小牧正英 : ウィキペディア(Wikipedia)
小牧 正英(こまき まさひで、1911年9月25日 - 2006年9月13日)は、日本のバレエダンサー、振付家である。
生涯
本名を菊池榮一といい、1911年に岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺市を経て、現在の奥州市)の素封家に生まれた。1928年に上京し、翌1929年、目白商業学校2年編入小牧正英「白鳥の湖」伝説 小牧正英略年譜 江差市。中学生の頃、大田黒元雄著『ロシア舞踊』という本に出会い、感動する小牧正英『ペトルウシュカの独白』(1975年、三恵書房)p185。1933年21歳のとき、目白商業を卒業し画家を志してパリ留学を計画し、シベリア鉄道に乗り込もうと大連まで行き貨車に忍び込むが、その企図は失敗に終わり強制送還された『ペトルウシュカの独白』pp132-133新撰 芸能人物事典 明治~平成「小牧 正英」の解説 コトバンク。翌1934年彼はハルピンでバレエ学校のハルピン音楽バレエ学校に入学し、キャトコフスカヤ女史のクラスで1939年の卒業まで研鑽を積む『ペトルウシュカの独白』pp154-159。
1940年、上海バレエ・リュスディアギレフのバレエ・リュスの残党や、モスクワ青年バレエ団のメンバー、イギリスとイタリアから参加した舞踊家等からなる団体である(『ペトルウシュカの独白』p127, 『バレエと私の戦後史』 pp29-30)。に入団した。これは、バレエ学校同級生ニーナ・コゼヴニコワの紹介で上海バレエ・リュスから招聘されたものだった。オードリー・キングに師事し、彼は同バレエ団で『白鳥の湖』『火の鳥』『ペトルーシュカ』などの公演で主要な役柄を踊った『ペトルウシュカの独白』pp126-129小牧正英『バレエと私の戦後史』(1977年、毎日新聞社)pp26-31。
戦後の1946年、上海から引き揚げてきた小牧は同年東京バレエ団1950年解散。現在の東京バレエ団とは直接の関係はない。の結成に参加した。同年8月9日から東京バレエ団は、小牧が引き揚げの際に持ち帰ったバレエ音楽の楽譜を基にして『白鳥の湖』全幕を日本初演し山田一雄『一音百態』音楽之友社、1992、pp184-187、小牧は振付・演出とともに主演も務めた『バレエと私の戦後史』pp48-52。
1947年には小牧バレエ団を結成して、『イゴール公』『ジゼル』などさまざまなバレエ作品を上演し、多くの人材を育てた。1950年には有楽座で『ペトルーシュカ』を日本初演し、自らペトルーシュカを踊った『バレエと私の戦後史』p117。1954年に日劇で上演された『火の鳥』では、当時の世界的バレリーナ、ノラ・ケイがタイトルロールを踊り、小牧がイワン王子を踊って、公演期間中の24日間を通して満席になったという『バレエと私の戦後史』pp208-215。1958年の日本バレエ協会設立に当たっては、発起人の一人を務めている。
長きにわたって日本バレエ界で活躍を続けた。東京白金台に居住小牧正英「白鳥の湖」伝説 日本バレエ史の伝説小牧正英 江差市、2006年に死去小牧正英氏(舞踊家)が肺炎のため死去 - おくやみ(nikkansports.com) 2010年5月1日閲覧。
主な振付・日本初演作品
- 1946年 (昭和21) 『白鳥の湖』帝国劇場西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11) p370『バレエと私の戦後史』pp48-49
- 1946年 (昭和21) 『シェヘラザード』帝国劇場西宮, p370『バレエと私の戦後史』pp58-60
- 1946年 (昭和21) 『パガニーニ幻想』帝国劇場『バレエと私の戦後史』p59
- 1947年 (昭和22) 『バラの精』帝国劇場西宮, p381『バレエと私の戦後史』pp81-83
- 1947年 (昭和22) 『バラード』(オリジナル) 大阪朝日会館小牧正英「白鳥の湖」伝説 2019年12月11日閲覧。
- 1947年 (昭和22) 『コッペリア』帝国劇場『バレエと私の戦後史』pp63-66
- 1947年 (昭和22) 『胡桃割り人形』日劇
- 1948年 (昭和23) 『イゴール公』帝国劇場西宮, p392『バレエと私の戦後史』pp86-89
- 1949年 (昭和24) 『受難』(オリジナル)』大阪朝日会館西宮, p406『バレエと私の戦後史』pp109-110
- 1950年 (昭和25) 『ペトルウシュカ』有楽座西宮, p420『バレエと私の戦後史』pp115-118
- 1950年 (昭和25) 『ワルプルギスの夜』帝国劇場
- 1952年 (昭和27) 『眠れる森の美女』日劇西宮, p456『バレエと私の戦後史』pp169-170
- 1952年 (昭和27) 『ドン・キホーテ』日比谷公会堂
- 1953年 (昭和28) 『ジゼル』関西宝塚大劇場西宮, p479『バレエと私の戦後史』p184
- 1954年 (昭和29) 『火の鳥』日劇『バレエと私の戦後史』pp208, 213
- 1954年 (昭和29) 『リラの園』日劇西宮, p492『バレエと私の戦後史』pp214-215
- 1954年 (昭和29) 『カフェ・バア・カンカン』日劇『バレエと私の戦後史』p215
- 1955年 (昭和30) 『日輪』(オリジナル)日比谷公会堂西宮, p510『バレエと私の戦後史』pp219-221
- 1959年 (昭和34) 『金鶏』産経ホール『ペトルウシュカの独白』pp94-96
- 1963年 (昭和38) 『お蝶夫人』(オリジナル)日比谷公会堂
- 1979年 (昭和54) 『やまとへの道』(オリジナル)東京文化会館
出演
上海バレエ・リュス
小牧正英が1940年から1945年まで所属した上海バレエ・リュスでの出演演目。
- 『白鳥の湖』 (1940年) 『ペトルウシュカの独白』グラビア, p112
- 『ジゼル』 (1942年)『ペトルウシュカの独白』p98
- 『金鶏』 (1943年)『ペトルウシュカの独白』p93
- 『アルミ―ドの館』 (1943年)『ペトルウシュカの独白』p104
- 『シェヘラザーデ』 (1943年)
- 『バラの精』 (1944年) 『ペトルウシュカの独白』グラビア
- 『ペトルウシュカ』 (1944年) 『ペトルウシュカの独白』p23
- 『エスメラルダ』 (1945年)『ペトルウシュカの独白』p46
- 『牧神の午後』
- 『ナルシスとエホー』『ペトルウシュカの独白』p22
- 『イゴール公』『ペトルウシュカの独白』p85
- 『胡桃割り人形』『ペトルウシュカの独白』p129
- 『眠りの森の美女』
- 『レ・シルフィード』
- 『カルナヴァール』
- 『イワンの馬鹿』
- 『ドン・キ・ホーテ』
- 『火の鳥』
- 『ライモンダ』
- 『海賊』
- 『第四交響曲』
- 『新世界』
- 『展覧会の絵』
- 『コッペリア』
- オペラ「ファウスト」「デモン」「椿姫」「カルメン」「ルサルカ」の中のバレエ
映画
- 幸運の椅子(1948年)
- 覗かれた足(1951年)
- 女性に関する十二章(1954年)
- 少年探偵団・第一部 二十面相の復讐(1957年)「仮面の男」を始めとして、7役を演じている。
- 少年探偵団・第二部 夜光の魔人(1957年)
- 壊音 KAI-ON(2002年)
著書
- 『ペトルウシュカの独白』(1975年、三恵書房)
- 『バレエと私の戦後史』(1977年、毎日新聞社)
- 『バレエへの招待』(1980年、日本放送出版協会)
- 『晴れた空に… - 舞踊家の汗の中から』(1984年、未來社)
- 『劇場芸術への道 - オペラ・バレエ・演劇を志す人のために』(1984年、未來社)
主な受賞歴
- 第1回毎日演劇賞演出賞(1946年)
- ニムラ舞踊賞(1975年)
- 紫綬褒章(1978年)
- 舞踏功労賞(東京新聞社、1983年)
- 勲四等旭日章(1986年)
参考文献
- 西宮安一郎編『モダンダンス江口隆哉と芸術年代史 : 自1900年(明治33年)至1978年(昭和53年)』 (東京新聞出版局, 1989.11) (1946年から1970年まで小牧正英が関わった公演について記載)
- 大田黒元雄著『露西亜舞踊』(第一書房, 1926)
関連項目
- バレエ・リュス
外部リンク
- 小牧正英 Masahide Komaki(1911-2006)
- えさし☆ルネッサンス
- 日本バレエ界に忘れえぬ足跡を印した人々(社団法人日本バレエ協会ウェブサイト)
- - goo 映画
- 小牧正英「白鳥の湖」伝説 2019年12月11日閲覧。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/25 15:11 UTC (変更履歴)
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