黒田博樹 : ウィキペディア(Wikipedia)

黒田 博樹(くろだ ひろき、1975年2月10日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。野球解説者。

元メジャーリーガーで、現役時代にはNPBの広島東洋カープおよび、MLBのロサンゼルス・ドジャースやニューヨーク・ヤンキースで活躍。実父の黒田一博も元プロ野球選手(外野手)である。

日本人投手として初めて、NPB/MLB通算先発勝利(先発投手勝利)数のみで公式戦200勝を達成広島黒田7回無失点、野茂に並んだ日米最多201勝 - 日刊スポーツ(2016年8月21日)。シーズン終了時点で、NPB/MLBの40球団から勝利を挙げた唯一の日本人投手でもある。また、広島時代に着用した背番号15は、現役を引退したから同球団の永久欠番として扱われている。引退後は、よしもとクリエイティブ・エージェンシー→吉本興業とマネジメント契約。

経歴

プロ入り前

元プロ野球選手の父・黒田一博が監督を務めたボーイズリーグのチーム・オール住之江に所属高校時代控えも…メジャーで活躍するまでに這い上がった黒田の足跡 - スポーツニッポン(2015年1月16日)。上宮高に進学。高校では控え投手。同級生にはエースナンバーも付けた西浦克拓(元日本ハム)や筒井壮(元阪神)らがいる。上宮高から東都の専修大学へ進学。チームでは1学年上の小林幹英との2本柱で4年生春から東都大学1部リーグに昇格に貢献、1996年春、同年から大学野球でのスピードガン場内表示が始まった神宮球場において、球速150km/hを計測している。1部リーグ通算15試合6勝4敗防御率3.33。、ドラフト逆指名2位で広島東洋カープに入団。背番号15(背番号15は引退後、広島球団3人目の永久欠番となった)。

第一次広島時代

は春季キャンプが終了したのち、2軍でのスタートとなる。広島東洋カープ由宇練習場での練習試合に中継ぎ投手として登板するも、1イニング10失点を喫する。当時の2軍監督である安仁屋宗八は打たれ続けても交代させずに3アウトを取るまで投げさせた広島・黒田博樹「不屈の野球道」(3)プロ入り後、活躍するまでに時間がかかった - アサ芸プラス(2015年4月8日)。4月25日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)にて初登板・初先発・初勝利・初完投の快挙を達成。その後も同じく新人の澤崎俊和と共に先発ローテーションに入り、勝ち星こそ伸びず負けが先行したが規定投球回をクリアした。

は僅か1勝でシーズンを終えた。

にシドニーで行われたインターコンチネンタル杯に日本代表として出場し韓国戦で勝利、台湾戦で完封勝利を収める。同年、カープの先発ローテに名を連ねる。

はそれまで力一辺倒だった投球を改め緩急を意識した投球の結果成績が向上し、9月20日の巨人戦から閉幕まで4連続完投勝利を挙げた。

はオールスターゲームに初出場。初の2桁12勝をマークし、チームの勝ち頭となる。

は途中先発ローテーションから外れたが、2年連続2桁勝利を達成。

はそれまでのエース・佐々岡真司に代わって初の開幕投手となる。前半は不調で勝てない時期が続いたが、後半から本来の調子を取り戻し、最終的に13勝を挙げ3年連続2桁勝利を達成し、自身初となる投球回200イニング以上を果たした。アテネオリンピック野球アジア予選にも出場。

も2年連続で開幕投手を務める。6月20日のヤクルトスワローズ戦(松山坊っちゃんスタジアム)にて自己最速の157km/hを記録。アテネオリンピックでは野球日本代表に選出され中継ぎとして2勝し、銅メダル獲得に貢献。

4月15日の横浜ベイスターズ戦で三浦大輔と互いに完封リレーを行い0-0というスコアで引き分けた。オールスターゲームにファン投票で選出され4年ぶりの出場を果たし、リーグ最多勝利で初タイトルを獲得。タイトル料込みで年俸2億円に達する。

ちなみに、球団再編騒動の最中、当時資金面で困窮していた球団から提示された年俸は1億9500万円であったが、チームの顔として2億円の大台到達にこだわる黒田は「僕が500万円出すので(会見で)2億円と言っていいですか」と詰め寄る場面もあったという。

は国別対抗戦WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)に選出されるも、2月24日の12球団選抜との練習試合で打球を右手に受け負傷。出場辞退を余儀なくされる。5月31日にFA権を取得。6月まで5勝6敗、防御率、WHIP1.11と安定した投球を続け、オールスターゲーム出場直前の7月2日の中日戦からは負け無しの8連勝を記録。7月は4勝0敗、防御率0.84、WHIP0.78の活躍で月間MVPをチームメイトの栗原健太とともに受賞。更に8月も続けて4勝0敗、防御率1.11、WHIP0.86の活躍で月間MVPを連続受賞。球団史上初の2ヶ月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープの歴史に名前を残せて嬉しい」と発言した。しかし、9月には右ひじを痛めて長期離脱。10月16日の中日戦で救援で復帰登板、プロ初セーブを記録した。この年、13勝6敗1セーブ、WHIP1.00、防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。1点台でのタイトル獲得はの赤堀元之以来、セ・リーグではの斎藤雅樹以来の快挙となった。また、テンポの良い投球を評価されてスピードアップ賞を受賞。オフには監督のマーティ・ブラウンの奨めで渡米し右肘関節のクリーニング手術(数か月で投球可能となる軽い手術)を行った。FA権取得に伴い、10月15日に球団から「4年10億円+生涯保障、指導者手形」という条件を提示される。そして11月6日に4年12億円(基本年俸2億5000万円+単年最大5000万円の出来高込。当初の条件に出来高を上乗せしている)でFA権を行使せずに残留することを表明。「今後も国内他球団の移籍はない」と明言し、国内なら「生涯広島」を宣言した。なおこの契約は、4年の契約期間内で自由にメジャーリーグ挑戦できるようになっていた。FA権を行使せずに残留を決めたこと、残留会見での「僕が他球団のユニフォームを着て、広島市民球場でカープのファン、カープの選手を相手にボールを投げるのが自分の中で想像がつかなかった」、「僕をここまでの投手に育ててくれたのはカープ。そのチームを相手に僕が目一杯ボールを投げる自信が正直なかった」と発言した。また、この年の選手会のベストエピソード賞に選ばれ、黒田の野球用具を担当するSSKは、社を挙げて黒田をキャンペーンすることを決定した。そして市民に感動を与えたことが評価され、広島市は「広島市民表彰」を黒田に授与すると発表した(球団4人目)。

も開幕投手を務め、長谷川良平以来球団2人目の5年連続開幕投手となる。またデーゲームは大の得意で、6月3日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では2003年7月6日からのデーゲーム13連勝を記録した。7月14日の東京ドームでの読売ジャイアンツ戦にて通算100勝を達成した(ちなみにプロ初勝利も東京ドームでの巨人戦だった)。オールスターゲームに2度目のファン投票選出で4度目の出場。例年夏場を得意としていたが、この年の8月からはクオリティ・スタートすら守れない試合が続き、8月と9月は2勝3敗、防御率4.58、WHIP1.48を喫した。10月18日にFA権を行使する事を明らかにした。MLB球団は以前から黒田に目を付けており、特にテキサス・レンジャーズゼネラル・マネージャーのジョン・ダニエルズが興味を示した発言をしていた。ジョー・アーボンとスティーブ・ヒラードと代理人契約を結び、12月1日に球団本部長の鈴木清明へメジャー挑戦を決断したことを報告黒田がメジャー挑戦表明 - 日刊スポーツ(2007年11月30日)。記者会見では「評価されるのもカープのおかげで、また日本に帰ってプレーするならこのチームしかない」とも語った。

ドジャース時代

2007年12月15日、ロサンゼルス・ドジャースと総額3530万ドルの3年契約を結んだことをAP通信が明らかにしたドジャース黒田入団発表、背番号18希望 - 日刊スポーツ(2007年12月17日)黒田心意気の出来高払いなし - 日刊スポーツ(2007年12月18日)。これにより、カープ初の日本人メジャーリーガー誕生となった。背番号は「18」だったが、会見場では「08」を着けた。これはユニフォームが間に合わなかったためであり、同年にドジャースとマイナー契約したロバート・ブースが先に背番号「08」を着けていた。ドジャースから当初提示された条件は4年契約だったが、「ワクワクする気持ちはほとんど湧いてこなかった。戦地に行くつもりでアメリカに行く。4年間もそんな苦しいことはできない。『苦しい時間』が短い方が自分は頑張れる。3年間できちんとした成績を残せれば、4年目に同等かそれ以上の契約を交わせるはずだ」として契約年数短縮を自ら申し出た。

は4月4日のサンディエゴ・パドレス戦でメジャーデビューし、初勝利を挙げた。5月21日のシンシナティ・レッズ戦では8回を5安打2失点に抑え、9回には斎藤隆が無安打無失点で抑え勝利し、日本人史上初の同試合での先発勝利とセーブ達成を記録日本人初!黒田→斎藤「先発勝利&S」 - 日刊スポーツ(2008年4月6日)。27日のシカゴ・カブス戦では福留孝介とメジャー初対戦するカブス福留、初対決ドジャース黒田に快勝 - 日刊スポーツ(2008年5月29日)。6月6日のカブス戦では9回4安打無失点11奪三振無四球の快投でメジャー初完封を記録黒田「壊れてもいい」志願の続投で初完封 - 日刊スポーツ(2008年6月8日)。しかし19日に右肩腱炎で故障者リスト入り黒田がDL入り、復帰は最短で28日 - 日刊スポーツ(2008年6月20日)。7月2日のヒューストン・アストロズ戦で復帰し黒田復活最速155キロ20日ぶり登板4勝 - 日刊スポーツ(2008年7月4日)、7日のアトランタ・ブレーブス戦では7回終了時点まで完全試合の9回1安打無失点で完封勝利を挙げ、最終的にも走者は8回に出した1人しか許さなかった黒田「悔しい」1安打無四球で完全逃す - 日刊スポーツ(2008年7月9日)。新人投手が8回途中まで完全試合を続けるのは、のオーレル・ハーシュハイザー以来初めてで、完全試合を達成していれば、サンディ・コーファックスに次ぐドジャース史上2人目、日本人メジャー初の快挙となっていた - MAJOR.JP(2008年7月8日)。前半戦は17試合の先発で5勝6敗、防御率3.43、WHIP1.20の成績で折り返し、後半戦初戦となった18日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦に先発するも2回6失点を喫し降板黒田球宴休み生かせず2回8安打KO - 日刊スポーツ(2008年7月20日)。その後も監督のジョー・トーリから「どちらが本当の彼なのか」と言われるなど好不調の激しい登板を繰り返したが輝きを放ったルーキーたち『月刊スラッガー』2008年12月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-12、29頁。、8月からは11試合の先発で4勝2敗、防御率2.56、WHIP1.03と好投。シーズン通算では防御率とWHIP、クオリティ・スタートでリーグ20傑に入り、FIPではリーグ9位の3.59を記録する。ポストシーズンではカブスとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、6回1/3を6安打無失点の好投で勝利投手となり、リーグチャンピオンシップシリーズに進出黒田で突破ドジャース3連勝/プレーオフ - 日刊スポーツ(2008年10月6日)。フィラデルフィア・フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第3戦に先発し、6回0/3を5安打2失点の投球で勝利投手となる黒田内角攻めでド軍1勝/プレーオフ - 日刊スポーツ(2008年10月14日)。この試合でシェーン・ビクトリーノの頭部付近への投球が騒動となり罰金が科せられた黒田に75万円、選手とコーチ7人に罰金 - 日刊スポーツ(2008年10月15日)。チームは第5戦で敗退黒田「悔しいが充実の1年」/プレーオフ - 日刊スポーツ(2008年10月17日)。オフには翌年の第2回WBC日本代表の第一次候補に挙げられたが辞退するドジャース黒田WBC辞退調整間に合わず - 日刊スポーツ(2008年12月21日)。

は野茂英雄、松坂大輔に次いで日本人史上3人目の開幕投手として4月6日のパドレス戦に先発し、5回2/3を4安打1失点の投球で白星を挙げる黒田、ピービ倒して野茂以来の開幕白星 - 日刊スポーツ(2009年4月8日)。しかし直後に左脇腹を痛めて10日に故障者リスト入りする黒田脇腹違和感でDL入り「不本意です」 - 日刊スポーツ(2009年4月12日)。6月1日のダイヤモンドバックス戦で復帰し黒田戦列復帰、トーリ監督「よく投げた」 - 日刊スポーツ(2009年6月3日)、23日のシカゴ・ホワイトソックス戦で復帰後初勝利を挙げる黒田「長かった」4・6開幕戦以来の2勝 - 日刊スポーツ(2009年6月25日)。28日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対戦イチロー内野安打で黒田攻略3点突破口 - 日刊スポーツ(2009年6月30日)。7月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では登板間隔の関係からメジャー初の救援登板したが、1回1/3を投げ2安打3失点を喫した黒田がメジャー移籍後初救援で3失点 - 日刊スポーツ(2009年7月14日)。前半戦はWHIP1.14と安定した投球を続けるも3勝5敗、防御率4.67を喫する。8月16日のダイヤモンドバックス戦ではラスティ・ライアルの打球を頭部に受け故障者リスト入りする黒田の頭に打球直撃し退場…検査異常なし - 日刊スポーツ(2009年8月17日)黒田、今季2度目の故障者リスト入り - 日刊スポーツ(2009年8月20日)。9月6日のパドレス戦で復帰し黒田22日ぶり復帰も5回4失点で6敗目 - 日刊スポーツ(2009年9月7日)、最終的に規定投球回には達しなかったが、後半戦は5勝2敗、防御率2.98、WHIP1.13と好投を続け、チームは2年連続の地区優勝を果たす黒田ドジャースが2年連続の地区優勝 - 日刊スポーツ(2009年10月5日)。ポストシーズンでは首痛でセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは登録を外れ黒田はベンチで観戦/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月9日)。、フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズで第3戦に先発するが、1回1/3を6失点で降板黒田撃沈、39球6失点KO/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月20日)。。チームは前年に続き第5戦で敗退した黒田悔しいブルペン終戦/プレーオフ - 日刊スポーツ(2009年10月23日)。

4月9日のフロリダ・マーリンズ戦で初登板し、8回5安打1失点の好投で3年連続初登板勝利を記録黒田3年連続初登板飾った 8回自責ゼロ - 日刊スポーツ(2010年4月11日)。5月2日のピッツバーグ・パイレーツ戦では岩村明憲とメジャー初対戦し、8回5安打1失点の投球で、メジャー通算20勝となる3勝目を挙げる黒田8回1失点3勝目!96マイルに96球 - 日刊スポーツ(2010年5月4日)。前半戦は17試合の先発で7勝7敗、防御率3.87、WHIP1.37の成績で折り返す。7月22日のニューヨーク・メッツ戦では高橋尚成と投げ合い、8回5安打無失点の好投で8勝目を挙げる尚成と投げ合うと黒田が勝つ8回0封8勝 - 日刊スポーツ(2010年7月24日)。その後は好投するも打線の援護に恵まれない試合が続き黒田8敗…気温40度超6回1失点も - 日刊スポーツ(2010年7月19日)4試合連続勝ち星なしの黒田が練習で汗 - 日刊スポーツ(2010年8月18日)黒田7回2失点も援護なく5戦白星なし - 日刊スポーツ(2010年8月20日)、8月25日のブルワーズ戦で6試合ぶりの白星を挙げる黒田気合入れメジャー最多タイ9勝 - 日刊スポーツ(2010年8月27日)。30日のフィリーズ戦では8回1死までノーヒットノーランの快投を見せ、メジャー移籍後初の10勝目に到達黒田惜しい!8回1死までノーヒッター - 日刊スポーツ(2010年9月1日)。後半戦は14試合の先発で防御率2.87、WHIP0.93と好調だったが、「勝ち負けは(自分では)どうすることもできないって、今年はつくづく感じている」と語る黒田6回1失点も「今年はつくづく…」 - 日刊スポーツ(2010年9月12日)ほど好投するも打線の援護に恵まれない試合が多く黒田援護なし…6度目無得点12敗目 - 日刊スポーツ(2010年9月7日)、4勝6敗に留まったが、シーズン通算では11勝、防御率3.39、投球回数196回1/3、奪三振数159と主要カテゴリーでメジャー自己最高の成績を記録した。オフにはドジャースとの契約が終了しFAとなる。ESPNが作成したFA選手ランクリストでデレク・ジーターを上回るベスト30に入り「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と高評価を受け、複数球団が獲得を目指し去就が注目された。一部報道で古巣広島へ復帰の可能性も報じられ、日本の球団も獲得に動いたが、11月15日に1年1200万ドルでドジャースと再契約黒田ド軍と正式に再契約「うれしい」 - 日刊スポーツ(2010年11月17日)。その後記者会見では「ドジャースが必要としてくれるなら第一に考えたかった」と語りド軍残留黒田「世界一を目指したい」 - 日刊スポーツ(2010年11月24日)、自身のブログでは広島への復帰報道について謝罪し「日本に復帰するならカープしか考えていなかった」と改めて明言したドジャース残留黒田がブログで騒動を謝罪 - 日刊スポーツ(2010年11月19日)。

のスプリングトレーニングでは東日本大震災の募金活動に参加しドジャースが義援金集め、黒田も感謝 - 日刊スポーツ(2011年3月20日)、自身も5万ドルを寄付した黒田「自分も協力」義援金5万ドル - 日刊スポーツ(2011年3月16日)。4月3日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦で初登板し、7回を6安打3失点の投球で4年連続の初登板勝利を挙げる黒田が4年連続初登板勝利「強いので」 - 日刊スポーツ(2011年4月5日)。9日のパドレス戦では9回2死まで無失点の好投でメジャー通算30勝となる2勝目を挙げる黒田9回2死まで0封「最後ヘロヘロ」 - 日刊スポーツ(2011年4月11日)。しかしその後は6月までの9敗中6試合でクオリティ・スタートを記録するなど好投しても打線の援護に恵まれない試合が続き、7月1日のロサンゼルス・エンゼルス戦でメジャー通算100先発を達成し、8試合ぶりの白星を挙げる黒田1カ月半ぶり白星、去就注目度アップ - 日刊スポーツ(2011年7月3日)。前半戦は18試合の登板で6勝10敗、防御率3.06、WHIP1.22と過去最高の成績で折り返し、7月までポストシーズン進出を目指す複数の球団がトレードでの黒田の獲得を目指していることが盛んに報じられたが、トレード期限前の7月30日にトレード拒否権を行使して残留。「プレーオフの魅力はあったし葛藤はあった。昨年契約した時ドジャースでやると決めたし、その原点に戻りました」とコメントする黒田は悩んでド軍残留「眠れなかった」 - 日刊スポーツ(2011年8月1日)。8月26日のカージナルス戦で2年連続の二桁勝利となる10勝目を挙げ黒田10勝 2年連続2ケタ勝利 - 日刊スポーツ(2011年8月26日)、8月は5勝を挙げる黒田11勝目 8月で5勝「たまには…」 - 日刊スポーツ(2011年9月1日)。9月11日のジャイアンツ戦では4回2/3を投げ3失点で、日本人選手ワースト記録となる16敗目を喫する黒田日本人ワースト16敗「疲れがある」 - 日刊スポーツ(2011年9月13日)。16日のパイレーツ戦ではメジャー通算40勝目となる自己最多の12勝目を挙げ黒田12勝 メジャー自己新で通算40勝 - 日刊スポーツ(2011年9月18日)、27日のダイヤモンドバックス戦でメジャー移籍後初の200イニングにも到達黒田200イニング登板 FA結論はまだ先 - 日刊スポーツ(2011年9月29日)。後半戦も14試合の登板で7勝6敗、防御率3.09、WHIP1.20と安定した投球を続け、前年に引き続き得点援護率がリーグワースト2位を記録するなど打線の援護に恵まれず、シーズン通算では16敗を喫したものの13勝とリーグ9位の防御率3.07、161奪三振と主要3部門で2年連続キャリアハイを更新した。

ヤンキース時代

1月26日にニューヨーク・ヤンキースと1500万ドルの1年契約を結んだ 。背番号はドジャース時代と同じ「18」。4月13日のエンゼルス戦で移籍後初勝利を挙げる重圧に打ち勝ったヤンキース・黒田、最高のNYデビュー - sportsnaviコラム(2012年4月14日)。24日のテキサス・レンジャーズ戦ではダルビッシュ有と投げ合い、6回2/3を5安打2失点に抑えるも3敗目を喫した。6月13日のブレーブス戦ではNPB/MLB通算150勝を達成。17試合の登板で8勝7敗、防御率3.50、WHIP1.26の成績で前半戦を終える。7月18日のトロント・ブルージェイズ戦では、野茂英雄、大家友和に次いで日本人史上3人目となるメジャー通算50勝を達成。試合は7回雨天コールドのため、記録上完封勝利となった。23日のシアトル・マリナーズ戦では、この日トレードでヤンキースに移籍したイチローと共に先発出場し、7回を3安打1失点9奪三振の好投で野茂英雄以来日本人選手史上2人目となる3年連続の10勝目を挙げる。8月14日のレンジャーズ戦では、日本人選手単独2位のメジャー通算52勝目となるシーズン2度目の完封勝利を挙げ、監督のジョー・ジラルディに「今季の投手陣の中で最高の投球内容だった」と絶賛された。9月16日のタンパベイ・レイズ戦ではメジャー移籍後自己最多の14勝目を挙げ、2年連続の200投球回にも到達したコツコツ黒田2年連続200投球回 - 日刊スポーツ(2012年9月18日)。レギュラーシーズン最終戦となった10月4日のボストン・レッドソックス戦では松坂大輔と投げ合い、7回7安打2失点の投球でプロ入り後キャリアハイとなる16勝目を挙げ、チームも地区優勝を決めた。また、防御率3.32はヤンキース先発陣のトップ。投球回219回2/3はリーグ4位。勝率.593はメジャー自己ベストであった。ポストシーズンではボルチモア・オリオールズとのディビジョンシリーズ第3戦に先発し、ポストシーズンでの日本人選手最長となる8回1/3を5安打2失点の投球でチームの勝利に貢献。デトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは中3日で先発登板し、5回まで走者を出さず、7回2/3を5安打3失点、ポストシーズンでの日本人選手最多となる11奪三振の好投を見せるも黒星を喫し、チームは第4戦で敗退した。11月20日に1500万ドルの1年契約で再契約したYankees re-sign Kuroda - FOX SPORTS(2012年11月20日)。

6月7日のシアトル・マリナーズ戦でNPB・MLB通算2000奪三振を達成黒田2000K到達も8安打4失点5敗目 - 日刊スポーツ(2013年6月8日)。19日のロサンゼルス・ドジャース戦では、6回2/3を8安打2失点の投球で7勝目を挙げ、ナショナル・リーグ全球団からの勝利を達成した黒田 古巣ド軍斬り ナ・リーグ制覇 - 日刊スポーツ(2013年6月21日)。前半戦を19試合の先発で8勝6敗、リーグ2位の防御率2.65、WHIP1.05の成績で折り返し、オールスターゲーム代替出場選手の最終候補にも名前が挙がったが、選出は逃した黒田、球宴最終候補リストに名前あった - 日刊スポーツ(2013年7月16日)。7月25日のレンジャーズ戦で7回6安打無失点の好投で10勝目を挙げ、日本人選手最多記録となる4年連続二桁勝利を達成黒田10勝 野茂超え日本人初4年連続2桁日刊スポーツ、2013年7月25日。。8月11日のエンゼルス戦で11勝目を挙げダル15K見て、黒田9度目の0封11勝 - 日刊スポーツ(2013年8月14日)、17日のレッドソックス戦ではメジャー移籍後自己ワーストの11被安打で8敗目を喫するも防御率リーグトップとなる黒田8敗 味方守備、判定に怒り抑え… - 日刊スポーツ(2013年8月19日)。しかしその後は制球を乱し終盤苦しんだ黒田 チーム背負い活躍、疲労が心身に - 日経新聞コラム(2013年9月30日)後半戦は13試合の先発で防御率4.25、WHIP1.32の成績を喫し、さらに勝利投手の権利を有して降板した際も3度のセーブ失敗に遭うなどもあり黒田、勝ち投手権利をリベラに消される - 日刊スポーツ(2013年9月10日)、後半戦の勝敗は3勝7敗に終わり、チームもポストシーズン進出を逃した。10月31日にFAとなり、12月7日に年俸1600万ドル+出来高の1年契約で再契約Yankees sign RHP Hiroki Kuroda - MLB.comYankees, Hiroki Kuroda finalize one-year deal CBS Sports。

4月25日のエンゼルス戦で自己ワーストの8失点を記録するなどヤ軍黒田8失点「紙一重の部分が野球」日刊スポーツ、2014年4月27日。5月までは防御率4.56、WHIP1.32を喫する。7月初旬にはCC・サバシアや田中将大の故障者リスト入りにより、開幕から先発ローテーションを守る唯一の投手となり、前半戦は19試合の先発で6勝6敗、防御率4.10、WHIP1.21の成績で折り返す。7月25日のブルージェイズ戦で日本人史上2人目のメジャー通算200先発に到達黒田7勝目 野茂に次ぐ200戦先発達成日刊スポーツ、2014年7月26日。。30日のレンジャーズ戦では黒田と入れ替わりで広島に所属していたコルビー・ルイスと投げ合うが黒星を喫し黒田7敗目 元広島エース対決に敗れる日刊スポーツ、2014年7月31日。、QS達成での敗戦数が現役選手最多の30敗となった不運な黒田、QSクリアも現役最多30敗日刊スポーツ、2014年8月1日。。8月25日には広島市の土砂災害の被災者への義援金を送ったことを発表ヤンキース黒田が広島市に義援金日刊スポーツ、2014年8月25日。。28日のデトロイト・タイガース戦で日本人選手では野茂英雄以来の5年連続規定投球回に到達黒田7回2失点も「30球団制覇」逃す日刊スポーツ、2014年8月30日。。9月3日のレッドソックス戦では前年の自らの記録を更新する5年連続二桁勝利に到達黒田が“黒田超え”5年連続10勝日刊スポーツ、2014年9月5日。。14日のオリオールズ戦ではNPB/MLB通算3000投球回に到達黒田 3000投球回到達に「まさか…」日刊スポーツ、2014年9月15日。。シーズン最終登板となった25日のオリオールズ戦では、完投すれば自身3年連続200投球回達成という状況の中、8回2失点と好投するが、9回にデビッド・ロバートソンが同点打を許し勝ち星を逃す黒田「ジーターは持っているものが違う」日刊スポーツ、2014年9月26日。。この試合ではシーズンを通しての黒田の好投と貢献度を見てきた監督のジョー・ジラルディから、9回もいったんマウンドに上がりファンに見送られながら降板することも提案されていたが、デレク・ジーターの現役最後のホームゲームだったことから「今日は僕の日じゃないので」と断ったという黒田 ジーターと2度のハグ「言葉じゃなくてね…」Sponichi Annex、2014年9月27日。。チームは2年連続でポストシーズン出場を逃したが、後半戦は13試合の先発で5勝3敗、防御率3.16、WHIP1.03の成績を残し、チームの先発投手で唯一開幕から先発ローテーションを守った唯一ローテ守り抜いた 黒田「最低限の目標だが一番難しい」Sponichi Annex、2014年9月29日。。日本人初のMLB全30球団勝利は持ち越した黒田7回2失点も2つの記録は持ち越し日刊スポーツ、2014年8月29日。。シーズン終了後FAとなった イチロー、松坂らFAに 選手会が121人公示スポーツニッポン、2014年11月1日。11勝は田中の13勝に次ぐチーム2位、奪三振数はチームトップの146だったが、ヤンキースはFA選手に対して1年契約を提示するクオリファイング・オファーを申請せずFA黒田にオファーなくヤンキースと決別、その後古巣のドジャースがオファーを提示したことが報じられ黒田獲得へ ド軍“本気”18億円オファー!大型補強第1弾スポニチアネックス 2014年11月21日、この他にパドレスも1800万ドルのオファーを提示したことが報じられた2014年12月27日 中国新聞朝刊16版17面他。

第二次広島時代

2014年12月27日に古巣の広島と契約したことが球団から発表された。1年契約で年俸は推定4億円(プラス出来高)、背番号は2007年まで着けていた「15」に決定した。上記の海外での高額オファーを断って日本国内の古巣・広島カープに復帰するというニュースは、日本球界関係者のみならず大リーグ関係者にも大きな反響があった黒田博樹の“男気伝説” 広島復帰を決断した右腕が米国でも見せた心意気 - Full-count フルカウント 野球・MLBの総合コラムサイト。

は球団から調整法を任せられていたため、春季キャンプは2月17日からの沖縄二次キャンプから合流した。合流前日(2月16日)に広島市内で行われた復帰記者会見では、「年齢的な部分を考えても残りの野球人生は長くないと思っていますし、いつ最後の登板になっても良いという気持ちでやっています。1球1球にどれだけの気持ちを込めて投げられるかと考えた時に、カープのユニフォームを着て投げて最後の1球になった方が、後悔が無いと思い復帰を決断しました」と語ったおかえりなさい!黒田博樹選手入団記者会見!2015年2月16日広島球団公式サイト配信。3月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)で復帰後公式戦初登板し、7回5安打無失点で復帰後初勝利を挙げた。また、この試合の4回に復帰後初安打(記録は二塁打)を放った黒田7回0封で2740日ぶり星2015年3月29日デイリースポーツ配信。5月3日、右腓骨筋腱周囲炎により出場登録を抹消される黒田 登録抹消 右足のくるぶしを痛める チーフトレーナー「投球に支障が出ている」Sponichi Annex 2015年5月4日閲覧。。40歳のシーズンとなったが、最終的に11勝8敗、リーグ7位の防御率2.55の成績を残した。同年9月10日、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出されたが「WBSC世界野球プレミア12」侍ジャパントップチーム候補選手45名を発表 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月10日) 2015年9月20日閲覧、10月8日にコンディションが万全ではないことを理由に代表メンバーを辞退することを発表した【広島】黒田、プレミア12出場辞退 コンディション万全でない スポーツ報知 2015年10月9日閲覧。。翌年の去就が注目されていたが12月8日に現役続行の意思を固め、12月17日にはマツダスタジアム内の球団事務所で契約更改に臨み、推定約6億円プラス出来高で契約更改した広島黒田「想像以上」球界最高年俸6億円でサイン - 日刊スポーツ(2015年12月17日16時8分)。この金額はオリックス・バファローズの金子千尋を上回り、日本球界最高年俸となるプロ野球:広島の黒田博樹投手が球界最高年俸6億円に (毎日新聞2015年12月17日 15時21分〈最終更新 12月17日 18時12分〉)。日本選手の歴代最高は2004年、2005年の佐々木主浩(横浜)の6億5000万円で、6億円は2002年の松井秀喜(巨人)の6億1000万円に次いで、2014年の阿部慎之助(巨人)とともに歴代3番目となる。なお、広島の選手が球界最高年俸となるのはの山本浩二(当時8500万円)以来である【広島】黒田6億円で球界最高年俸、広島からは山本浩二さん以来 (2015年12月18日6時0分 スポーツ報知)。

4月2日の巨人戦(マツダスタジアム)で120球を投げて4安打完封勝利を記録した。40代での完封勝利は史上8人目、41歳以上では4人目の快挙であった。7月23日の阪神戦(マツダスタジアム)では7回を投げ5安打無失点で、NPB/MLB通算200勝(NPB:121勝、MLB:79勝)を達成した広島・黒田が日米通算200勝 阪神戦で7回無失点 - 日本経済新聞 2016年7月23日(同日確認)広島・黒田 3度目の正直で日米通算200勝達達成 - 東京スポーツ 2016年7月23日(同日確認)。NPB・MLB通算200勝は野茂英雄に次いで2人目広島の黒田が日米通算200勝 野茂英雄に次いで日本選手2人目 - 中日スポーツ 2016年7月23日(同日確認)で、大卒での200勝達成は村山実以来46年ぶり広島・黒田が日米通算200勝を達成!「残る仕事は優勝のみ」と期待の声 - 2016年07月23日 21時40分 しらべぇ(Niftyニュース)。そして、広島生え抜きの200勝達成は1992年の北別府学以来2人目となる広島・黒田、日米200勝の原動力は「マウンドに立ち続ける責任感」2016年07月23日 21時56分 THE PAGE(Niftyニュース)。6月29日のヤクルト戦(マツダスタジアム)で勝利した後の記事で、NPB/MLB通算199勝の内198勝が先発勝利(先発登板時の勝利)であることが紹介されたほぼ先発だけで200勝達成へ 東尾修が讃える「黒田」という財産-週刊朝日(2016年7月15日号)。そのため、8月20日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での先発勝利が野茂英雄と並ぶNPB/MLB通算201勝目であると同時に、史上初めて先発勝利のみでNPB/MLB通算200勝を達成。また、大卒投手としてもNPB通算、NPB/MLB通算問わず史上初めて先発勝利のみでの200勝を達成したソフトB連勝、黒田201勝/20日プロ野球まとめ-日刊スポーツ(2016年8月20日)。8月30日には、新井貴浩、リオオリンピック金メダリスト金藤理絵とともに広島県民栄誉賞の受賞が決定黒田、新井らに広島県民栄誉賞 黒田は「うれしい」新井は「光栄」デイリースポーツ(2016年8月30日)。9月10日の巨人戦(東京ドーム)でNPB/MLB通算202勝目をあげたことで野茂英雄のNPB/MLB通算201勝を抜き、NPB/MLB通算イニング数に続きNPB/MLB通算勝星数においても歴代でトップとなる広島25年ぶり優勝、黒田9勝 巨人連勝4で止まる-日刊スポーツ(2016年9月10日)。広島が優勝マジックを1として迎えた9月10日、東京ドームでの2位巨人との直接対決に先発し、6回6安打3失点で9勝目を挙げた。この試合に勝利した広島は25年ぶり7度目のリーグ優勝を決め、黒田は緒方孝市監督、新井貴浩とともに胴上げされた。10月1日のヤクルト戦(マツダスタジアム)での勝利で、ドジャース所属時の2010年から続けて7年連続2桁勝利を達成。NPBでは40代での2年連続2桁勝利という史上3人目の快挙を達成した。2リーグ制以降では工藤公康以来2人目、右腕投手としては初の快挙である広島・黒田 日米通算7年連続2桁勝利 今季最終戦で到達、バットで逆転呼ぶ-スポニチアネックス(2016年10月1日)広島・黒田が現役引退 日米通算203勝右腕「素晴らしい夢を見させてもらった」 - デイリースポーツ 2016年10月18日。

引退表明

2016年10月18日に今シーズンで現役を引退することを表明。広島市内のホテルで記者会見を行った広島カープ黒田投手が引退表明 「日本一で恩返し」 - 中国新聞アルファ 2016年10月18日。当日、日本シリーズへの練習をする前に、マツダスタジアムの右翼付近に集まった選手に対し引退の旨を表明した広島黒田が現役引退「個人的なことで申し訳ない」 - 日刊スポーツ 2016年10月18日。引退表明までの成績は日米通算203勝184敗。2016年10月25日の日本シリーズ第3戦(札幌ドーム)が最終登板となり、5回2/3を投げ85球4被安打1奪三振1失点。最後の打者は大谷翔平だった。オフの11月4日には引退記者会見が開かれ、球団は背番号「15」を永久欠番にすると発表した。翌5日の優勝パレード・優勝報告会がユニフォーム姿での最後の場となり、報告会での引退セレモニー後に改めてナインから背番号と同じ15回胴上げされ、最後はマウンド手前で涙を流し蹲った広島黒田ひざつきうずくまり33秒 3万人が見た涙 日刊スポーツ、2016年11月13日閲覧。。12月2日、自由契約公示された。2017年からはアメリカ在住の為、日本帰国時に野球解説者として活動。日本テレビ・広島テレビ・TBSテレビ・J SPORTSゲスト解説者として出演。

選手としての特徴

+ 2014年の投球データ 球種 配分% 平均球速mph (km/h) 水平運動in 鉛直運動in
シンカー 37.4 92.1 (148.2) -8.4 5.6
スライダー 20.8 83.6 (134.5) 1.4 3.0
スプリット 28.2 87 (140) -4.8 1.4
フォーシーム 8.9 91.9 (147.8) -4.0 9.4
カーブ 4.1 77.2 (124.2) 4.6 -2.6
カットボール 0.7 90 (144.8) -1.6 7.2

スリークォーターからメジャー時代の平均球速91.9mph(約147.9km/h)の速球(シンカー、フォーシーム)と平均球速86.7mph(約139.5km/h)のフォーク(スプリッター)、平均球速83.8mph(約134.9km/h)のスライダーを投げ分ける本格派右腕で、稀にカーブやカットボールも織り交ぜるFanGraphs Hiroki Kuroda Pitch Type。中でもスライダーとフォークはメジャーでも高い評価を獲得し、特にフォークはメジャー時代にはダン・ヘイレンのスプリッターと共に「現役最高のスプリッター」と評された2010-11 MLB投手白書 球種別解説&データファイル スプリッター スカウト部長の解説 『月刊スラッガー』2011年2月号、日本スポーツ企画出版社、雑誌15509-2、19頁。。速球の最速はメジャー移籍前の広島在籍時に計測した157km/h。広島復帰後はカットボールの投球割合を増やしていた。

メジャー移籍前後で投球スタイルを変えており、メジャー移籍前はフォーシームを主体としていたが、ドジャースに移籍する数年前から「ツーシーム系を内に、スライダー系を外に、フォークで高低をつける。打者が狙っている球を投げ、打たせて取ることが理想」という理想図を描き、移籍後はフォーシームをほとんど投げずツーシーム系主体の投球となった日本人メジャーリーガー新機軸 黒田博樹『週刊ベースボール』2010年3号、ベースボール・マガジン社、雑誌20441-1/25、3-7頁。。そのため広島時代に投げていた最速150km/hを越えることもあるシュートを、右打者の膝元に沈ませる速球・シンカー(握りはツーシーム)に進化させたという。その他、スライダーに関しても2008年のシーズン序盤に痛打を浴びる事が多かったために握りを変えたというNHK MLB2008 日本人メジャーリーガーの群像」。

広島時代(メジャー移籍前)には完投数リーグ1位の年が6度もあるタフさから「ミスター完投」の異名を持った一方で、完封数は年に1回程度。11年間で74完投を記録したが、完封に関しては14回に留まった。黒田自身も完投にこだわりを持っていたが、メジャーでプレーするようになってからは「いくら1試合を完封しても、次の登板でノックアウトを喫してしまってはチームにとって意味がない。それよりも7回、7回を連続してきっちり投げた方がチームへの貢献度が高くなる。この場所で完投にこだわることは自己満足に過ぎない」と思うようになったという。

OBからの評価も高く、江川卓は自著で「調子がいい時の彼のストレートは、ど真ん中に放っても打たれない」、2006年7月2日の中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で完封勝利を収めた際には、中日監督の落合博満から「今日(3安打完封)の黒田は俺が現役の時でも打てない。だからうちの選手が打てる訳がない」と絶賛された - 産経新聞(2012年3月6日)。

フィールディングの評価も高く、2008年には35のアシストを記録した。1999年の甲子園での阪神戦では満塁で決勝のセーフティバントを成功させたことがある一方、打撃は苦手で連続無安打の記録を作ったこともあり、2010年に開幕から39打席無安打を続けた際には地元紙から「いくらピッチャーでもひどい」と書かれたことがある。

上記のように高い評価を得る一方で、好投した試合での打線の援護に恵まれないことで有名であり好きな言葉は「気迫」。NYが認めた黒田博樹の志。〜常勝軍団でつかんだエースの座〜 - Number SCORE CARD(2012年9月10日)、先述した通りドジャース時代には毎年のように好投しながらも援護に恵まれず、監督のジョー・トーリからも同情されていた他、ESPNからも「援護が少なく、勝利数が伸びなかったため過小評価されている」と指摘され、2006年の広島時代には最優秀防御率でありながら援護率で最下位を記録しているRun supportの項目を参照。ヤンキース時代も他のローテーションピッチャーと比べて好投した試合での援護が著しく少なく、メディアから「黒田は弁護士を雇ってチームメイトを無援護で訴えるべきだ」と書かれたこともあったKuroda should sue for lack of support - ESPN(2012年8月26日)。

人物

  • 両親をガンで喪ったため、癌の研究や啓発を行う活動に多額の寄付をしており、ロサンゼルスのメディアに紹介されたこともある。父が肺ガンになった際は入院先の広島に足しげく通い、メジャー挑戦を1年先延ばしにしたのは父の闘病を支えたい気持ちが強かったというのも理由のひとつだった。
  • 上宮高校時代の3年間は控え投手だった。特に高校3年生の夏は、西浦克拓(元日本ハム)、溝下進崇に続く三番手投手と目されていた。元チームメイトが語る「控え投手時代の黒田博樹」スポルティーバ(2015年2月27日)
  • 広島時代の2006年のシーズン終盤、FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、ファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に突如現れた巨大横断幕である。それには多くのファンからのメッセージ、そして大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。更にシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、後に「あのファンの気持ちは大きかった」と述べた。この一連のエピソードは翌年7月に『誰がために〜黒田博樹物語〜』(漫画:吉原基貴、原案協力・取材:戸塚啓)として漫画化され、ヤングアニマル(白泉社)に掲載された。
  • ドジャース時代にほぼ毎日キャッチボールをともにしたクレイトン・カーショウと仲が良い好調ドジャースが浮上 最下位からの巻き返し - sportsnaviコラム(2010年5月25日)。カーショウとは10歳以上の年齢差があり、国籍や考え方、生活習慣も違ったが、お互いに尊重し合いながら成長していったという。投球についてたびたび話し合うだけでなく、プライベートでも頻繁に食事を共にしたり、プレゼントを贈り合ったりもしていた。2011年にトレードでの移籍に心が傾いた際にもカーショウにだけ心境を明かした他黒田 ドジャース残留決断は名誉よりチームへの愛着 - スポーツニッポン(2011年8月1日)、この年ドジャースで最後の登板となった試合前にカーショウとキャッチボールをした際には、この年233イニングを投げたカーショウは、既にシーズン最後の登板を終えてキャッチボールを禁じられていたためコーチたちに止められたが、「いいんだ、ヒロが先発するんだから、僕がキャッチボールの相手をするのは当然だろう」としてキャッチボールを続けたといい、カーショウはこの年最後のミーティングでも「ヒロに話しておきたい。ドジャースに来年も残ってほしいんだ」と話し、ミーティングが終わってロッカールームに戻った黒田は感極まって泣いてしまったという。この年のオフにFAとなり移籍先の球団を選んだ際には、「カーショウと投手同士としては対戦したくないな」という思いからナショナル・リーグの球団への移籍は避けたという。2013年7月31日のドジャース戦でカーショウとの対戦が実現した際には、試合はヤンキースが勝利したが、黒田が7回5安打無失点、カーショウが8回5安打無失点とそれぞれ好投し互いに勝敗はつかず黒田、雄叫び7回0封「抑えるしかない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)、黒田は「カーショウなら仕方がないと思ってましたし、こういう展開だとなかなか勝つチャンスがないと思っていたんで、僕はもう常に0点に抑え続けるしかないかなと思ってました」黒田7回無失点も勝敗つかず「仕方ない」 - 日刊スポーツ(2013年8月1日)、カーショウも「彼はアメリカン・リーグで最も良い投手のひとりだから負けるのは仕方がない」とそれぞれ語ったDodgers derailed despite Kershaw's gemMLB.com Recap、2013年7月31日。。引退報告にカーショウを訪ねた際にも先発登板の翌日だったカーショウにキャッチボールに誘われ、5年間使ったグラブにメッセージを添えた物を贈られた。
  • NPBとはやり方の違うMLBのトレーニングについて「アメリカに来たのでアメリカの野球を受け入れないと、自分のことも受け入れてもらえないと思った。こっちに来た以上はこっちのやり方も自分でトライしてみないと。そういう姿勢というのは、みんなに伝わると思う。アメリカの野球をしに来たので、調整法であれ、トレーニングであれ、一度受け入れることは大事」として積極的に取り入れ、「結果も毎年良くなっているので、アメリカのやり方を信じてトライしたのも僕にとっては良かった」と語っており黒田が苦しみを乗り越えて得たもの=2011シーズンを終えて - sportsnaviコラム(2011年10月11日)、また、日本でプレーしていた頃は「練習や試合だけの日もあれば、ゆっくりする日もあるんだろうな」とメジャーについてのイメージを漠然と描いていたが、毎日のようにユニフォームを着て球場に行かなければならない実状を経験して、練習時間が長いと言われる日本のほうがむしろ「しんどくない」と思ったという。そのため「日本と同じような調整では絶対に身体がもたない」と思い、調整法を変えていくことに至ったという。
  • 高校時代、西郷隆盛が甥の市来政直に贈った漢詩の一節『雪に耐えて梅花麗し』に感銘を受け、以来それを座右の銘としている。ヤンキース時代の2012年のスプリング・キャンプのミーティングで各選手が日替わりで自分の好きな言葉を披露した際に、黒田はこの言葉を紹介している。この言葉には主将のデレク・ジーターや監督のジョー・ジラルディも共鳴したという黒田、完封11勝目!座右の銘「耐雪梅花麗」チームに浸透 - スポーツニッポン(2012年8月16日)。
  • 高校生くらいの頃からB'zの曲をよく聞いており、2015年度の登場曲に使用された「RED」は、黒田から直々に登場曲制作の依頼に応えた書き下ろした楽曲である(B'zがジャンルを問わず一個人のために楽曲を提供するのは今回が初となる)B’z、広島カープ黒田投手の登場曲を書き下ろし「自分を投影できるB'z作品に」 - BARKS音楽ニュース(2015年3月25日)。
  • 日本人投手で史上初めてNPB/MLBの先発勝利数のみで200勝(野茂英雄の先発勝利数は199勝)かつ大卒プロ史上初めて先発勝利数(先発投手勝利数)で200勝に達した投手である。(これまで大卒200勝投手は4人いたが、いずれも先発投手勝利と救援投手勝利の合算で200勝している。大卒200勝投手の先発勝利数は、村山実が188勝、藤本英雄が184勝、若林忠志が179勝、杉下茂が133勝となっている。ちなみに高卒社会人プロの野茂英雄は先述のとおりNPB/MLB通算先発勝利数は199勝であり、救援投手勝利の2勝との合算で201勝となっている。)広島黒田7回無失点、野茂に並んだ日米最多201勝 - 日刊スポーツ(2016年8月21日)
  • 2015年9月には国際連合訓練調査研究所()の親善大使に任命されているunitarUnited Nations Institute for Training and Research。
  • 広島時代の2年後輩であり、自身の広島復帰と同じく2014年オフに広島に復帰した新井貴浩とは「盟友」とも呼べる間柄であり、新井が現役を引退した直後の2018年11月5日には中国新聞朝刊に新井の引退を労う全面広告(表裏2面)を私費で掲載した。事前の予告等は全くなく、新井本人にも知らせなかったという。

詳細情報

年度別投手成績

広島2323410690--.400601135.0147176304648172664.401.56
186000140--.20019945.05352401251034336.601.71
2116210580--.38540687.2106203913554070666.781.65
2921710960--.600623144.01472161211163073694.311.44
272713331280--.600786190.01751945181467072643.031.16
232382110100--.500671164.11661634311441069673.671.22
28288|141390--.591827205.21971845231375177713.111.18
2121711790--.438639147.01871729121381081764.651.47
29281113151200.556852212.21831742271657076753.171.06
262572313610.684744189.11691221471445049391.851.00
262671212800.600738179.21762042351231078713.561.21
LAD313122291000.474776183.11811342871165085763.731.22
21200008700.533485117.1110122411875059493.761.14
3131000111300.458810196.1180154813515912087743.391.16
3232000131600.448838202.019624496516112177693.071.21
NYY3333321161100.593891219.220525512816713086813.321.17
3232111111300.458824201.11912043251506079743.311.16
323200011900.550820199.019120350714613091823.711.14
広島262610011800.579685169.2158829071063053482.551.10
242411010800.556623151.2152143033983054523.091.20
NPB:13年32129476151712410510.54183942021.22016204504225214614928587973.551.25
MLB:7年212211654797900.50054441319.0125412929232389866615645053.451.17
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル

NPB
  • 最多勝利:1回 (2005年)
  • 最優秀防御率:1回 (2006年)

表彰

NPB
  • ベストナイン:1回 (2005年)
  • ゴールデングラブ賞:1回 (2005年)
  • 月間MVP:3回 (2005年5月、2006年7月、2006年8月)
  • 最優秀投手:1回 (2005年)
  • 最優秀JCB・MEP賞:1回 (2003年)
  • 優秀JCB・MEP賞:2回 (2001年、2006年)
  • スピードアップ賞:1回 (2006年)
  • コミッショナー特別表彰:1回 (功労賞 : 2016年)
その他
  • 広島市民賞:2回 (2006年、2016年)
  • 広島県民栄誉賞 (2016年)
  • ビートたけしのエンターテインメント賞:2回 (特別賞:2015年、男気賞:2017年)
  • ハッピーハンド (2016年)

記録

NPB投手記録
初記録
  • 初登板・初先発・初勝利・初完投:1997年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回1失点
  • 初奪三振:同上、1回裏に松井秀喜から
  • 初完封勝利:1997年6月3日、対阪神タイガース9回戦(西京極野球場)
  • 初セーブ:2006年10月16日、対中日ドラゴンズ22回戦(広島市民球場)
節目の記録
  • 1000投球回:2004年4月22日、対ヤクルトスワローズ6回戦(明治神宮野球場)、4回裏にジェイソン・ベバリンを三振で2死目を奪い達成 ※史上295人目
  • 1000奪三振:2006年4月6日、対阪神タイガース2回戦(倉敷マスカットスタジアム)、5回表に赤星憲広から ※史上117人目
  • 1500投球回:2006年8月18日、対横浜ベイスターズ14回戦(横浜スタジアム)、5回裏1死から金城龍彦を中飛に打ち取り、2死目を奪い達成 ※史上157人目
  • 100勝:2007年7月14日、対読売ジャイアンツ11回戦(東京ドーム)、9回2失点完投勝利 ※史上123人目
  • 2000投球回:2016年8月27日、対中日ドラゴンズ18回戦(ナゴヤドーム)、3回裏無死から近藤弘基をセカンドゴロに打ち取り、1死目を奪い達成 ※史上88人目
NPB打撃記録
初記録
  • 初打点:1997年4月25日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、4回表に西山一宇から押し出し四球
  • 初安打:1997年5月27日、対読売ジャイアンツ8回戦(福岡ドーム)、5回表に槙原寛己から右前安打
  • 初盗塁:2005年5月17日、対千葉ロッテマリーンズ1回戦(福山市民球場)、5回裏に二盗(投手:小野晋吾、捕手:橋本将)
NPBその他記録
  • オールスターゲーム出場:5回 (2001年、2005年 - 2007年、2015年)
  • シーズン2桁勝利:8回
MLB投手記録
初記録
  • 初登板・初勝利:2008年4月4日(現地時間)、対サンディエゴ・パドレス戦(ペトコ・パーク)
  • 初奪三振:同上、1回裏に井口資仁から
  • 初完封:2008年6月6日(現地時間)、対シカゴ・カブス戦(ドジャー・スタジアム)黒田「壊れてもいい」志願の続投で初完封 - 日刊スポーツ(2008年6月8日)
日本人選手(投手)としての最高記録
MLB打撃記録
初記録
  • 初安打:2008年4月14日(現地時間)、対ピッツバーグ・パイレーツ戦(ドジャー・スタジアム)
  • 初打点:2008年4月14日(現地時間)、対ピッツバーグ・パイレーツ戦(ドジャー・スタジアム)
MLBその他記録
  • シーズン2桁勝利:5回
NPB・MLB通算節目の記録
  • 150勝:2012年6月13日(現地時間)、対アトランタ・ブレーブス戦(ターナー・フィールド)、6回2失点
  • 2000奪三振:2013年6月7日(現地時間)、対シアトル・マリナーズ戦(セーフコ・フィールド)、2回裏にラウル・イバニェスから空振り三振
  • 200勝:2016年7月23日、対阪神タイガース17回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点
  • 200勝(先発投手勝利のみにおける200勝目):2016年8月20日、対ヤクルトスワローズ19回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回無失点※史上初(NPB/MLB)
  • 3000投球回:2015年9月14日、対ボルチモア・オリオールズ戦(オリオールパーク)、3回無死 ニック・ハンドリー(三ゴロ) ※史上2人目(日米)黒田 3000投球回到達に「まさか…」 - 日刊スポーツ(2015年9月14日)
日本人選手(投手)としての最高記録

背番号

  • 15 (1997年 - 2007年、2015年 - 2016年)(広島球団の永久欠番)
  • 18 (2008年 - 2014年)

登場曲

  • B'z「RED」(2015年 - 2016年)※書き下ろし曲

関連情報

著書

  •  ※2015年3月時点で3万部の売上

関連書籍

DVD

  • 『黒田博樹のカープ愛~野球人生最後の決断』(2015年3月、 TCエンタテインメント)

カレンダー

  • 『日めくり 黒田博樹 ~一言入魂~ DVD付き』(2016年4月27日、ワニブックス)

出演

テレビ番組

テレビドラマ
  • ドリーム☆アゲイン(2007年、日本テレビ)本人 役
教養・ドキュメンタリー番組
  • 情熱大陸(2013年4月14日・2015年3月29日、毎日放送)
  • アスリートの魂(2013年8月1日、NHK)
  • 奇跡体験!アンビリバボー(2016年11月3日、フジテレビ)
  • OFLIFE(2018年10月24日 - 2020年9月23日、毎日放送)

CM

  • スカパー 「交流戦CM」(2015年5月)
  • サッポロビール サッポロ生ビール黒ラベル「大人エレベーター」(2016年1月)
  • キリンビール 淡麗極上〈生〉(2017年3月)

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 専修大学の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧
  • オリンピックの野球競技・メダリスト一覧
  • 日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2020/09/25 11:02 UTC (変更履歴
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