後藤太郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

後藤 太郎(ごとう たろう、1969年12月24日 - )は、日本の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはフォワード(FW)、ミッドフィールダー(MF)。

来歴

Jリーグ創成期に名古屋グランパスエイトで活躍。三浦知良をはじめ、当時はゴールした選手による派手なパフォーマンスが話題となったが、

現役引退後はサガン鳥栖のユースチーム、次いで山口県の徳山大学サッカー部で監督を務めた。徳山大学では女子チームの監督も兼任したほか日本サッカー協会公式サイト 第33回全日本女子サッカー選手権大会公式記録 2011年12月3日開催(1回戦) 「徳山大学 vs 静岡産業大学磐田ボニータ」、大学教員として一般学生向けの講義も担当したが徳山大学経済学部 2011年度講義要項(シラバス) 、2012年には中村重和に監督職を譲った中国新聞2012年8月25日付記事 「天皇杯サッカー山口26日決勝」。

その後は母校東海大学の大学院に進む傍ら、サッカー部のコーチに就任し東海大学 内山秀一監督&小山真司主将インタビュー、後に部内の暴力事件により監督が解任東海大学体育会サッカー部・学生暴力事件について(報告) - 平成25年7月9日 関東大学サッカー連盟されると、後任の監督に就任。2019年度監督退任。

所属クラブ

  • 東海大学付属第五高等学校
  • 東海大学
  • 1992年 - 1995年 名古屋グランパスエイト
  • 1995年 - 1996年 ジェフユナイテッド市原
  • 1997年 - 1998年 サガン鳥栖

個人成績

|- |1992||rowspan="4"|名古屋||rowspan="6"|-||rowspan="6"|J||colspan="2"|-||7||1||0||0||7||1 |- |1993||21||6||0||0||0||0||21||6 |- |1994||24||1||0||0||2||0||26||1 |- |1995||0||0||colspan="2"|-||0||0||0||0 |- |1995||rowspan="2"|市原||12||1||colspan="2"|-||1||0||13||1 |- |1996||0||0||3||0||0||0||3||0 |- |1997||rowspan="2"|鳥栖||rowspan="2"|8||rowspan="2"|旧JFL||15||1||5||0||1||0||21||1 |- |1998||22||1||colspan="2"|-||0||0||22||1 57||8||10||1||3||0||70||9 37||2||5||0||1||0||43||2 94||10||15||1||4||0||113||11 |}

指導歴

  • サガン鳥栖ユース 監督
  • 徳山大学サッカー部 監督
  • 東海大学サッカー部 コーチ
  • 東海大学サッカー部 監督
  • 九州共立大学サッカー部 監督

関連項目

  • 名古屋グランパスの選手一覧
  • ジェフユナイテッド市原・千葉の選手一覧
  • サガン鳥栖の選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/09/11 17:46 UTC (変更履歴
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