井本直樹 : ウィキペディア(Wikipedia)

井本 直樹(いもと なおき、1976年8月12日 - )は、愛知県知多郡阿久比町プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、67ページ出身の元プロ野球選手。

現在は中日ドラゴンズのスコアラー。

来歴・人物

小学3年から野球を始め、中学から投手一筋になる。

東海工業高等学校では1年からエースを務める。

高校卒業後、社会人野球の日本通運名古屋に入部したが、チームが埼玉県を本拠地とする日本通運に吸収合併されたのを機に、から新日本製鐵名古屋に移籍。都市対抗野球大会には王子製紙春日井、三菱自動車岡崎の補強選手として先発し、勝利投手にもなった都市対抗野球大会80年史 日本野球連盟。9月の日本選手権東海地区予選では3試合すべてに完投して、2完封を記録、本大会でも初戦を完投勝利社会人野球日本選手権大会40年史 日本野球連盟。

、同年のドラフト会議で中日ドラゴンズから3位指名を受け入団。

ルーキーイヤーの2001年にプロ初登板を含める6試合に登板し、プロ初セーブも記録した。だが、防御率は8.31と振るわなかった。さらに、肩痛の影響もあってわずか2年で引退となった(練習生として復帰を目指したが叶わなかった)。

引退後は、裏方に回り打撃投手を経て、からはスコアラーを務めている。

2004年からまではスコアラーとして横浜ベイスターズを担当し、からは阪神タイガース、からは再び横浜ベイスターズを担当した。でスコアラーの担当制は廃止されたが、から再び担当制が復活し、阪神タイガースを担当し、からは広島東洋カープを担当する。2018年からは、阪神タイガースを担当する。

詳細情報

年度別投手成績

中日60000001------418.2102600600888.311.85
通算:1年60000001------418.2102600600888.311.85

記録

  • 初登板:2001年4月1日、対広島東洋カープ3回戦(ナゴヤドーム)、7回表に3番手で救援登板、1/3回4失点
  • 初奪三振:同上、7回表に高橋建から見逃し三振
  • 初セーブ:2001年4月4日、対横浜ベイスターズ2回戦(横浜スタジアム)、7回裏に3番手で救援登板・完了、3回無失点

背番号

  • 31 (2001年 - 2002年)
  • 123 (2003年)

関連項目

  • 愛知県出身の人物一覧
  • 中日ドラゴンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/01/09 04:04 UTC (変更履歴
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