)4月9日『日本陸軍将官辞典』349頁では4月10日。)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
徳島県出身『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』244頁。。佐藤辰三郎の三男として生まれる。1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』238、244頁。。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第43連隊付となる。歩兵第62連隊付、陸軍戸山学校教官などを経て、1916年(大正5年)11月、陸軍大学校(28期)を卒業した。
1917年(大正6年)8月、歩兵大尉に昇進し中支那派遣隊司令部付となる。参謀本部員(支那課)、陸軍省軍務局課員(軍事課)、歩兵第3連隊付(イギリス出張)、イギリス駐在を務め、1922年(大正11年)8月、歩兵少佐に進級。軍務局課員(軍事課)、参謀本部付(李王付)を務め、1926年(大正15年)8月、歩兵中佐に昇進。1927年(昭和2年)5月から1928年(昭和3年)4月まで、李王に随行して欧州に出張した。1929年(昭和4年)12月、近衛歩兵第2連隊付に転じ、1930年(昭和5年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第32連隊長に就任。
1932年(昭和7年)10月、第3師団参謀長に転じ、1935年(昭和10年)8月、陸軍少将に進級し歩兵第1旅団長となる。二・二六事件により、1936年(昭和11年)3月に待命となり、同年7月、予備役に編入された。日中戦争勃発により、1937年(昭和12年)9月に召集され歩兵第101旅団長に発令され出征した。第二次上海事変、武漢作戦、南昌作戦、贛湘作戦などに参戦した。1940年(昭和15年)2月、留守第1師団司令部付に転じ、同年8月、予備役陸軍中将に進むと同時に召集解除となった。
その後、北樺太石油常務を務めた。1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」138頁。。
注釈
出典
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/06/16 12:18 UTC (変更履歴)
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