テリー・キャス : ウィキペディア(Wikipedia)

テリー・キャスTerry Alan Kath、1946年1月31日 - 1978年1月23日)は、アメリカ合衆国イリノイ州出身のロック・ミュージシャン、ギタリスト、ソングライターである。

ブラス・ロック・バンドであるシカゴの創立メンバーで、ギタリスト兼ヴォーカリスト。1978年、32歳の誕生日を迎える8日前、自動拳銃の暴発事故で急逝した。

生涯

キャスは中西部イリノイ州出身で、両親はロッジを経営していた。彼はベンチャーズやジョージ・ベンソンに影響を受けてギターを演奏し始め、ジミ・ヘンドリクスやエリック・クラプトンにも影響を受けていた。またバンジョー、アコーディオン、ベース、ドラムも演奏するマルチプレーヤーだったKath loudersound.com 2024年8月7日閲覧。

親友でサクソフォーン及びフルート奏者のウォルター・パラゼイダー、ドラマーのダニー・セラフィンと、「ザ・ミッシング・リンク」というバンドの結成を目指して活動を開始した。彼等はパラゼイダーのアパートで練習を重ねながら、トロンボーン奏者のジェームズ・パンコウ、トランペッターのリー・ロックネイン、ヴォーカリスト兼キーボーディストのロバート・ラムを迎えて、ブラス・ロック・バンドの「ザ・ビッグ・シング」ザ・ビッグ・サウンドと呼ばれることもある。を結成した。

彼等はヴォーカリスト兼ベーシストのピーター・セテラを迎え、コロムビア・レコードと契約した。1969年、シカゴ・トランジット・オーソリティとしてデビュー・アルバム『シカゴの軌跡』 (The Chicago Transit Authority) を発表。1970年、バンド名をシカゴに短縮した。

キャスはギタリスト、ヴォーカリスト、ソングライターを兼任し、中心人物の一人として活躍し、ワウペダルなどのエフェクターも使用した。ジミ・ヘンドリクスは若きキャスのギター演奏を聴いて、世界で自分の最もお気に入りのギタリストだと語ったというWhy Jimi Hendrix Called Chicago's Terry Kath The Best Guitarist In The Universe 3 December 2024 。シカゴは彼の在籍中に「長い夜」「ぼくらに微笑みを」「サタデイ・イン・ザ・パーク」「愛の絆」「君と二人で」「拝啓トルーマン大統領」「オールド・デイズ」など、多数の代表曲を発表した。

32回目の誕生日を迎える一週間前の1978年1月23日の午後5時頃、彼はローディーの家で開かれたパーティーに出席した。パーティーが終わった後、彼はふざけて弾丸未装填の38口径リボルバーを頭に押しつけ、数回トリガーを引いてロシアン・ルーレットごっこをした。友人は彼に気をつけろと何度も注意したが、彼は自動拳銃を手に取って「心配ない、弾は入ってないから」と言い、安心させようと空の弾倉を見せた。彼は一発の実弾が入ったままだった自動拳銃は構造上、弾倉を抜いても薬室に1発実弾が残ることがある。事に気付かずに銃口を頭に当ててトリガーを引き、発射された弾丸に頭を貫かれて即死した。

2012年、キャスの遺児ミシェル・キャス・シンクレア(Michelle Kath Sinclair)は、彼の生涯を描いたドキュメンタリー『Searching for Terry: Discovering a Guitar Legend』の制作を完了するために十分な資金が寄付されたと発表した。2014年、彼女はセテラを除くメンバー全員にインタビューしたことを認め、プロジェクトは2016年にリリースされる予定とした。2016年11月、シンクレアが監督を務めた映画"The Terry Kath Experience"がDOC NYC映画祭で初公開された。同映画はその直後にFilmRiseに買収され、2017年11月7日にAXS TVで「Chicago: The Terry Kath Experience」という名前で「テレビ初放送」され、同年12月12日にVODとDVDとしてリリースされた。出演者にはラムやセテラなど現メンバーや元メンバーのほか、ギタリストのジェフ・リン、スティーヴ・ルカサー、マイク・キャンベル、ディーン・デレオ、ジョー・ウォルシュが含まれており、彼らはインタビューでキャスの仕事を称賛した。

注釈

出典

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/10/21 04:48 UTC (変更履歴
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