ウーリー・ステック : ウィキペディア(Wikipedia)

ウーリー・ステック(Ueli Steck、1976年10月4日 - 2017年4月30日)は、スイスの登山家。

アルプス三大北壁の最速登頂記録を持つスイス最速のアルピニスト、ウエリ・シュテックがアイガー、マッターホルン、グランド・ジョラスのスピード記録を樹立。卓越した登攀技術と、常人離れした高所耐性から、「スイスマシーン」の異名をとる著名登山家がエベレストで死亡=高所順応中、滑落か-ネパール 時事通信(2017年4月30日)2017年4月30日閲覧。名前はウエリ・シュテックと表記されることもある。

主な登頂記録

  • 2001年 プモリ西壁初登頂
アイガー北壁"The Young Spider"初登頂
  • 2006年 ガッシャーブルムII峰北壁初登頂
  • 2008年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録・2時間47分33秒
グランドジョラス北壁ソロ 最速登頂記録・2時間21分
  • 2009年 マッターホルン北壁ソロ 最速登頂記録・1時間56分
  • 2011年 シシャパンマ南西壁ソロ 10時間30分
  • 2013年 アンナプルナ南壁ソロ
  • 2015年 アイガー北壁ソロ 最速登頂記録更新・2時間22分50秒

エピソード

  • 2008年2月13日、ほとんどのクライマーがチームを組んで、二日はかけて登頂するアイガー北壁(高さ1800m)に、単独、命綱無しで、わずか2時間47分33秒という驚異的なスピードで登頂した。2015年には、自身の記録を更新する2時間22分50秒で登頂した。
  • 2008年5月、アンナプルナを登山中、スペイン人登山家のイニャキ・オチョア・デ・オルサ隊の遭難事故が発生した際には、自らのチャレンジを捨て遭難現場に急行。二人のうち一人は救助の甲斐なく死亡したものの、ウーリーの迅速な対応により一名は生還を果たした。この救出活動は後に映画化され、日本でも2014年9月に公開された(「アンナプルナ南壁 7,400mの男たち」)。この活躍が評価され、チームメイトのシモン・アンターマッテンとともに「プリ・クラージュ(Prix Courage)賞」を受賞した。
  • 2012年5月にはエベレストの無酸素登頂に挑戦。登頂予定日には異常高温によるルート崩壊で待機していた登山家の大渋滞に巻き込まれ、デスゾーンで予定外の待機を余儀なくされるアクシデントが発生。同行のシェルパが力尽き撤退する状況の中、ウーリーは登頂に成功して生還を果たした。
  • 2013年4月、エベレストでシモーネ・モロ、ジョナサン・グリフィスと共にシェルパと乱闘事件を起こし、登頂を中止し下山することになった。
  • 2017年4月30日、エベレスト西稜からローツェへの縦走を計画。高所順応期間に近くのヌプツェを登っている途中、滑落して約1000メートル落下し死去した。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/11 02:54 UTC (変更履歴
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