阿部望 : ウィキペディア(Wikipedia)
阿部 望(あべ のぞむ、1982年12月9日 - )は、日本の寿司職人。
概要
北海道伊達高等学校在学中に海外生活に憧れて寿司屋を目指す。高校2年17歳の時に地元の鮨屋でアルバイトを始める。 高校卒業して札幌の名店で本格的に鮨屋の修行を始める。19歳で単身でニューヨークに渡り、どうしたらVISAを取れるか現地の鮨屋を回り調査をし、日本帰国。20歳のタイミングで東京に拠点を移し、当時ニューヨーク支社を持つ「寿司田」の門を叩く。
2007年 24歳で念願の渡米。ニューヨークにベースを移す。寿司田 ニューヨーク支店に入社。
2016年 寿司田を退社後、独立資金を貯める為ケータリング会社を立ち上げ、We All Gat Eat代表のJoshとDavid のFoulquier brothersと共に2018年3月にSushi Nozを構える。
オープンして1年でミシュラン一つ星を獲得 (2017年)。
2021年 ニューヨーク2店舗目となるNoz17を開業。
2022年 Noz Marketを開業。
2023年 Sushi Nozがミシュラン二つ星に昇格。
2026年 Sushi Noz Los Angelsのオープン予定。
来歴
生い立ち
北海道・静内町で生まれ、生後すぐに父の転勤で苫小牧市へ移住。 幼少期は、外ではサッカーやスケート、水泳に親しみ、家では絵を描くことに夢中になる。 また、この頃に観た映画の影響で、幼いながらも海外での生活に憧れを抱くようになる。 中でも『バック・トゥ・ザ・フューチャー Part1』のオープニングシーンに描かれた「アメリカンカルチャー」に強い衝撃を受ける。
マイケル・J・フォックスがエレキギターで奏でる「ジョニー・B・グッド」、ナイキのコルテッツのスニーカー、ヒューイ・ルイスの「パワー・オブ・ラブ」を聴きながらスケートボードを楽しむ姿—— それらすべてが、田舎で育った少年にとってアメリカ文化への憧れの原点となる。(渡米後には、人生を変えるきっかけとなったその人物、マイケル・J・フォックスと実際に対面。かつて画面越しに見ていた憧れの存在と出会うことで、一つの夢が現実のものとなる)
小学4年生の時に、北海道・焼尻島へ移住。総人口わずか170人というとても小さな島で、小学校の全校生徒もわずか14名ほどであった。学校には遊具もほとんどなく、放課後の遊びといえば、いつも海でのシュノーケリングや素潜り。ウニやアワビ、カニなどを獲りながら、まるで海と一体になるような日々を過ごして育つ。
自然の恵みに感謝する心、魚介類やその他の食材に対する敬意と知識、そして季節や海と対話する感覚—— それらはすべて、島での暮らしの中で自然と身についたものであり、今の仕事である“鮨屋”としての根幹を支えている。
その頃に出会った友人たちは、現在も焼尻島で実家の家業を継ぎ、漁師として働いている。彼らが獲ったさまざまな食材はニューヨークにも送られており、Sushi Nozでは大切な食材として活用している。自身が育った土地の恵みを、遠く離れたニューヨークでも使えることは、自分ならではの“強み”であると語っている。
焼尻島での暮らしの後は、父方の実家がある北海道・豊浦町へ移住。祖父が水産会社を営んでいたこともあり、ここでも海産物と触れ合う機会に恵まれる。実家は漁港のすぐ目の前にあり、幼い頃からホタテの耳吊り作業などを手伝い始める。食卓にはいつも新鮮な海の幸が並ぶ、そんな環境で育つ。
鮨職人への道、そしてニューヨークへ
高校2年生(17歳)の頃、スケートボードやヒップホップ、映画に夢中になり、それらの映像にたびたび登場する「ニューヨーク」に強く惹かれるようになる。漠然とした憧れだった海外生活への夢は、「いつか住みたい」という具体的な目標へと変わり、日本からニューヨークへ自分の拠点を移す方法を本気で模索し始める。その中で、「日本文化に携わる職業であればビザを取得しやすい」と知り、伝統文化である鮨の道に進むことを決意。地元の鮨屋で、学校に通いながらアルバイトを始める。当時の経験について、「学校に行くよりも楽しかった」と、後に語る。
高校卒業後、札幌へ移住し、本格的に鮨職人としての修行を始める。 当時の名店「すし善」の出身である親方が営んでいた「すし乃ふじ田」に弟子入りし、厳しい修業の日々が始まる。
修行時代は、包丁を握らせてもらえる機会はほとんどなく、任されるのは主に賄い作り、皿洗い、店内の清掃、電話対応、雪かき、そして1日20杯の毛蟹を黙々と剥くような裏方の仕事ばかりだった。 朝から深夜まで16時間鮨屋で働いたあと、「包丁を使いたい」という一心で、深夜からラーメン屋でも働き始める。そこで、ひたすら葱の小口切りや玉ねぎの千切りなどの作業を続け、朝3時までアルバイトを重ねた。その努力が実を結び、半年後には千切りの包丁さばきが先輩たちよりも上達したと、親方からも認められるようになる。そこからようやく、少しづつであるが魚を扱わせてもらえるようになる。
19歳のとき、「なぜ一度も行ったことのないニューヨークに、ここまで強く惹かれるのか」を自分自身で確かめるため、初めて渡米する。 滞在中には、のちに自身が働くこととなる「寿司田」ニューヨーク店で食事をし、同時に現地でビザの種類や取得手順についても情報収集を行い、自らリサーチを重ねた。
わずか1週間の滞在であったが、「必ずこの街に住みたい」という想いはより一層強まり、帰国後には「このまま札幌にいては夢は叶わない」と感じ、東京へ拠点を移す。そして、ニューヨーク滞在中に訪れた東京の鮨屋「寿司田」で本格的な修行をスタートさせる。
2007年。修行を重ねて4年後、ついに「寿司田」ニューヨーク支店への転勤が決まり、念願の渡米を果たす。
Sushi Noz誕生と飛躍の軌跡
2016年。長年勤めた「寿司田」を退職し、独立資金を貯めるためにケータリング会社を立ち上げる。 寿司田での修行時代に出会った、We All Gotta Eat代表のFoulquier兄弟——JoshとDavidー彼らとの出会いが大きな転機となり、2018年3月、ニューヨーク・アッパーイーストサイドにて「Sushi Noz」を共同で開業。
開業からわずか1年後、Sushi Nozはミシュラン一つ星を獲得。 その後も勢いはとどまらず、2021年には「Noz 17」を開業。さらに翌2022年には、厳選された食材と職人の技を気軽に持ち帰れる「Noz Market」をオープンし、レストラングループとしての幅を広げていく。
また、メディア媒体にも取り上げられ、2022年7月29日のニューヨーク・タイムズ・マガジンNYC Times (2022-7-29), How, Nozomu Abe, Sushi Chef, Spends His Sundays にて取り上げられる。他、2024年にはRobb ReportにてThe 50 Most Powerful People in American Fine DiningRobb Report (2024-11-13), 50 Most Powerful People in American Fine Diningでもランクインされる。
2023年、Sushi Nozはミシュラン二つ星へと昇格。 そして現在、次なる舞台は西海岸へ——2026年には「Sushi Noz Los Angeles」のオープンを予定している。
出典
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2025/08/05 05:50 UTC (変更履歴)
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