中尾憲太郎 : ウィキペディア(Wikipedia)
中尾 憲太郎(なかお けんたろう、1974年6月17日 - )は、日本のベーシスト、音楽プロデューサー。福岡県北九州市出身。九州産業大学芸術学部中退。
向井秀徳、田渕ひさ子、アヒト・イナザワと結成したナンバーガール(ベース担当)でデビュー。ナンバーガール時代は「中尾憲太郎〇歳」と名乗っていた。愛称は「ナカケン」「憲ちゃん」。
来歴
友人に頼まれて何となくベースを始めたが、ザ・クラッシュやニルヴァーナに出会い、本気で音楽を志す。
その後、大学を中退し、ライブハウスで照明のアルバイトをしていると、友人の向井秀徳にナンバーガールに誘われる。
向井は中尾の「ルードかつ直線的なベースが欲しい」と言って誘ったが、実際は様々なプレースタイルをこなせる。「ルード」という言葉の意味は言われた中尾本人もよく分からないらしい。
田渕ひさ子と中尾の出会いは、田渕がコズミック・チェリーというバンドで活動していた時に、照明のバイトをしていた中尾が「ライブ観て、カワイイと思いました」と言ってきたのが最初の出会いだと田渕は言っているが、本人は否定している。
ナンバーガール時代はしょっちゅう髪を坊主にしていた。理由はeastern youthの吉野寿に憧れた為であったり、シングル「URBAN GUITAR SAYONARA」のPV撮影の為であったりと様々である。髪型が変わる度にベースも代わっていった。
「CIBICCOさん」のPVでは相手役の女性に、口に含んだ水をかけられ、その後ビンタまでされるというシーンでなかなかOKが出ず、何度もやり直させられたりとの目に遭わされた。
ナンバーガール解散後は主にCrypt CityやSEAGULL SCREAMING KISS HER KISS HER、younGSounds、SPIRAL CHORD、SLOTH LOVE CHUNKS、タイガン、MASS OF THE FERMENTING DREGS、dry as dust、The SALOVERS、撃鉄、快速東京、THE GIRL、コンテンポラリーな生活等のプロデュースも行っている。
現在はART-SCHOOLのサポートメンバーとしても活動している。
人物
アメリカのガレージパンクバンドSupersuckersの大ファンで、彼の「中尾憲太郎○歳」という名前は、同バンドのギタリストであるダン・ボルトンがやっていたのを手本にしている。
社交的な性格で、レコーディングで訪れていたフレドニアのバーでもその社交性は発揮され、よく現地の人に声をかけられたという。
クラムボンのベーシストのミトとは交流が深い。
MOSH PIT ON DISNEYシリーズで、MONTEROZA 4950という企画バンドを組んでいた事がある。メンバーは、HUSKING BEEの平本レオナ(Drum、talking the lylics)、中尾憲太郎(Bass、Guitar)、toeの山嵜廣和(Guitar)、クラムボンのミト(fender rhodes、glockenspiel)。
大学の同級生には漫画家の岸本斉史がいた。
外部リンク
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/16 00:05 UTC (変更履歴)
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