木村勉 : ウィキペディア(Wikipedia)

木村 勉(きむら べん、1939年〈昭和14年〉8月15日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、東京都議会議員(6期)、江東区議会議員(2期)を務めた。長女は元江東区長で元衆議院議員の木村弥生、次女は元江東区議会議員の高橋恵海。

略歴

東京府東京市城東区亀戸町(現在の東京都江東区亀戸)生まれ。東京都立両国高等学校、慶應義塾大学商学部商学科卒業。慶應義塾大学在学中は弁論部に属した。

1971年、江東区議会議員選挙に自由民主党公認で出馬し、初当選。当時31歳で、江東区では史上最年少の区議だった。2期目の途中で区議を辞職し、自民党も離党。1977年に新自由クラブ公認で東京都議会議員選挙に出馬し、当選した。1986年の新自由クラブ解党により、自民党に復党なお、自民党復党後から選挙公報やポスターに「自由民主党」の文字を大書するようになった。。東京都議会議員は3期務め、1989年には東京都監査委員、全都道府県監査委員協議会連合会長、1992年には東京都議会自由民主党政調会長、1996年には都議会自民党幹事長に就任した。

1999年3月、東京15区の衆議院議員の柿澤弘治が東京都知事選挙に出馬するため辞職。同年4月11日に行われた同選挙区の補欠選挙に自民党公認で立候補し、初当選した。同月、長女の木村弥生を公設秘書とする。

2000年の第42回衆議院議員総選挙にも東京15区から自民党公認で出馬したが、無所属で出馬した柿澤に敗れ、比例復活もかなわず落選した。

2003年の第43回衆議院議員総選挙では民主党の東祥三、無所属の柿澤らを破り、3年ぶりに返り咲きを果たす。2004年、内閣府大臣政務官に就任。

2005年の第44回衆議院議員総選挙でも再び東を破り、3選。2007年、安倍改造内閣で内閣府副大臣に就任し、福田康夫内閣でも再任された。

2009年の第45回衆議院議員総選挙に東京15区から出馬したが、民主党の東祥三に敗れ、比例復活もならず落選した。

政策・主張

  • 健康増進法の受動喫煙防止を、努力規定ではなく義務規定とすることに反対。

関連項目

  • 近未来政治研究会
  • 日韓議員連盟

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/18 03:54 UTC (変更履歴
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