ケイリー・カーター : ウィキペディア(Wikipedia)

ゲイリー・エドマンド・カーターGary Edmund Carter, 1954年4月8日 - 2012年2月16日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州カルバーシティ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。愛称はキッドKid)。

メジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍し、野球殿堂入りした名捕手。

経歴

現役時代

カリフォルニア州カルバーシティ(Culver City)出身。サニーヒルズ高校時代には野球の他にアメリカンフットボール、バスケットボールでも活躍。9月16日に弱冠20歳でモントリオール・エクスポズでメジャーデビューを果たした。

は自身初めてオールスターゲームに選出された。最終的にレギュラーに定着して144試合に出場し、打率.270、17本塁打、68打点と活躍した。ナショナルリーグ新人王は15勝をあげたジョン・モンテフュスコ(John Montefuscoが受賞したが、スポーティングニュースが選ぶ新人王は受賞した。

負担の大きい捕手というポジションでありながら主力打者として活躍し、捕手として出場しない時には一塁、三塁、外野として先発出場することもあった。また、捕手としてもベンチからも投手陣からも信頼が厚く、まさにチームを引っ張る選手となった。その後も活躍を続け、には、オールスターゲーム史上5人目の1試合2本塁打を放ち、MVPに選出された。

は2度目のオールスターMVPを獲得。最終的に106打点で打点王のタイトルを獲得した。オフにヒュービー・ブルックス(英語版)ら5選手との交換でニューヨーク・メッツに移籍する。

メッツでもリーダーシップを発揮し、4番で起用され、移籍初年度のには32本塁打・100打点。にも24本塁打・100打点を記録し、この年のワールドシリーズ優勝に大きく貢献した。特に、2勝3敗で迎えて後のないワールドシリーズ第6戦(対ボストン・レッドソックス、シェイスタジアム)では、延長10回表にリードを許し、10回裏二死と追い込まれたが、カーターの安打で口火を切って、最後は相手一塁手ビル・バックナーのサヨナラ失策で逆転に成功した(詳細は同項)。

このシリーズでもフェンウェイ・パークで1試合2本塁打を放ち、オールスターゲームとワールドシリーズの両方で1試合2本塁打を記録した(現時点で)唯一の選手となっている。

しかし、この年をピークに以後成績は下降。限りでメッツからFAとなる。この年のオフに彼の慈善活動が認められ、ロベルト・クレメンテ賞を受賞した。

はサンフランシスコ・ジャイアンツ、はロサンゼルス・ドジャースと移籍続きで、現役最後となるは古巣・エクスポズに復帰し、この年限りで現役引退した。

引退後

引退の翌、カーターのエクスポズ在籍時の背番号『8』は永久欠番に指定された。後年、にチームがワシントンD.C.に移転してワシントン・ナショナルズとなったことにより欠番は失効、現在は「旧エクスポズの永久欠番」という扱いとなっている。

引退後はもうひとつの古巣・メッツの巡回コーチとして活動し、この期間中のにメッツ球団殿堂とカナダ野球殿堂に入り、そして、野球殿堂に有資格6年目にして選出され、12シーズンを過ごしたエクスポズの選手として初の栄誉の殿堂入りを果たした。

その後はからまでメッツ傘下のガルフコースト・メッツ(ルーキー級)、セントルーシー・メッツ(A級)の監督を歴任し、からまで独立リーグのオレンジカントリー・フライヤーズ、ロングアイランド・ダックスの監督を歴任、からはパームビーチアトランティック大学のヘッドコーチを務めた。

2月16日、5月に患った脳腫瘍のため死去Gary Carter dies at age 57 ESPN 2012-2-16。。2月19日にはエクスポズと同じモントリオールに本拠地を置くNHLのモントリオール・カナディアンズが追悼セレモニーを行い、ナショナルズも開幕後の4月12日にセレモニーを行った。

詳細情報

年度別打撃成績

MON92927511011166200110020.407.414.5931.007
144590503581362011720968521047281837.270.360.416.776
913473113168816963802233021437.219.287.309.596
154595522861482923127484553758551039.284.356.525.881
15760753376136271202257210625621157010.255.336.422.758
140559505741432652224575322740356211.283.338.485.823
1546175497614525529267101321858111789.264.331.486.817
1004193744894202161666815363541356.251.313.444.757
1546535579116332129284972548781166416.293.381.510.891
145609541631463731724079112851775714.270.336.444.780
159669596751753212729010622036496578.294.366.487.853
NYM14963355583156171322711001103691664618.281.365.488.853
13257349081125142242151051001562966321.255.337.439.776
139573523551231822020583001642117314.235.290.392.682
13050345539110162111634602163417528.242.301.358.659
501661531428802421500011200155.183.241.275.516
SF9227224424621009992711022531312.254.324.406.730
LAD101280248226114069326221222172611.246.323.375.698
MON9532528524621815972904143342374.218.299.340.639
MLB:19年2295901979711025209237131324349712253942339984810668997180.262.335.439.774
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

捕手守備
年度球団捕手(C)
試合刺殺補殺失策併殺守備率捕逸許盗塁盗塁刺阻止率
1974MON6264011.000011.500
1975662803756.98462221.488
1976603113627.99432727.500
1977146811101914.990911355.327
197815278183109.98918058.420
197913875188912.98937566.468
198014982210878.99339463.401
198110050958411.99345044.468
1982153954104106.991610370.405
1983144847107514.99568675.466
19841437726566.993710750.318
1985NYM14395667811.99259951.340
198612286962813.991511445.283
198713587470913.991512246.274
19881197975495.990913631.186
1989472663166.98034620.303
1990SF803233132.99246621.241
1991LAD683554552.98845928.322
1992MON854815263.98919838.279
MLB2056117851203121149.991841498810.351
内野守備
年度球団一塁(1B)三塁(3B)
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1975MON-10000----
1978160001.000-
1981160011.000-
1983181011.000-
19842521813119.996-
1985NYM6313021.000-
19869685041.000113011.000
19874100011.000-
19881045313.980101001.000
198910000-----
1990SF3250031.000-
1991LAD10477031.000-
1992MON5261021.000-
MLB7649033239.996314011.000
外野守備
年度球団左翼(LF)右翼(RF)
試合刺殺補殺失策併殺守備率試合刺殺補殺失策併殺守備率
1974MON-220001.000
1975-92150141.974
1976221001.00034505011.000
1977120001.000-
1985NYM-10000----
1986220001.00023010.750
1987-120001.000
MLB561001.000132207652.977
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞

タイトル

  • 打点王:1回(1984年)

表彰

  • シルバースラッガー賞(捕手部門):5回(1981年、1982年、1984年 - 1986年)
  • ゴールドグラブ賞(捕手部門):3回(1980年 - 1982年)
  • オールスターゲームMVP:2回(1981年、1984年)
  • ロベルト・クレメンテ賞:1回(1989年)

記録

  • MLBオールスターゲーム選出:11回(1975年、1979年 - 1988年)
  • 通算刺殺数(捕手):11785(歴代4位)

背番号

  • 57(1974年)
  • 8(1975年 - 1992年)

関連項目

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 C

外部リンク

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