オレッグ・タクタロフ : ウィキペディア(Wikipedia)
オレッグ・タクタロフ(、1967年8月26日 - )は、ロシアの男性俳優、元総合格闘家。ソビエト連邦ゴーリキー州アルザマス16出身。UFC 6トーナメント優勝。
来歴
12歳からサンボと柔道を始めた。ソ連国家保安委員会(KGB)で近接格闘術の教官を務めたが、22歳で実業家に転職するため退職した。しかし、1989年に柔術フルコンタクトと呼ばれる、ジャケット着用の総合格闘技に魅了され、格闘技を再開した。
- UFC出場
1995年4月7日、UFC初出場となったUFC 5でトーナメントに出場。1回戦でアーニー・バーディシアに勝利するが、準決勝でダン・スバーンに敗れた。
- UFC 6トーナメント優勝
1995年7月14日、UFC 6のトーナメントに出場。1回戦でデイブ・ベネトゥー、準決勝でアンソニー・マシアス、決勝でタンク・アボットを破りロシア人初の優勝を果たした。
1995年9月8日、UFC 7のスーパーファイト王座タイトルマッチで王者のケン・シャムロックに挑戦し、時間切れ引き分けで王座獲得に失敗した。
1995年12月16日、Ultimate Ultimate 1995のトーナメントに出場。1回戦でデイブ・ベネトゥー、準決勝でマルコ・ファスに勝利するが、決勝でダン・スバーンに判定負けし、準優勝に終わった。
1996年5月16日、パンクラスで初来日。日本武道館大会で柳澤龍志と対戦、判定負け。
1996年11月22日、Martial Arts Reality Superfightingでヘンゾ・グレイシーと対戦し、KO負け。
1997年10月11日、PRIDE.1でゲーリー・グッドリッジと対戦し、KO負け。
1998年、National Freesparringに出場後、俳優業に専念。
2007年6月10日、ボクシングのエキシビションでドルフ・ラングレンと対戦し、5ラウンド判定勝ち。
2007年11月30日、BodogFightにおける約6年ぶりの総合格闘技復帰戦でジョン・マーシュと対戦し、膝十字固めで一本勝ち。
2008年4月11日、YAMMA Pit Fighting 1でマーク・ケアーと対戦し、膝十字固めで一本勝ち。
引退後はロシアMMA連盟の代表を務めているMembers IMMAF公式サイト。
戦績
ボクシング エキシビジョン
獲得タイトル
- UFC 6トーナメント 優勝(1995年)
出演
映画
公開年 | 邦題原題 | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
2001 | エアフォース・ワンAir Force One | ||
2001 | 15ミニッツ15 Minutes | オレグ | |
2002 | ローラーボールRollerball | オレグチ・デネキン | |
2003 | バッドボーイズ2バッドBad Boys II | ||
2003 | 44ミニッツ44 Minutes: The North Hollywood Shoot-Out | TV映画 | |
2004 | ナショナル・トレジャーNational Treasure | ||
2006 | マイアミ・バイスMiami Vice | ||
2007 | アンダーカヴァーWe Own the Night | ||
2007 | ボビーZThe Death and Life of Bobby Z | ||
2008 | ボーダーRighteous Kill | エフゲニー・ムガラット | |
2010 | プレデターズPredators | ニコライ | |
2018 | ザ・アウトローDen of Thieves | ||
2022 | マン・フロム・トロントThe Man from Toronto | ||
ゲーム
- バトルフィールド3 battlefield3 (2011)
関連項目
- 男子総合格闘家一覧
- PRIDE選手一覧
- UFC王者一覧
- UFC選手一覧
外部リンク
- PRIDE 選手データ - Internet Archive
- パンクラス 選手データ
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/01 02:14 UTC (変更履歴)
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.