石田雅彦 : ウィキペディア(Wikipedia)

石田 雅彦(いしだ まさひこ、1967年4月24日 - )は、埼玉県川越市プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、43ページ出身の元プロ野球選手(投手)。2021年現在は、千葉ロッテマリーンズの打撃投手。

来歴・人物

川越工業高では、2人いるピッチャーの左のエース。春の関東大会で準優勝。夏は埼玉県大会決勝戦で5点リードを守りきれず、立教高校に逆転負け。

社会人野球チームへ内定が出ていたが、1985年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから1位指名を受け入団。

しかし、プロでは2年目の春季キャンプで左肘の靭帯を部分断裂するなど、在籍9年間でリリーフでの2試合しか登板がなく、に現役を引退。引退後から現在までロッテの打撃投手を務めている。

1アウトも取れなかったため、通算防御率が無限大という珍記録を残した(厳密には、0で割ることはできないため無限大ではない。ゼロ除算参照。この記録を残した選手にはほかにブラッド・ツイドリーなどがいる)。

石田が引退した翌年に入団した黒木知宏が石田が着けていた背番号54を引き継いだが、黒木は後に球団から背番号をエースナンバーの18への変更を打診された際に拒否している。この理由は背番号が54に決まった際、石田に「お前の為に54番を温めておいたよ」と言われたのを黒木が恩義に感じていたためである。なお、石田はその2倍の数となる108を付けている。

詳細情報

年度別投手成績

ロッテ10000000------10.00010000000--------
10000000------10.01000000011--------
通算:2年20000000------20.01010000011--------

記録

  • 初登板:1989年7月21日、対近鉄バファローズ戦(川崎球場)

背番号

  • 54 (1986年 - 1994年)
  • 108 (1995年 - )

関連項目

  • 埼玉県出身の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/23 08:29 UTC (変更履歴
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