岡崎真一 : ウィキペディア(Wikipedia)

岡崎 真一(眞一『官報』第13224号14頁 昭和46年1月22日号、おかざき しんいち、1907年(明治40年)5月4日『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、173頁。 - 1971年(昭和46年)1月20日)は、昭和期の実業家、政治家。岡崎財閥の2代目総帥岡崎忠雄の長男。義父に大谷尊由。

来歴・人物

兵庫県出身。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾大学予科を経て、慶應義塾大学経済学部を1932年(昭和7年)に卒業し鐘紡、岡崎汽船を経て、神戸海上運送火災保険に入社した。同社取締役を歴任して、昭和19年(1944年)3月、戦時経済・金融統制の下、横浜火災海上保険、共同火災海上保険、朝日海上火災保険(楽天損害保険との旧社名と同じだが無関係)と4社が合併して誕生した、同和火災海上保険の新社長に就任した。

戦後は、東京衡機製造所、日豊海運など岡崎家系列の企業の社長や、日本航空、日本テレビ、東洋パルプなどの取締役、1955年(昭和30年)から1964年(昭和39年)に掛けて神戸商工会議所会頭を務めたのに加え、日本商工会議所副会頭も歴任した。

また政界にも進出し、1950年(昭和25年)1月の第1回参議院議員補欠選挙で兵庫選挙区から初当選、以降1965年(昭和40年)まで3期務め、参議院大蔵委員長なども務めている。1971年(昭和46年)1月20日死去、64歳。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙されるに叙される。

参考文献

  • 『大衆人事録』第19版、西日本篇、帝国秘密探偵社、1957年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/13 00:12 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「岡崎真一」の人物情報へ