浜田光人 : ウィキペディア(Wikipedia)

浜田 光人(はまだ みつと、1912年〈大正元年〉11月20日『読売年鑑 昭和44年版』593頁。 - 1988年〈昭和63年〉1月31日『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』497頁。『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』513-514頁。)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。

経歴

広島県呉市出身。1941年(昭和16年)横須賀海軍砲術学校特修科を卒業し、海軍少尉で終戦を迎えた。

戦後、駐留軍要員(船長)となる。以後、全駐留軍労働組合中央執行委員、同広島県本部執行委員長、全国連軍離職者同盟理事長、呉地方労働組合協議会長などを務めた。

呉市議会議員(1期)、広島県議会議員(3期)に選出され、呉市失業対策特別委員長、広島県国連軍引揚対策特別委員長、同総務副委員長、同民生副委員長、同労働副委員長、瀬戸内海総合開発特別委員、中国地方開発審議会委員などを務めた。

1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で広島県第2区に日本社会党公認で出馬して当選し『国政選挙総覧 1947-2016』313頁。、衆議院議員に1期在任した。その間、社会党広島県本部県民生活局長、同地方議会対策部長、同呉総支部委員長などを務めた。その後、1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙で落選。1972年(昭和47年)12月の第33回総選挙では社会党は広島2区の公認候補を元広島県議の森井忠良にしたため、浜田は無所属で立候補したが落選した。

その他、呉市漁業協同組合理事なども務めた。

参考文献

  • 『読売年鑑 昭和44年版』読売新聞社、1968年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/11/30 23:59 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「浜田光人」の人物情報へ