鈴木英雄 : ウィキペディア(Wikipedia)
鈴木 英雄[ 『衆議院要覧 昭和12年11月 乙』]第一編 議員履歴107頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月6日閲覧。(すずき ひでお、1877年〈明治10年〉11月30日衆議院『第五十五回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1928年、6頁。 - 1962年〈昭和37年〉3月8日『新訂政治家人名事典』)は、農商務官僚、衆議院議員[ 『人事興信録 第13版 上』]ス78 - 79頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。、小田原市長。
経歴
神奈川県足柄下郡小田原町(現在の小田原市)出身。鈴木善左衛門の長男[ 『人事興信録 第14版 上』]ス78頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[ 『帝国大学出身名鑑』]ス42頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年8月5日閲覧。。農商務属、同書記官・参事官、水産局漁政課長、大臣官房課長、特許局長を歴任した。
官を辞し、漁業を営み傍ら会社の重役である。日本漁網船具社長、小田原魚市場社長などを務めた。
1928年(昭和3年)、第16回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。立憲政友会に所属。合計で4回の当選を重ねた。1944年(昭和19年)には小田原市長に選出された。戦後、公職追放となる公職追放の該当事項は「翼賛小田原市支兼協」。( )。
追放解除後の1952年(昭和27年)からは小田原信用金庫理事長を務めた。
人物
1919年、家督を相続する。住所は小田原市万年。
家族・親族
- 鈴木家
- 父・善左衛門
- 弟
- 妻・わか(1887年 - ?、東京、鶴岡和文の姉)
- 長男・雄二(1909年 - ?、小田原魚市場常務取締役)
- 長女
- 二女
- 三女
- 五女
- 六女
- 親戚
- 妻の弟・鶴岡和修(旧名・和文、衆議院議員、東京府会議員、亀戸町長)
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第13版 上』人事興信所、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/29 12:50 UTC (変更履歴)
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