多昌博志 : ウィキペディア(Wikipedia)
多昌 博志(たしょう ひろし、1963年4月1日 - )は、ティップネス取締役常務執行役員(日本テレビ放送網社長室出向局次長現職出向)。神奈川県川崎市NHKウィークリーステラ1998年6月5日号全国アナウンサーキャスター名鑑出身。
日本テレビ元アナウンサー。桐蔭学園高校→中央大学法学部卒業。
来歴・人物
1985年に日本テレビ入社。同期には鷹西美佳・日高直人がいる。アナウンサー時代は主としてスポーツ中継(プロ野球、サッカー、箱根駅伝など)が中心だったが、その後はスポーツから退き報道・情報番組のレポーターやスタジオキャスターを担当していた。
アナウンス部より営業局営業推進部に異動となり、2010年7月1日より営業局営業戦略センター営業企画部長。2012年6月1日よりコンテンツ事業局次長兼事業推進部長(2013年に事業局に改正)。2014年6月1日よりコンテンツ事業部長兼務。2016年6月1日より社長室出向局次長扱いとしてティップネスに出向。コンテンツ事業部長の後任は篠宮浩司。
スポーツ中継では斎藤雅樹(巨人・当時)の11試合連続完投勝利(1989年7月15日、対ヤクルト戦)、松井秀喜(巨人・当時)のプロ入り初ホームラン(1993年5月2日、対ヤクルト戦)、ON対決と言われた2000年の日本シリーズ第2戦試合開始前のコメントの中でON対決を見届けることなくこの世を去った根本陸夫、青田昇、白取晋(元報知新聞記者)の3名を挙げ、偲んでいる。、長嶋茂雄が巨人の監督を勇退した2001年の本拠地最終戦 (9月30日、対横浜戦)、オールスターゲームでは2002年の第2戦(松山坊っちゃんスタジアム)を実況。また、トヨタカップの実況を1996年(ユヴェントス対CAリーベル・プレート)と2001年(バイエルン・ミュンヘン対ボカ・ジュニアーズ)の2回担当した。
コンテンツ事業局時代はアニメーション番組の企画・制作を中心に携わり、子会社のタツノコプロで取締役(非常勤)を務めた。
1970年代当時は太田裕美ファンで“最愛のアイドル”だったとのことだが、薬師丸ひろ子のデビュー後は薬師丸ファンにもなっている女子アナにも程がある (山王丸和恵、魚住りえ 著 日本テレビ放送網・編 1999年5月6日初版)p.182。
エピソード
1987年6月28日に放送された「NNNニューススポット」のオープニングのBGMが、間違えて「笑点」のテーマソングが流れた時のニュースを担当していた笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング(2007年 マイケル宮内・著 廣済堂出版)pp.64-65。
1999年1月18日から1月22日まで放送されたNNNニュースプラス1のスポーツコーナーを、冬休み中の蛯原哲に代わり担当した。
担当番組
コンテンツ事業局時代
- 天才!!カンパニー(チーフプロデューサー)
- HUNTER×HUNTER(企画)
- それいけ!アンパンマン(企画)
- それいけ!アンパンマンくらぶ (チーフプロデューサー)
- ばらかもん(制作)
- いつかティファニーで朝食を(制作)
- ふらいんぐうぃっち (企画)
- ルパン三世 イタリアン・ゲーム (企画)
関連項目
- 神奈川県出身の人物一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/02 01:33 UTC (変更履歴)
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